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フルーツバイキング

フルーツが好きだ。偏愛してると言ってもいい。

新宿タカノのフルーツバイキングは長年の憧れで、同行者がいればすぐにでも行きたいと思っていた。

しかし私の故郷はフルーツの産地であり、古くからの、目の前で大食いできるような気兼ねのない友人で「それなりのお金を払ってフルーツを食べに行く」人はいない。みんな熟れた美味しい果物を知っているし、簡単に手に入れられるから。

私は木で熟した果物の美味しさを知っている。けれどもフルーツバイキングに行きたいのは、そこに人の手が加わっていて、より美味しく食べられるはずだから。そしてそれをチマチマでなく思い切り楽しみたいのだ。

そして親しい東京出身の友人が「一緒に行こう」と言ってくれ、まだかまだかとその日を待ちわびていた。ただ彼とは日程がなかなか合わず、さらに財布の都合もあったりして延び延びになっていた。

それが、吉だったのか凶だったのか。

糖尿病と告げられて入院生活をしているときに、なにが辛いと言って、1日に1600キロカロリーの病人食しか食べられなかったことだ。間食は厳禁。飲み物はノンシュガー以外禁止。

同じ雑居病棟の、呼吸器や整形外科の患者たちは、もう少し量のある食事だったのだと思う。皆カーテンを引いた状態で食べるから初めはわからなかったけど、食器の載ったトレイを戻しに行くと、私の食事には付いていないデザートやヨーグルトの空き容器が見えて、食べ終わったばかりなのになんとも言えない物足りなさを感じていた。

自分が糖尿病になったという衝撃と、実際に死にかけた体の疲れとで、しばらくは病人食も受け入れ血糖値を下げるためのウォーキングも淡々とこなしていたが、入院から1週間目に、キレた。

こんな食事で我慢してるのに(作ってくださる方に大変失礼)、毎食後のウォーキングも欠かさないのに、血糖値はなかなか下がらないし(主治医もいろいろ薬を試してる最中だった)、こんなことが一生続くの!?もうイヤ!!

「タカノのフルーツバイキングに一生行けない」

お腹空き過ぎて、心が病んでました。

いや、もともと病んでるんだけど、それが全面に出て何もかも嫌になって、夜中に売店で買ったグミを食べた。

チョコレートが食べたかったんだけど、グミの方が噛み応えありそうだったから。

食べたけどお腹は治らないし、気分は晴れないどころかどんどん落ち込んできて凄く久しぶりに「死にたい」と思った。

田舎の友達から送られてくる、甘い甘い巨峰の香り。

東京の友達と飲むお酒と、途切れない会話の記憶。

オリーブオイルをたっぷり使ったイタリア料理。

田舎の母の作るおやきの味。

もう、わたしには縁が無いんだ。一生こんな食事しかできないってどんな罰なんだ。なにが悪かったんだ。父と弟が糖尿病だから気をつけてたのに。

泣き出したら止まらなくなって、でも声を上げられないからティッシュを噛みながら泣いた。ボロボロボロボロ泣いても泣いても同じ事しか考えられない。

夜勤の看護師さんに見つかった。

見つかってもいいやと思ってたから隠しもしなかった。

でも叱られるかと思ってたら、優しくされたのでまた落ち込んで泣いて、明け方に少しだけ眠った。グミは看護師さんに渡した。

朝…。

看護師の同級生がいたおかげで、ナースセンターでなにが行われていたかわかってる。

申し送りの際に「要注意!」とされてるのだ。それにうつ病の薬飲んでいる患者だから看護師さんにとっては「面倒な」事柄に違いない。どう対応するか日勤の看護師さんには余計な仕事が増えたわけだ。

入院病棟の看護師さんの仕事は、メンタルクリニックの看護師さんの仕事とは質量ともに違う。当たり前なんだけど、愚痴の長話でガス抜きさせてくれるわけがない。

わたしの担当看護師さんは特にそういうメンタルのブレた患者は苦手だったらしい。ツカツカっと部屋に入ってくると思い切りよくカーテンをシャー!っと開けて、

「昨日はちょっと考えちゃったかな!?」

と大きな声をかけてきた。だてに長らくうつ病患者をやってない。一瞬で「この人には甘えられない」と判断した。元気を出させようとしての大きな声なのではない。苦手だ、面倒だ、勘弁して、と思ってる。さっさと気分を変えさせてしまおうとしている。だってわたしの顔を正面から見ようとしないもの。

泣いてもダメなものはダメ。泣いて許される人もいるけど、わたしはそうではないタイプ。人生で何度も経験してきた場面だ。

もちろん、泣いても咎めないし、受け入れて甘えや歪な心を容認してくれる人もいる。そういう人たちがいたから「死にたい」パックリと開いた暗い淵に飲み込まれずに済んだのだ。物凄く少人数で、それは一緒に暮らしてる人の中にはいないのだけど。

それでこの看護師さんに戻ると、この場合は0.3秒くらいで諦めて、お騒がせいたしましたと穏やかに謝った。

眠らずに泣いていたので疲れていて、朝食後のウォーキングは「サボらせてください」と別の看護師さんに頼んだところ、すんなりokが出たので少し眠った。

起きたら、外来の間に主治医も駆けつけてきて「今は薬の効果を確認してるので、出てくる食事以外は我慢して欲しい」と丁寧に説明してくれた。とても熱心で優しいドクターなので、これ以上困らせてもな…と理性が言っていたけど「わたし一生誕生日ケーキ食べられないんでしょうか?」と愚痴った。

(タカノのフルーツバイキングに行けないか?とは聞けなかった)

とりあえず今は薬の効果を確認したいこと、退院後は自分で自分を管理しなきゃならないからこういう食事にも慣れて欲しいこと、外来の患者の中にはケーキ食べちゃう人もいるんだと「絶対ダメではないんだけど」を匂わせつつ。

人の持つ個性や相性とは不思議なもの。このドクターとは相性が良いようで、話を聞いているうちに少し落ち着いたし、精神状態が空腹がきっかけで不安定なことも正直に話せた。たぶん声。声のトーンが心地いいのだと思った。

(このドクターの声については、一命を救われたので、別に書きます)

しかし、看護師さんの仕事には患者の観察も含まれていると思うのだけど、それが苦手な人もいるんだな。それならいっそ観察不要の状態になってしまおうと、昼食後からはウォーキングを再開した。

いつものわたし、を演じることで心を塗り固めて、なにもなかったことにしようと思った。ここではメンタルの病気は看護に含まれていないのだからと。

たった1人、その日の夕方、夜勤の看護師さんが交代して挨拶に来てくれた時「ウサコさんが、すごくがんばってるのを解ってます」と一言伝えてくれたのは、うれしかった。

それで、夜になってぽちぽちと友人にメールして、1日の顛末を報告したところ、

「良くなったら、タカノのフルーツバイキング、行こう!」

と確約してくれた。

でも糖尿病は一生の付き合いで、こんなになる前に行っておけばよかった。もう行けないかもしれないのに、と責めた。

「フルーツバイキングに行ってたら、そこで(血糖値が上がり過ぎて)倒れてたかもしれない。家から遠い場所じゃ倒れたらとても大変だったよ」

それも一理ある。

フルーツバイキングに行けるかは、全く先が見えない夜のこと。良くなる兆候もまだまだ見えない時点のこと。

フルーツを思い切り食べたら死ぬのかもしれないけど、味気ない食事だけで長生きするより、フルーツバイキングで幸福感に浸ってから死にたいと、その夜もやっぱり少し泣いた。

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