【シャニマス】#02 さとり世代の化身「市川雛菜」と成長したい
※この記事はそれまでアイドルゲームにハマることのなかった僕が、
この一年でシャニマスアイドル23人箱推しに至るまでを淡々と描く秘密のメモ帳です
過度な期待はしないでください
【さとり世代】:堅実で高望みをしない、現代の若者気質を表す言葉。
1990~2000年代。この時代に生まれた世代は当たり前のように情報社会(インターネット)に触れてきた。そこでは得られない情報などなく、知り得ないことなどない。未来はいつだって、誰かが通ってきた道でしかない。
いつしか僕らは、無駄な努力や衝突を避け、過度に期待したり夢を持ったりせず、浪費をしないで合理的に行動するという【利口さ】を身に着けた。
──【諦観】とも呼ぶべきそれを。
これは「市川雛菜」を通じて【本当のしあわせ】ってなんだろう?と考える、そんな記事です。
①「市川雛菜」の第一印象
導入のポエム全開文は筆を乗らせるための儀式なので、あまり気にしないでくれると助かります。後日、僕のTwitterなりにコピペされたら切腹する自信があります、はい。
ということで、まずは「市川雛菜」の第一印象から。
ノクチルが発表されたとき、僕はそのあまりのパワーに「浅倉…透……(ジュワァ」といって光になって消えました。それほどまでに透が輝いて見えました。つよすぎ。
で逆に、雛菜はノーマークどころか、正直なところちょっと苦手とするタイプだろうなーと、センサーが告げていたので敬遠しがちなくらいでした。
↑これで、苦手とする 天然(悪意のない)+自分勝手=迷惑キャラ の図式が出来上がってしまっていた
で、ノクチルメンバーが順々に実装されていき、透は「やばい、刺さる、それ」だったし、円香は「泣きませんので」だったし、小糸は「みんなとわたしの居場所」を見つけられたしで、もうこれはノクチルやべーなと。こんななかで雛菜って存在は一体なにを描くんだろう?そう思ったんですね。
②第二印象は「年齢不相応な強さ」
WING編を進めていくなかで、僕の中で雛菜に対する意識が変わっていきました。あ、こいつ天然じゃないわ、と。
まず、確固たる自分を持っている。こうしたら(こうなったら)良いというビジョンがある。上のやり取りでもPの言葉を受けて、自分の魅力(セールスポイント)でプレゼンを仕返している。頭がキレてないとこれはそう簡単にできません。
もうひとつは、会話が上手い(これは語弊があるかもしれない)。
Pがイマイチ本気になってくれていないようにみえる雛菜に対して小言を言おうとするシーンが何度かある。そのとき雛菜は咄嗟に話題を逸したり、核心には触れないように煙に巻こうとする。これはきっと彼女の【処世術】で、「衝突」を避けるために学んだやりかたなのでしょう。
上のシーンでも、触れられたくないことを察して?と言わんばかりの怒濤の畳み掛けだ。計算してやっているのは間違いない。
そして、なにより僕が心揺さぶられたのは彼女の持つ「視点」。
この辺りの言葉を齢15そこそこの少女が言うのだから、恐ろしいと思った。人間強度が高すぎるな、と感じました。どういう環境で育ったらここまで色々なものを、達観した視点で見られるのか?ということがとにかく気になった。それほどまでに、雛菜のなかに【年齢不相応の強さ】を感じてしまっていた。それはカリスマ性みたいなもの。いわば崇拝にも近い感情。完全に、彼女の虜になっていました。
雛菜すごい~~~
だからでしょうか、この直後のPのセリフ(説教的なもの)が自分には共感できず、このあとの展開はイマイチ入ってきませんでした。しかし後日、それは自分の読み違いだったことに気がつくのです。
③雛菜の根底にあるのは【諦観】だった
※ここまでで十分長かったと思うんですが、実はまだ本題入ってなかったんだ……
ごめんなさい。こっから本題です。
先日、雛菜のP-SSR「【Happy-!NG】市川雛菜」が実装されました。
このカード、コミュ名が秀逸すぎた(後日それ単体の記事書くかも「!NG」に少なくともトリプルミーニングはありそう)のは置いておいて、内容として共通すると感じたのは【雛菜の諦めの早さ】的なものでした。
で、気付かされるわけです。雛菜の【年齢不相応な強さ】は、この【諦めの早さ】から来てるものなんじゃないか?ということに。
なんでもそれなりに出来てしまう彼女は、きっと他の人より要領が良くて気付くのが早いわけです。だから視点も他の人より【年不相応】に達観しているし、まぁこんなもんだろう、と全てに見切りをつけている、そんなふうに見えてきませんか?(なんでもそれなりにできる、というのは逆に言えばなんでもそれなりで済ませてしまってきたことの証左でもあると僕は思ってます)
余談ですが、ノクチルのなかでアピールの特殊効果が「リアクション回避」なのは円香とこの雛菜です。方向性は違えど、二人とも踏み込んでほしくない、という気持ちを持っている(円香の場合、自分の底をみたくない、みせたくない)ところからかなと睨んでます
これはさきほども登場したシーンですが、
この文章、
「雛菜は雛菜の気持ちしか知らないよ」
これって明らかに意識していると思うんですよね、みんな大好きなアレを。
でも、この2つって同じことを言っているようで、ちょっと違っていて、
めぐるのは「寄り添いたいけど、真にはわかりあえないこと」への「悲観」で、
雛菜のは「自分は自分でしかないし他人は他人でしかない」ということへの【諦観】だと思うんです。
雛菜には「必要以上に自分に期待しない、他人に期待しない、社会に期待しない、人生に期待しない……」そういった思想が根底にあるんじゃないか?と思わされました。
そう思うと、
この台詞の重みがちょっと変わってきます。僕を揺るがしてきます。
心から思っていると言うよりも、どこか諦めを孕んだニュアンスで言っていることになります。大事件です。
この観点で見ると雛菜の思い出アピール演出だけ、水に飛び込んだ後、沈んでいく=諦め?のようなカットになっているのも興味深い
と言う感じで、僕が気付いたのはP-SSR実装からだったわけですが、このことにシャニPは最初から気付いていたんですね。
このシーンを改めてみたとき「ああ、この言葉ってそういう……」と漏れました。
【諦める】ことは【楽】だけど『楽しい』=『雛菜のしあわせ』っていうのはそうじゃない。もっと自分から『望み』に向かっても良いんじゃないか?
Pはそう言いたかったんですね。ようやくストン、と飲み込めました。
そらこんなクリティカルなこと言われたら、
こうなるわけですわ。当たり前だ!!!(どんっ
これは妄想ですが、この後の「アイドルにはなれるかな?」というセリフも、何かになることを一度諦めた過去があるとしたら、いろいろ繋がるような気がします。
④諦めてしまった『しあわせ』に花束を
まとめると、この市川雛菜というアイドルは、
1.市川雛菜の根底には【諦観】がある
2.プロデューサーはそんな彼女の本当の『しあわせ』のために
3.可能性を拡げる手助けをしていく
そんな成長を描いていくことがコンセプトにあるのかな、と感じました。
なるほど、やっぱりノクチルじゃんね。
……私事でほんっと恐縮なんですけども。
いわゆる僕は【さとり世代】ど真ん中なので、めちゃくちゃ雛菜の気持ちがわかるわけですよ。必要以上に期待しないことで予防線張って、利口に生きる。それが我らの処世術。
で、シナリオ書いてる人たちもおそらく同世代くらいだろうなーってことを考えると、これはそういう世代に向けたメッセージなのかな、っていうのをちょっと感じてます。
市川雛菜というアイドルの成長を通じて、僕ら【さとり世代】が諦めてしまった『しあわせ』の掴み方を見せてくれる、そんなことを淡く期待させてください。
といったところでこの記事は〆ます!!
もともとは各アイドルを23週連続とか宣ってたけど、仕事やらで無理そうなんで色々切り替え中。でも書く気はあるので、今後ともヨロシクです。
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