素早く上下に

便利な世の中になった。

クリックひとつで日本各地の生鮮食品が、ある程度の鮮度が保たれたまま家に届けられる。時間と手間をたっぷりかけた料理が電子レンジだけで出来上がる。あらゆるレシピがネット上に転がっている。エスニック料理店も増え、近場で本格的な料理をいただくことができる。

多少のお金と多少の時間があれば、食べられないものはほとんどないと言える。

旅行にて。

食事は夕食と朝食、それぞれビュッフェだった。朝食では、注文してから焼いてもらうタイプのオムレツとフレンチトーストがあった。それ以外にもたくさん豪華な料理があったけど、オムレツを3回おかわりしてしまった。原価が高い料理をたくさん食べて元を取るべきビュッフェの場で、卵という原価が低い食材を使用したオムレツをたくさん食べてしまった。

「〜しまった」と書いてはいるが、自分はこの選択をかっこいいと思っている。経済的に元を取ろうという貧乏根性を押し殺し、老成したシェフが焼いた半熟とろとろのオムレツを味わうという選択。マジで大人。

普段の食事で焼き魚やベーコンをお腹いっぱい食べようと思ったらそれなりにお金がかかってしまう。だからビュッフェでその願望を叶えたくもなる。でも、不可能ではない。真面目に働いていればそれぐらいのお金は稼げる。

だけど、ふわふわのオムレツは家では楽しめない。どんなに美味しい卵を買ったとしても、ふわふわのオムレツは作れない。技術が必要だ。ふわふわのオムレツを食べようと思ったら、洋食屋とかフレンチレストランに行くしかない。

だからこそ、オムレツが楽しめるビュッフェではオムレツを楽しむべきだと自分は判断した。経済的な損得勘定ではなく、希少性という天秤によって自分の食べるものを決定した。言っておくけどこれは本当に大人。渋い。

「モノ」から「コト」へと消費の傾向が変わっていっていると聞いたことがある。ありとあらゆる「モノ」が手軽に手に入るようになったので反動として、希少性の高い「コト」への志向が増大したのだろうか。

この志向に沿うと、原価は高いが調理が容易な料理より、原価は安いが調理が困難な料理が好まれることになる。食材という「モノ」ではなく調理工程という「コト」に重点を置くとしたらこのような考え方になる。

つまり、自分のオムレツを食べるという行動は現代の消費トレンドに沿った合理的なものだったとも言えるのだ。すごいぞ、自分。

ここまでだらだらと書いてきたが、正直ただ卵料理が好きだからたくさん食べただけだ。何回もおじさんに「オムレツください」とお願いするのは恥ずかしかった。3回目のおかわりのときなんて、おじさんの隣でフレンチトースト焼いてるお姉さんがマスク越しでもわかるぐらいの半笑いを浮かべていた。それはもはや半笑いではない。おじさんの焼くオムレツは何回おかわりしてもそれはそれは綺麗だった。ごちそうさまでした。

このことがあって、実家でオムレツの練習に明け暮れている。毎日6個ぐらい卵を食べている。youtubeで動画を見て研究しているものの、どうしてもうまくいかない。それだけ卵を食べている上怠惰な生活を送っているので明らかに体型が変わってきている。一週間後には会社の健康診断がある。どうにでもなれという気持ちで今日もオムレツを焼く。

この記事が参加している募集

休日のすごし方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?