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『ご挨拶に伺いました』

 お耳汚しを失礼致します。
 松原タニシさんがYoutubeで語って居たのですが、看護師が心霊体験に遭遇する確率が高いのは『看護師脳(Nurse Brain)』と云う考え方で説明が付くそうです。
 過酷な勤務条件や精神的なストレスが原因だそうです。
 『看護師脳(Nurse Brain)』と云う言葉自体が、正式な医学用語や科学的な概念として認識されて居る訳ではなく、造語と捉えて差し支えない単語なのですが、その背景にあるメカニズムは理解できるものです。

 睡眠不足による幻覚幻聴、過度なストレスと精神的負荷、死に直面する事が多い環境的要因。
 看護師のみならず、多くの過酷な職業に従事する方々に共通するのではと思われます。


 これは私が子供の頃に母から聞いた話なのですが…。
 当時、母は枚方市内のとある病院で看護婦をして居りました。新館が出来始めたころ異動になり、古い建屋から引っ越しをする患者さんと同じタイミングで新館に移ったそうです。まだ工事が途中の階も在ったそうなのですが、患者さんにお休みは無い為、工事と並行して病棟も稼働して居たそうです。

 そんなある夜勤の詰所での事。
 日報に目を通して居ると急に窓の外に気配を感じたのだそうで、そちらに目を向けると見知らぬ男性が詰所の中を見て立って居たのだそうです。
 向かいに座る同僚に、「そう言えばこの間搬送されて来た患者さんは?」と聞くと、「先輩がお休みの時に亡くなりましたよ。」
 「そうかぁ。残念やったね。」と曇った表情で答えると、
 「どうかしましたか?」
 「いや今、窓の外でお辞儀してはる男の人が居るから…。」
 「え!止めてよ。」「先輩がそんなこと言う時は、必ず急患が入ったり、急変して忙しくなるんやから。」
と、同僚にたしなめられるや否や、直ぐ傍の国道から救急車のサイレンの音が聞こえ始めたそうです。
 「ほら~。(笑)」とスタッフ一同、冗談交じりに苦笑いを浮かべながら急患の受け入れ準備を始めました。

 母が当時所属していた部署と云うのは、ER(救急病棟)から処置が終わって運び込まれた患者や、『今夜が山場』と云う他の病棟から移って来た患者がメインの急変が伴う部署だったそうで、波はあれど毎日が怒涛の忙しさだった様です。


 暫くして、交通事故で搬送された患者が処置室から病棟に搬入され、一段落が付き詰所に数名のスタッフが戻って来ました。

 「ほらも~。(笑)」
 「ほんまやねぇ。でも4階の外に人が立つのは可笑しいって。」
 「え~。もう怖い怖い。(笑)」 等と、他の作業をしながら談笑する同僚のセリフに被さる勢いで、「ビー!」とナースコールが鳴りました。 その夜が山場だから気を付けてと主治医から引き継ぎが合った○○のおばあさんからのコールでした。
 「心停止!!」詰所は一瞬にして戦場です。 一同一斉に動き出し、母が病室に駆け付けた時には、見回りの後輩が先に駆け付けて居り、ベッドの脇から胸骨圧迫の最中でした。

 「そんなんじゃあかん!」と、母はベッドに上がって患者に馬乗りになって、胸骨圧迫を代わりました。
 「先生呼んで来て!」最後まで聞かずに後輩は病室を走り出て居ました。  熟考型の私では絶対に務まらない職場だと思うので、こう云う緊迫した職場で働く方は皆さんすごいなと思います。

 車の免許を持って居る方や、救急対応の方法を学ばれた方は経験が在ると思いますが、人工呼吸の練習ダミー人形は、強く胸を圧迫しすぎると、赤ランプが点灯して「肋骨が折れた」事を知らせます。 適度な力で緑ランプを点灯させ続けるのが最適な力加減なのですが、現場ではそんな事を言って居られないそうです。
 「折れても後で先生が繋ぎはる。」「取り合えず蘇生せんと!」 現場はそんな感じだそうです。

 「ピー…」と鳴り響く個室で必死に胸骨圧迫をする母なのですが、 「ボキッ、バキッ」と手に鈍い振動が伝わるそうです。『骨粗鬆症(しょうしょう)』のおばあさんですから仕方が無いのですが、
 「あ、折れた。」と心の中で呟きながら「○○さんごめんやで。」と、胸骨圧迫を続けます。

 直ぐに、当直の先生と呼びに行った後輩が病室に駆け込んで来て、 「直接『ニトロ』打つわ。」と先生が指示を出します。
 『ニトログリセリン』と云うのは、心臓の周りを走る静脈を拡張させる、言わば起爆剤の様な働きの薬で、それを直接心筋に打つと指示を出したのでした。

 母は胸骨圧迫を続けながら、先生が注射し易い様にベットから降りると同時に、先生の合図で手を放しました。 先生は胸の正中やや左側の肋骨の隙間を目掛けて、注射の針を勢い良く突き立てると、
 「痛ぁ!!」
 と、心停止して数分経つ意識の無いおばあさんが、目を見開いて叫んだのです。 先生も母も驚いて一瞬後ずさったそうです。

 反射と云う現象がある様ですが、居合わせた3人ともが後にも先にもそれ1回きりで初めての経験だったそうです。
 深夜から明け方に掛けて、医療のプロ達が命を繋ぎ止めようと悪戦苦闘しましたが、残念な事に山を乗り切る事は出来なかったそうです。


 処で、看護婦の出勤日程は婦長が調節して、偏りが無い様に人選を組んで、当時は3交代制でローテーションして居たのだそうです。スタッフの人数も限られて居ますので、同じ面子になる事もしばしば。後日、また同じ様なメンバーで夜勤をする事になった時の事。

 「今日は忙しくなりそうですか?」と、後輩が母に聞くと、母は窓の外を一瞥して、
 「そうやね。今日も忙しくなりそうやね。」と、静かに答えたそうです。

 「窓の外で、○○のおばあさんが深々とお辞儀してたからな。」と話してくれました。


 母曰く、「その○○のおばあさんな、可愛らしい丸顔で『ぽたぽた焼』のおばあさんみたいな人やったよ。」と語ってくれました。
 長くお風呂に入れなかった時は、担当ではない時でも、夜勤明け等に体を拭いてあげてから退社して居たのだそうです。

 「気持ち悪かろう。拭ける所だけでも拭きませんか。」
 お湯に浸したタオルを絞って、顔、腕、背中、お尻や足。手術着を着たままでも手慣れたもので、最後にはだけた部分を整えて仕上げなのですが、おばあさんの背後から上着の裾を引っ張ってズボンに入れようとするも、どれだけ引っ張ってもなかなか入らなかったのだそうで。
 「あれ?」と思って覗き込むと、おばあさんは「恥ずかしそうに、もじ~っもじ」して居たそうで、上着の裾をたくし上げて確認すると、肌着の裾と思って一生懸命引っ張って居たのは、おばあさんの垂れ下がったおっぱいだったのだそうです。

 「同じ肌色やから分からんかったわ。ごめんね。」
 と、二人で笑い合った思い出話を聞かせてくれました。

 以上、『ご挨拶に伺いました』と云うお話でした。
 ご静聴ありがとうございました。


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