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インドのリビエラ


 もうだいぶ昔のことだが西インドのグジャラート州にあるスーラットという町を出発地として列車とバスの旅に出たことがある。目的はガンジーの足跡や関係者を訪ねたり、見たり、聞いたりすることであった。アーメダバードやセワグラム、ナグプール、デリーと周りせっかくなので南まで電車で行くことにした。デリーからインド南部のタミルナドゥ州はチェンナイまでの列車は24時間かかる予定であったが、何度も途中で止まり結局は60時間くらいかかった。チェンナイでは上質のカディを見せてもらったり、美味しいミールスを食べた。次の目的地などその頃にはもう決まっていなかったので何気なく地図を眺めていたら「pondicherry」の文字が飛び込んできた。そういえばポンディって呼ばれていたフランス語の先生がいたなぁと思い出した。その後何人かのフランス語の先生に会ったけどみんなポンディシェリーという町出身だった。その先生たちを通してタミルナドゥ州にポンディシェリーという町があり、かつてはフランスの植民地であったことを知り、そのため住民のほとんどがタミル語とフランス語を話すのことができるのだとか。せっかく目に飛び込んできたのだからと早速次の日にチェンナイのバスターミナルに行き、バスでポンディシェリーまで向かうことにした。熱気むんむんの車内から見える景色はなかなか変わらず3、4時間走ったところに海が広がってきた。白っぽい砂浜と空色の海に心踊らせ、到着を待ちわびた。

 バスターミナルに着くまでの街並みを見てすっかりポンディシェリーが好きになってしまった。高くないコロニアルな建物たちはマスタード色やパステルグリーンやピンク、ブルーで塗られていた。車が走ると土埃が少し薄くなった青色な空に舞っていった。タミル語の表記とフランス語の表記で書かれた案内板、ところどころに現れるおしゃれなカフェやレストラン。東のリビエラと称された町は1954年の10月31日までフランスの植民地であった。その前はオランダやイギリス、ポルトガルの統治下に置かれた時代もあったらしい。ポンディシェリーが歴史に登場するのは紀元前3世紀のローマとの貿易の拠点としてだが、その後も1世紀ごろに書かれたエリュトゥラーの海案内記にも大事な港町として登場する。もともとタミル料理やアンドラ料理が良く食べられていたが、フランス統治が1816年に始まると料理にも様々な影響を与えるようになった。パウダースパイスをあまり強く効かせなかったり、スパイスのかすかな香りとソースを掛け合わせたものを作ったり、フランスの影響でベトナムやマレーシアなどの食文化の影響を受けた料理も存在する。各所のレストランでは珍しく繊細なインド料理と一緒にワインを楽しめることができる。
 あまりにも心地よい場所だったのでアパートまで見にいったほどである。

 ハーブとソースとスパイスを組み合わせた新しい料理のヒントがこの土地にあるような気がする。
 

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