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マユール兄さん

昔、マユール兄さんと言う頭の良い青年がいました。歳は私より5、6歳上だったような気がします。彼は小学校に通うのに自転車で3時間かけ、帰りも同じ道を3時間かけて家に帰っていたそうです。電気もないような田舎が嫌で嫌でしょうがなかったマユール少年は勉強をたくさんして村を出ることを目指しました。

たくさん勉強をしたので、偉いところからも奨学金がもらえるようになり、町の高校、都会の大学に進むことができました。就職先もすんなり決まり、インドの大きな会社に勤めるようになりました。今度は日本の大きな会社が彼に奨学金を与え、日本にもやってきました。日本でも様々な研修を重ね、数年後にインドに帰った時には一つのフロアーを任せられるような部長になっていました。

ある日、マユール青年が田舎の村に行くと言うので、一緒に連れて行ってもらうことにしました。
彼の田舎は都市部から行くと車で8時間くらい、近くのちょっとした町からでも車で3時間くらいのところにあります。村人たちはマユール青年とその奥さんの帰村と私の歓迎も含め、馬小屋で歓迎会を開いてくれました。その村では歓迎会は馬小屋で男たちが料理を作るのが慣わしのようでした。チャパティーを牛の糞を燃料に焼いたり、野菜や豆で様々なものを作ったりしました。ご飯を食べたりしていたらすっかり日も暮れてしまい、あたりは暗くなってしまいました。夜空には今までにみたことがない星が所狭しと溢れていました。

村に戻ると村の少年たちがランプの灯りの周りに集まっていました。少年たちはマユール兄さんの話を聞くために集まっていたのです。マユール兄さんが経験したことや、今していること、そしてこれからすることなどを話しながら、勉強の大切さや世界の広さなどを少年たちに聞かせていました。どの少年たちの瞳も輝いていました。

次の日、マユール兄さんはある家に私を連れて行ってくれました。中に入ると薄暗く、締め切ってない窓の隙間からわずかに陽の光が入っていました。そんなに広くもない部屋にベッドが一つありその周りを5、6人の青年たちが囲んでいました。ベッドにはおじいさんが横たわっていて、その隣には娘さんか親族の方が座っていました。おじいさんは横になりながら、私に聞こえるか聞こえないかくらいの声で何かを話しています。マユール兄さん曰く、おじいさんは村の若者たちに彼の生涯を話しているのだと言う。どのように育って、何を感じたのか、その時代、時代に起きたことや感じたことを彼の言葉で伝えていました。どの青年の目も真剣そのものでした。
死が近い人たちの話を聞くと言う慣わしがこの村には昔からあるそうです。

マユール兄さんの実家では砂糖をふんだんに使った様々なご飯が出てきました。

この地域ではサトウキビが名産で砂糖を入れてあげることがおもてなしの一つなのだとマユール兄さんは言ってました。

そういえば最初に村に着いた時もマユール兄さんのお父さんが畑からサトウキビを刈って持ってきてくれました。それをチューチューしながらお話をしました。

村で2泊して、我々は車で帰りました。最後にマユール兄さんは私をある家に連れて行ってくれました。その家には人がたくさんいました。この村には昔から一人しか医者がいないのだとか。病院がないのでその家が診療所になっていることを教えてくれました。

マユール兄さんと奥さんが帰る時にはたくさんの村人が集まってきて別れを惜しんでいました。
この村の人たちにとっては我々は大統領みたいなものなんだよ。とマユール兄さんは言いました。

帰りの車の中でマユール兄さんは泣いていました。

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