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涅槃経梵行品・称名念仏 私釈
涅槃経梵行品の釈迦牟尼仏に対する称名念仏
涅槃経に云わく、
復次に善男子、波羅奈城に優婆夷の摩訶斯那達多と名くる有り。已に過去無量の先仏に於て諸の善根を種う。是の優婆夷、夏九十日衆僧を屈請して医薬を奉施す。是の時衆中に一比丘有りて身重病に嬰る。良医之を診するに当に肉薬を須うべし。若肉を得れば病則ち除くべく、若肉を得ざれば命将に全からざらんとす。時に優婆夷、医の此の言を聞き、尋いで黄金を持して遍く市里に至り是の如きの言を唱う、「誰か肉を売る有らん、吾之を買わんと欲す。 若肉有らば当に等しく金を与うべし。」城市に周遍して悉く得ること能わず。是の優婆夷、尋いで自ら刀を取りて共の股肉を割き、切りて以て羹を為り、種種の香を下して病比丘に施す。比丘服し已りて、病即ち差ゆることを得たり。是の優婆夷瘡を患いて苦悩し、堪忍すること能わず。即ち声を発して言わく、「南無仏陀南無仏陀」と。我爾の時に於て舍衛城に在りて其の音声聞き、是の女人に於て大慈心を起す。是の女尋いで我が良薬を持して共の瘡上に塗るを見て、還復して本の如し。 我即将に種種の妙法を説く。 法を開き歓喜し、阿耨多羅三藐三菩提心を発す。善男子、我爾の時に於て実に波羅奈城に往至して、薬を持して彼の優婆夷の身に塗らず。
善男子、当に知るべし、皆是慈善根の力、彼の女人をして是の如きの事を見しむ。
復次に善男子、調達悪人貪にして足ることを知らず。多く酥を服するが故に、頭痛、腹満、大苦悩受けて堪忍すること能わず。是の如きの言を発す、「南無仏陀南無仏陀」と。我時に優禅尼城に住在す。其の音声を聞きて即ち慈心を生ず。爾の時に調達、尋いで便ち我其の所に往至して手づから頭腹を摩し、鹽湯を授与して之を服せしむるを見る。服し已りて平復す。善男子、我実に提婆達が所に往いて其の頭腹を摩で、湯を授けて服せしめず。善男子、当に知るべし、皆是慈善根のカ、堤婆達をして是の如きの事を見しむ。
復次に善男子、憍薩羅国に諸の羣賊有り、其の数五百なり。羣黨鈔劫して害を為すこと滋甚だし。波斯匿王其の縦暴を患い、兵を遣わして伺い捕う。得已りて眼を抉り、黒暗叢林に逐著す。是の諸の羣賊、已に先仏に於て衆の徳本を植う。既に目を失い已りて大苦悩を受け、各是の言を作さく、「南無仏陀南無仏陀、我等今救護有ること無し」と。啼哭號咷す。我時に祇洹精舍に住在す。其の音声を聞きて即ち慈心を生ず。時に涼風有り、香山中の種種の香薬を吹きて其の眼匡に満つ。尋いで還って眼を得、本の如く異ならず。諸賊眼を開き、即ち如来其の前に住立して為に法を説くを見る。賊法を聞き巳りて阿耨多羅三藐三菩提心を発す。善男子、我爾の時に於て、実に香山中の種種の香薬を吹くことを作し、其の人の前に住して為に説法せず。善男子、当に知るべし。皆是慈善根の力、彼の羣賊をして是の如きを見しむ。
復次に善男子、瑠璃太子愚痴を以ての故に、其の父王を廃し自ら立ちて主と為り、復宿嫌を念じて多く釈種を害す。万二千の釈種の諸女を取り、耳鼻を刑劓し、手足を断截し、之を阬塹に推す。時に諸の女人身苦悩を受け 、是の如きの言を作さく、「南無仏陀南無仏陀、我等今救護有ること無し」と。復大いに號咷す。是の諸の女人、已に先仏に於て諸の善根を種う。我爾の時に於て竹林の中に在り。其の音声を聞きて即ち慈心を起す。諸女爾の時に、我迦毗羅城に來至して、水を以て瘡を洗い薬を以て之に塗るを見、 苦病尋いで除き、耳鼻、手足還復して本の如し。我時に即ち為に略して法要を説き、 悉く倶に阿耨多羅三藐三菩提心を発さしむ。即ち大愛道比丘尼の所に於て法の如く出家し、具足戒を受けしむ。善男子、如来爾の時実に迦毗羅城に來至して水を以て瘡を洗い薬を塗りて苦を止めず。当に知るべし。皆是慈善根の力、彼の女人をして是の如きの事を見しむ。
悲喜の心も亦復是の如し、善男子、是の義、以ての故に、菩薩摩訶薩の修慈思惟は即ち是真実にして虚妄に非ざるなり。善男子、夫無量とは思議すべからず。菩薩の所行は思議すべからず。諸仏の所行も亦思議すべからず。是の大乗典大涅槃経も亦思議すべからず。
上記涅槃経には称名念仏、「南無仏陀」と称えることによって、仏陀が衆苦を取り除いてくれるという内容である。ここでは称名の功徳4話が説かれていて要約してみると、
第一に波羅奈国の在家信者・摩訶斯那達多が90日間において僧侶たちを招き医薬を布施していたところ、重病の僧侶がおり、医者から肉が必要なることを聞き、金銀を以って街に出て肉を求めたが得られなかった為に、自ら刀を取って自分の太ももの肉を削いで、その肉で羹を作り、香を以って僧侶に施して、僧侶の病を癒したという。
しかし、摩訶斯那達多は傷の痛みに耐えられず、「南無仏陀」と一向に称名して釈尊に助けを求めたところ、舍衛城に在ます釈尊はこれを聞き、慈悲の心を以って即座に良薬を摩訶斯那達多の傷口に塗って癒しされた。さらに釈尊は摩訶斯那達多に説法して菩提心を起こさしめたのだが、ご自身は全く舍衛城から動いたことはなかったのだと云っている。
摩訶斯那達多は過去世において無量の仏陀の下で善根を積んでいたようである。
第二には、仏教教団の反逆者として名高い提婆達多が、アルコールを取り過ぎて頭痛、胃痛などの苦しみに耐えられずに「南無仏陀」と称名したところ釈尊は優禅尼城にてこれを聞き、慈悲の心でもって提婆達多の頭や腹を撫で白湯を与えるなどの手当したのだが、釈尊ご自身は優禅尼城から動いて上記の行いをしたわけではないと云い、しかも提婆達多は上記のことを目の当たりにしたという。これを「慈善根のカ」と仏は云っている。
第三には、憍薩羅国に五百人もの盗賊がいて、多くの人々に害を為して被害が多かったので、波斯匿王は兵隊をもって盗賊を捕らえて、彼らの目を抉って暗い森林に追いやってしまったいう。彼らは目を失って苦悩を受けて、仏に助けを求めて「南無仏陀、現在の我々には救い護られることがない」と祈ると、祇園精舎に在ます釈尊はこれを聞き慈悲の心を起こされた、その時涼風と共に香薬が吹いて盗賊の眼も治り、仏が目の前に立たれて説法をされ、菩提心を発したという。しかし、釈尊ご自身はそれらの行動を意識して為したわけではないとしている。盗賊たちは過去世において無量の仏陀の下で徳本を植えていたようである。
第四には、瑠璃太子は真理に対して無明だったが為に、父王を廃して、王となり、自身の出生の経緯から釈迦族を怨み、一万二千人の釈迦族の女性の耳鼻手足を削ぐという残虐をして穴に閉じ込めてしまった。彼女たちは苦悩から「南無仏陀」と叫んだところ、竹林精舎に在ます釈尊はこれを聞き、即時に迦毗羅城に至って、薬を与えて身体を元通りにして苦悩を除いて、説法して菩提心を起こさしめた。そしてその後彼女たちは大愛道比丘尼の下で出家して受戒したのであるが、釈尊ご自身は実際には迦毗羅城には赴かなかったと云っている。やはり仏はこれを「慈善根のカ」としている。彼女たちは摩訶斯那達多と同様に過去世において無量の仏陀の下で善根を積んでいたようである。
仏の慈善根のカ
慈経に云わく、
凡て活ける物は、欲と怖とを有するものも、安住するものも、残らず、或は長きも、或は大なるも、中庸なるも、短きも。細なるも、麁なるも、或は見ゆるも、或は見えざるも、又は遠方に、又は近くに棲むものも、或は已に生まれ已りて再たび苦の世界に生れざるものも、或は変化的生存の原因未だ尽きざるものも、一切衆生は安泰なれ。
観無量寿経に云わく、
佛心とは大慈悲これなり。
無量経に云わく
其れ衆生ありて、斯の光に遇はむものは、三垢消滅し、身意柔軟に、歓喜踊躍して、善心生ぜむ、もし三塗勤苦の処にありて、此の光明を見たてまつらば、みな休息を得て、また苦悩なく、寿終の後みな解脱を蒙むらん。
法然上人云わく、
即ちかの仏、無量の清浄の光を放ちて、照触摂取したもうが故に、婬貪・財貪の不浄を除き、無戒破戒の罪愆を滅して、無貪善根の身と成りて、持戒清浄の人と均しきなり。
専ら念仏を修すれば、かの歓喜光をもって摂取したもう故に瞋恚の罪を滅して、忍辱の人に同じ。これまた前の清浄光の貪欲の罪を滅するが如し。
しからば無智の念仏者と雖も、かの智慧の光をもって照して摂取したもうが故に、即ち愚痴のとがを滅して、智者と勝劣あることなし
弁栄上人云わく、
世尊かように仰せられ候。たとえ我滅度に入るとも汝等が一心に念仏する時に、如来の法身は汝等が心中に在まして常に汝等を指導す、我世に住すとも異なることなしと、告げ玉うた。
仏が常時持つところの慈悲を被れば、身と心が柔軟になり、歓喜と菩提心を発さしめるのである。「この光」というのが、即ち「慈善根のカ」であり、仏の救いの力の根源である。
無縁の慈悲
涅槃経において、釈尊は自身が不動にして衆生を無意識のうちにその場に向って救っており、矛盾した発言をされているが、実にこれ仏陀の無縁の慈悲というものである。
夢中問答集に云わく、
慈悲に三種あり。一には衆生縁の慈悲。二には法縁の慈悲。三には無縁の慈悲なり。衆生縁の慈悲といつぱ、実に生死に迷へる衆生ありとみて、これを度して、出離せしめむとす。これは小乗の菩薩の慈悲なり。自身ばかりの出離を求むる二乗心にはまされりといへども、世間の実有の見に堕ちて、利益の相を存するが故に、真実の慈悲にあらず。維摩経の中に、愛見の大悲とそしれるは、これなり。法縁の慈悲といつぱ、縁生の諸法は有情非情みな幻化のごとしと通達して、如幻の大悲を発し、如幻の法門を説いて、如幻の衆生を済度す。これ則ち、大乗の菩薩の慈悲なり。かやうの慈悲は、実有の情を離れて、愛見の大悲には異なりといへども、なほも如幻の相を存するが故に、これも亦真実の慈悲にあらず。無縁の慈悲といつぱ、仏果に到りて後、本有性徳の慈悲現はれて、化度の心を発さざれども、自然に衆生を度すること、月の衆水に影をうつすがごとし。然らば則ち、法を演ぶるに、説不説の隔てもなく、人を度するに、益無益の相もなし。これを真実の慈悲と名づく。
「仏果に到りて後、本有性徳の慈悲現はれて、化度の心を発さざれども、自然に衆生を度すること、月の衆水に影をうつすがごとし。」であるから、無意識中に衆生を救うのである。
観無量寿経に云わく、
時に韋提希、幽閉せられをはりて愁憂憔悴して遥かに耆闍崛山に向ひて、佛の為に礼を作して是の言をなさく。「如来世尊、むかしのとき、恒に阿難を遣はして、来してわれを慰問したまひき。われいま愁憂す、世尊は威おもくして、見たてまつることを得るに由なし。願はくは目連尊者阿難をして、我がために想見せしめたまへ。」此の語を作しをはりて悲泣して涙を雨らし、遥かに佛に向かひて礼したてまつる。未だ頭を挙げざる頃に、爾の時に世尊、耆闍崛山に在しまして、韋提希の心の所念を知ろしめして、即ち大目犍連および阿難に勅して、空より来らしめ、佛は耆闍崛山より没して王宮に出でたまふ。
仏と衆生の親子関係
法華経に云わく、
今ま此の三界は、皆な是れ我が有なり。其の中の衆生は、悉く是われ吾が子なり。
仏陀は一切衆生を慈悲の心でもって、仏の子として常に憐れむ。
善導大師云わく、
一には親縁を明す。 衆生行を起して口に常に佛を称すれば、佛即ち之を聞きたまふ。 身に常に佛を礼敬すれば、佛即ち之を見たまふ。 心に常に佛を念ずれば、佛即ち之を知りたまふ。 衆生佛を憶念すれば、佛もまた衆生を憶念したまふ。 彼此の三業あひ捨離せず。 故に親縁と名く。
二には近縁を明す。 衆生佛を見んと願ずれば、佛即ち念に応じて現に目前に在ます。 ゆえに近縁と名く。
三には増上縁を明す。 衆生称念すれば、即ち多劫の罪を除く。 命終んと欲る時、佛、聖衆とともに来りて迎接したまふ。 諸の邪業繋も能く礙るもの無し。 故に増上縁と名く。
仏は衆生の身・口・意の三業に呼応して、すべてを照覧し現前に現れ、恩寵を与える。
首楞厳経に云わく、
譬えば人ありて、一は専ら憶念を為し、一は専ら忘るるが如し。是の如きの二人、若しは逢い、若しは逢わず、或いは見、或いは見ること非し。二人相を憶うて、二の憶念深ければ、是の如く乃至生より生に至るに、形と影とに同じうして相乖異せず。十方の如来、衆生を憐念にしたもうこと、母の子を憶うが如し。若し子、逃逝せば、憶うと雖も何か為ん。子若し母憶うこと母の子を憶うがご如くなる時は、母子正を歴るとも相違遠せず。もし衆生の心に、佛を憶い佛を念ずれば、現前にも当来にも必定して佛を見たてまつり、佛を去ること遠からずして、方便を假らずして自ら心を開くことを得ん。譬えば香に染める人の身に香気あるが如し。此を則ち名けて香光荘厳と曰う。
母と子の憶念深く一つになっていれば、形と影とに同じくして相違しないとする。
南無の功徳
法華経に云わく、
一たび南無佛と稱せし、皆已に佛道を成じき
善導大師云わく、
南無と言うは、即ち是れ帰命、また是れ発願回向の義
道元禅師云わく、
いはゆる帰依とは、帰は帰投なり、依は依伏なり。このゆえに帰依といふ。帰依の相は、たとへば子の父に帰するがごとし。依伏は、たとへば民の王に依するがごとし。いはゆる救済の言なり。仏はこれ大師なるがゆえに帰依す
仏と衆生の感応道交するところに救済が確定する。
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