見出し画像

菊池風磨の次に、赤西仁をリスペクトしている自信がある

僕はイケメンが大好きだ。でも恋愛対象は女の子だし、正直に言うとイケメンより可愛い女の子の方がめちゃくちゃ好きだ。しかし、イケメンが好きだ。

母のジャニーズ好きの影響をこれまでかという程受け、僕も嵐ファンを10年以上やっている。妹はとあるJr.のグループのファン、ジャニオタ一家だ。

なんなら僕、ジャニーズのあるタレントと苗字が一緒だから、彼と同じ名前になりそうだった。その話を聞いた時、名前負けするから今の名前でよかったと心底安堵した。いや本当に。

一番好きな女性芸能人は?と聞かれると、少し迷ってから川栄李奈と答える。結婚してしまってからは、質問者によって江野沢愛美とも答える。しかし、好きな男性芸能人は?の質問に対しての答えに迷いはない。赤西仁と答える。


恋愛漫画風に表現すると 「第一印象はサイアクだった。」

僕がKAT-TUNに初めて出会ったのは、恐らく2009年のベストアーティストだ。この頃の僕は、駆け出し嵐ファンだった。この世に生を受けて10年目の冬の話である。

その頃すでに、”嵐はジャニーズ事務所所属のアーティストである”  ”ジャニーズ事務所には他にも顔がかっこいい人達のグループがいっぱいある” というこの世の仕組みを、小学生のちっぽけな脳みそで理解はしていた。

嵐にはまっていた僕は、それまで興味が全くなかった、音楽番組というものを母親と一緒に見るようになっていた。特にベストアーティストは、僕が大尊敬していた櫻井翔が司会を務めていたということもあり、他のジャニーズのタレントの出番も全て見た。

その番組内でのNEWSの「恋のABO」からの修二と彰、そしてKAT-TUNの「ONE DROP」の流れは、今でも鮮明に覚えている。


小山の「YOU達何型?」から始まる、よくよく考えると意味が不明なアッパーチェーン。10歳の僕は大好きだったし、なんなら成人済みの僕も大好きだ。一番好きなキャラクター(?)は二番の ”HEY O プライドエベレスト”。当時を振り返ると、山Pと錦戸という人気ナンバー1、2に隠れている、歌がうまい手越のナンバー3感がすごく良かった。今の手越も好きだけどね。

そのまま続いて修二と彰。微かな野ブタの記憶が蘇った。何よりも亀梨と山Pの顔の美しさ。あれは今なら言える、美の暴力。本当に憧れていて、踊りも覚えた。一番前に立っている女の子に接近して歌っている亀梨を見て、アイドルってすごい、、と謎の感銘をしたのも覚えている。

その後のKAT-TUNだ。単刀直入に言う、小学生の僕にはKAT-TUNのかっこよさが理解できなかった。

まず歌っている曲、「ONE DROP」暗い、怖い。そして風貌、みんな怖い。嵐、NEWS、Hey!Say!JUMPなどキラキラ王子様系(当時の僕の一括り)=ジャニーズだと思っていた僕は、KAT-TUNを見て、「こいつらは違う、僕が知っているジャニーズじゃない。」と生意気にも腹立たしく思った。衣装はバラバラ、ヤンキーみたいな人いる(田中聖)、亀梨じゃない方のセンターはハットで顔がほとんど見えない。今考えたらそれがKAT-TUNの魅力であるという部分も、全て理解できなかった。BYE BYE 過去の過ちよ。


そんな僕の退屈な常識にドロップキックをしてくれたのは他ならぬKAT-TUNだった

他の音楽番組を見てもやる気なさそうだし怖いし、嵐もそうだが、ジャニーズ全体が好きだった僕が、好きになれなかった唯一のグループだった。印象的だったのはその年のジャニーズカウントダウンコンサート。他のグループの曲を歌うシャッフルメドレーというものがあり、KAT-TUNはNEWSの「希望〜Yell〜」を歌っていた。しかし彼らは本当に踊らない。NEWSに対するリスペクトはないのかよ、と10歳に僕が思うくらいには踊らない。中丸だけ割としっかり手を振って踊っていた記憶がある。赤西仁、彼が一番意味不明だった。歌ってすらもなく、マイクをリコーダーみたいに扱って遊んでいたのを覚えている。ギリギリ攻めて生きすぎだよ本当に。

いつかは忘れたが、年が明けて間もない頃かな。嵐を見るために見ていたMステにたまたまKAT-TUNが出ていたのを覚えている。歌った曲は「Love Yourself〜君が嫌いな君が好き〜」と「THE D-MOTION」この頃、英語がかっこいいという誰もが一度は通る道を歩きかけていた僕は、どの曲にもだいたいある、最後のサビ前の赤西の英語パートがめちゃくちゃかっこよく聞こえた。なんと単純な男の子であろうか。

サングラスをしていてもいい、髪の毛を後ろで結んでいてもいい、やる気がなくてもそれでもいいと思わせるような存在感だった。ステージを見終わって、すぐに母親にパソコンを使っていいかを聞き、赤西仁をヤフーで検索した。10分もないステージで、僕が嫌いだった君が好きになっていた。

幸運なことに、hyphen(KAT-TUNのファンの名称)の友達がいたので、その子の家でDVDを見たり、雑誌を見たりして赤西仁へのめり込んでいった。髪の毛をジュニア時代の外ハネにしようと思い、”へああいろん”というものを母親に買って欲しいとねだったり、家のパソコンで髪の染め方を検索し、茶髪にしようとしていたのが検索履歴からバレて本気で怒られたり、ちょっとやる気のない自分を演じたりもした。今考えると小学生の僕、めちゃくちゃダサくて可愛い。

”赤西に憧れる”という、100人中98人が「間違っている。」と答えるような小学校生活を送り始めてから数ヶ月、彼はアメリカへ飛んでいってしまった。この時思ったことは、「僕も将来留学しよう」だった。前も留学していたし、いつか戻ってくるだろうと淡い期待をしていた純粋な僕の想いは届かず、彼がKAT-TUNに戻ってくることはなかった。まぁ、運命はDon't stopだからね。しょうがないね。

その後赤西はソロデビューするも、現実的にできそうな岡本圭人の髪型を真似ていた僕は、赤西のことはすっかり忘れていた。小学生ってそんなもんちなみにこの時僕が通っていた美容院のアシスタントさんが、めちゃくちゃ赤西に似ていた。ウソみたいな実話です。


わがまま言っててジャニーズに居場所は無くなっても

赤西を再びリスペクトするようになったのはいつ頃なのか、はっきりとは覚えていないが、中学三年生の頃はすでに好きだったことは確かだ。というのも、中三の夏休み、受験の天王山、僕は髪の毛を染めた、もちろん彼に憧れて。茶髪にした。母親に一瞬でバレて、三日で黒染めしたけどね。

彼のシングル「good time」のジャケット写真をラインのホーム画像にしていた時期があった。赤西が女の人のブラホックを外している写真だ。この写真のせいで純粋な女の子に変な勘違いをされたこともある。

帽子が壊滅的に似合わないのに、ハットを買ったこともある。仲良い友達に本気で笑われて、被るのをやめた。ブックオフでうまい棒数本分の値段になった。

少なからず僕の人生に(悪い)影響を与えてくれた赤西仁。今考えると、真似することが烏滸がましいくらいだし、完全に黒歴史を産んだだけである。しかし、彼になりきっているときは、常にSuper Heroな気分だった。

この記事が参加している募集

私のイチオシ

競馬に挑戦します。