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見張る者の日が来る(2022年6月9日)

「ああ、悲しいことだ。私は夏のくだものを集める者のよう、ぶどうの取り残しの実を取り入れる者のようになった。もう食べられるふさは一つもなく、私の好きな初なりのいちじくの実もない。敬虔な者はこの地から消えうせ、人の間に、正しい者はひとりもいない。みな血を流そうと待ち伏せし、互いに網をかけ合って捕らえようとする。彼らの手は悪事を働くのに巧みで、役人は物を求め、さばきつかさは報酬に応じてさばき、有力者は自分の欲するままを語り、こうして事を曲げている。彼らのうちの善人もいばらのようだ。正しい者もいばらの生垣のようだ。あなたの刑罰の日が、あなたを見張る者の日が来る。今、彼らに混乱が起きる。友を信用するな。親しい友をも信頼するな。あなたのふところに寝る者にも。あなたの口の戸を守れ。息子は父親を侮り、娘は母親に、嫁はしゅうとめに逆らい、それぞれ自分の家の者を敵としている。しかし、私は主を仰ぎ見、私の救いの神を待ち望む。私の神は私の願いを聞いてくださる。」ミカ書 7章1〜7節

この世において人からくるものには、実は善も悪もなく、右も左もありません。それらを巧みに操るこの世の神である悪魔(サタン)によって、人権は奪われ、全体主義的な世界に近づいていくのです。隣国が近くにミサイルを撃ち込むのも、国の世論を「強い軍隊を持つ」「老若を問わず、兵を集める」という世界に誘う為の演出にすぎません。疫病を利用して、恐怖を煽り、同じ行動に至るように誘導することも計画のうちです。やがて全ての個人は管理され、互いに監視され、「見張る者の日」が来るでしょう。
そして、そうした終わりの日の予兆を私たちが感じる中で、それまで親しかった友人でも、家族ですら、その考え方を違えてしまい、分断され「愛が冷えた状態」になりつつあります。ですが、これも全て聖書の中に神の言葉として予告されています。恐れずに、日々祈り、その時を待ちましょう。

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