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やがて来るその日、携挙について(2022年6月12日)

「眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちにご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主と共にいることになります。こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。」テサロニケ人への手紙第一4章13〜18節

「兄弟たち。それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。しかし、兄弟たち。あなたがたは暗闇の中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。」テサロニケ人への手紙第一5章1〜4節

救い主であるイエス・キリストを受け入れ、自らの中心に置いた真のキリスト者(クリスチャン)が、終末に訪れる「7年間の患難」を前に天に引き挙げられ、空中でキリストに会うことを「携挙」と言います。携挙によって真のキリスト者が引き挙げられるとき、ある一定の年齢以下の子供たちも同時に引き挙げられると言われています。ですから、携挙が起これば地上は大変な混乱に陥ることになるでしょう。その後、地上には様々な患難が訪れます。

今はまさに背教が進み、人々がこの世のものに囚われ、神抜きのことを何よりも優先する、そういった時代の中にあります。
神は「ひとりとして滅びることなく(ヨハネの福音書 3章16節)」とあるように、今は忍耐しておられます。しかしながら、「麦と毒麦」を選り分けるように、その時が来たならば、直ちにキリスト者は天に引き挙げられ、終末が始まるのです。

携挙について、その後の7年患難についてはモトイトクメイ氏のメッセージが分かり易いです。

携挙はこの世の神である悪魔に支配された今を生きるキリスト者にとって、唯一の希望です。昨今、ますますこの世の闇は深まり、産みの苦しみの時は近いと感じられます。世界的にあらゆる災厄、戦争など、私たちの生活や人生を脅かすようなことで煮詰まってきています。単純にこの世の基準で考えれば、不安があったり、私たちの努力で何とかしなくてはならないと思ってしまいがちですが、実は今、私たちは神に全ての信頼を置いて委ねる事ができるかという大きな節目に立っています。

「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って、心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」マタイの福音書 6章31〜34節

この混沌とした時代でも神は全てを支配され、私たちが生きるための全てを賄ってくださいます。また、キリスト者はやがて来る携挙によって患難より守られます。そして、患難の先には神によって祝福された世界が待っています。しかし、そこに至るには絶えず祈り神とつながる、神から離れないという必要があります。

どうか、これを読んでくださった方で、まだイエス・キリストを救い主である神として受け入れていない方は次にご紹介するメッセージをお聞きください。イエス・キリストを信じ受け入れるということはどのようなことか、お分かり頂けるのではないかと思います。


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