新橋でおりがみ折った【感想】

こんばんは。バトルフェイス木村です。
慈恵の合否発表もあり、産業医大の二次試験は辞退しましたので、木村の受験は正式に終了しました。

さて慈恵の結果ですが……昨年呼び出しにかかった番号以内での補欠合格でした。

3/20追記 繰り上げ合格

慈恵までに打つ手は打ったので変な満足感があります。おそらく昨年よりさらに数を絞る気がして、回ってこないような気もしますが……まあ、回らずともやりきった感があり、もう医学部受験は良いかなと言う気分です。

備忘録がてら試験を振り返ってみようと思います。正規でも不合格でもない人間の感想戦というのも、また悪くないのではないでしょうか。ではどうぞ。


2/18

筆記当日2/18。木村は普段大阪に住んでいるのでなんとなくで受験票の送り先を関東の実家にしていたのだが、なんと実家が受験票を失くす始末。親を責めようとは全く思わず、自分で大阪に送り自分で持っておけば良かったので、猛省する。慈恵は規則に厳しいと聞く。この時点で俺は慈恵に行く資格ないのでは……とナイーブに。息を切らしなんとか東京流通センターに到着し、恥を忍んで再発行を願う。さて駆け込んだ1教科目の理科、とにかく物理を粘る。粘りに粘りすべて埋めたが、化学がそのせいで押してお話にならない出来である。脚は残ってそうなので数学気合。木村は数学がイマイチなので、微積と確率に90分丸々使う。結果としてこの2問を当てて、まだ脚が残る。最後の英語。文章の大意はわかるが……選べない。微妙な出来だと思いつつ、ギリギリワンチャンスをつかめないか。そんな気持ちで終えた。

さてそれから、山形大学の面接の後、山形の飲み屋で結果を見た。結果は一次通過。二次で巻き返せばまだどうにかなるのではないか…と奮い立たせる。あとから自己採点したが、英数理の順に55-40-120くらいの出来でギリギリの通過だったのではないかと思う。

3/1の思い出

さて恐怖的な面接である。慈恵の面接について語ることはどこかで制限されているのか、どうもボカされている。怒られたくないので、河合塾の面接メモに載る程度のことを書こうと思う。

まざはMMIである。6連続で本当に恐ろしい。さて第一室。アイスブレーク的にまずはこれまでの経歴を聞かれ、阪大をやめ、医師を志す理由について聞かれる。これは山大と同じで、高校の頃は学力が及ばず…という下り。しかしここから厳しい追求が飛んでくる。大学院1年目で辞める理由は。まずは大学に進んで視座を上げたかったのはわかったが、それなら大卒とともにやり直せばよいだろうと。ここは誠意を持って研究の特殊さについて説明した。学会がM1の夏頃にあり、途中で辞めるにはあまりにも中途半端な研究に取り組んだことや、産学連携、ほかの大学との連携のある研究だったので年度またがりであったことを説明した。これである程度納得してくださり、研究をわかりやすく説明して、と言われました。材料系の研究をしていたので装具などに転用できるかもね…と言う話をした。しかし最後の最後に「そのガッツがあれば今頃お医者さんだったのにね……」と痛いところをちくりとさされ、終わりました。

第二室はツイッターにも結構書かれている折り紙である。木村は日本で初等教育を受けていないこともあり、折り紙を折った経験がほとんどない。戦慄する。指示を見て折れというが、指示のなかの中割り折りが意味不明である。中を、割って、おる?面接官に「ここがわからなくて…」と申し上げるが、自分で考えるようにと言われる。黙りこくるのがまずいと思ったので形は似せてみますね……なんていいながら作ってみる。幼少期の体験を折りながら聞かれ、やはりマルチタスクを見られてるのかなと思った。

最終的に折り紙は指定されたとおりには作れなかったので、タイトルを付けるように言われたが「自由なくじゃく」と銘打った。先生は、まあ形は似てるもんね、と理解は示してくださった。…が、内申穏やかではない。

第三室では高齢者の運転をテーマにした議論。ケースアタックのちからを聞かれているようでおそらく合意をつくることが大事なように思える。意見は先生から褒めていただいたが、しきりに「勉強になります」なんて答えて、先生の意見を尊重しながら考えてみるということをした。

第四室はまさかの朗読を求められる。詳説が与えられて、その朗読と、登場人物の心情を考えるように言われた。びっくりしつつも、できるだけ慈恵のポリシーを抑えつつ答えた。

第五室。ボードを渡されて、資料の説明。これがまた情報量の多い資料で、7分間の中でどうまとめ上げるかというのが難しかったが、卒なくこなせたと思う。

最後に第六室。規律についての意見を求められた。ケースに対してどういう行動を取るか?ということを聞かれたので、もっとも妥当そうなものを選ぶと、意外な観点からの切込みがあり、素直に先生の意見に理解を示しつつ、新しい提案をするという形で受け答えた。

感触は悪くない。第二室の折り紙がかなり気がかかりで、しかも先生の質問にも結構意味不明な受け答えをしてしまったので、それが微妙に気がかりに残る。

最後に小論文である。が……小論文、テーマがあまりにもややこしい。ユマニチュードという初めて聞く単語を具体例に、本当の意思表示とはどういうことか?といった内容をテーマにした哲学的な文章。平常心なら書けてしまうのだろうが、本番、周りは賢そうなエリート揃いだと足もすくみ気持ちも萎縮し、なんともうまく書けない。下書きに結構な時間をかけてしまい、時間が……ない。結局1500文字ほど書きたかったのに1200文字くらいしか書けなかったと思う。未完成なのはヤバいのである程度のところでまとめ上げられたが、小論文も気がかりである。

しかしやるべきことはやった。山形も受け終わり、本当に本当にこれでおしまいである。やりきった、良く頑張った。自分で自分を褒めて、新橋から帰った。

それから

翌日に京大卒で再受験されたポジ不安定さんと、早慶上理卒で再受験されたtakさんとの飲み会があったので、折り紙の下りで楽しく酒坏を交わした。もちろん折り紙で落とされることはないのだが、まあ落ちてもネタにできるなとか思いながら、3/9を待った。

結果は……補欠合格である。おそらく一次は500人の中でもドベに近いので、だいぶ二次で捲ったと思われる。開示がなければわからないが、ジャンプアップ賞とかあったら絶対に受賞できる(冗談)

もちろんすべて満足行く二次試験ではないし、というかそもそも正規ではないし、補欠も回るかわからないのですが、一生懸命準備して、23年間生きて考えてきたことを全部ぶつけられたので、悪くはないのではないかなと思います。僕の中でとても心に残る、面白いイベントでした。

おしまい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?