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喜びとは何か

第244回マージーサイド・ダービー/Tunnel Accessを鑑賞した。通常の勝利でさえ琴線に触れるドキュメンタリーも、この戦いにおいては全くの別物だった。重厚に共鳴するサポーターの声、叫び。このゲームを現地実況で聴けたなら毛が逆立つ興奮をより強く味わえただろう。時間差で勝利の実感が湧き上がる。

私は、痺れる準備などできていなかった。

実のところ、喜びと余韻を通り過ぎ、実感を得てもまだ勝利を消化できていない自分がいる。マージーサイドの雌雄を決する、それもグディソン・パークで。これがどんな意味を持つのか。前回の勝利は記憶から薄れる一方だ。いざ手にした感情とクラブの現況、現場の努力を重ね合わせ、苦しいシーズンと想いを巡らせる。

まず感じたのは、ダイシ・フットボールの最高到達点に来てしまったのではないか?ということ。これ以上のゲームを見られる日が来るのか?もし来るなら果たしてどんなゲームだろうか?このダービーの勝利で、順位などどうでもよくなりそうな自分がいる。そう、満足したのだ。

仮に、これ以上のゲームに到達した場合、それはどんな瞬間か?例えば、現・両者の成績による開きがより狭まった時だ。互いが優勝を目指す位置、欧州への切符を懸けた位置、勝敗により立場が入れ替わる時、きっと今回の14年ぶりとなる勝利を超える瞬間として刻まれるかもしれない。

では、それはいつやってくるのか?
14年?途方もない時間だ。私は14年後もエバートンを追っているとは限らない。

ダイシのフットボールがそこに導くことができるのか?新たな指揮者が連れて行ってくれるのか?そんな甘い話があるだろうか。新たなオーナーの運営が、マージーサイドの両者を切磋琢磨できる関係性へと成長させられるのか?
この魂が震えた勝利は、現場が、選手の努力と姿勢が、監督やスタッフが、そして熱心なサポートを続けたファンが掴んだものだ。

新スタジアムはどうだろう?グディソンパークと同等の、或いはそれ以上の空間を創り出すことができるのか?何年も、何十年も通い続けたシーズンチケットホルダーは新たな本拠地でどのような存在となるだろう。その子どもたちは?毎試合ほぼ満席だった歴史あるスタジアムは姿と形を変え、来シーズンで最後の年を迎える。

少し話が逸れたが、ダイシ・エバトンの最高潮が過ぎてしまった、そんな気がした勝利だった。決して悪いことではなく、この凄惨なシーズンでメンタリティを軸に植え付け、絶えない闘志を育んだダイシの功績は本当に素晴らしい手腕だったと感動している。誇っていい。メンタリティに花が咲いたのだ。いつか開いて欲しい、報われて欲しい、そう思っていたが、もうその時が来てしまった。

一方で、今のスタイルで、ダイシの哲学で、更なる先の壁を超えていく見違えるようなエバートンを見つけられるのか。今、クラブが抱える問題、課題、黒く枯れた蔦のように蔓延る腐敗が、私のポジティブなイメージを蝕んでいる。それでも、この勝利が見られるのなら、味わって噛み締めることができたなら、それもまた良きフットボールだと腑に落ちる自分もいる。

勝利は喜ばしい。これ以上の喜びとはなんだろう。もちろん更なる高みは現代フットボールにの世界にいくつも用意されている。限りある椅子に座り、その舞台を夢見ることも可能なはずだ。そこまで耐えられるだろうか。抗えるだろうか。果てしない道のりだ。
しかし、ふと立ち止まる。私が求めるエバートンは欧州の常連になること、チャンピオンズリーグでベスト8、ベスト4、クラブ史に刻む好成績を残すクラブになって欲しい、そんなことなのだろうか?

きっと今は、その答えは見つからない方がいい。答えがないからこそ、探究心が増し、趣味を過ぎた好奇心が継続し、予想もしない瞬間に巡り逢う。そこに意味を見出すため、こうして再び言葉を残すだろう。知らない世界があることは良いことだと、この3年連続の残留争いで嫌なほど味わった。

14年は果てしない時間だと言ったが、前回のグディソン・パークでの勝利から14年以上追い続けてしまったのも事実だ。そして、あの瞬間が今までのゲームで最高だったか?と問われると「違う」と答えることができる。なぜなら、ひと続きのドラマを、終わりがいつか知ることもなく見続け、蓄積された文脈がページを更新し、その道中で私たちは少しずつ成長しているからだ。山あり谷あり、歩めば嫌でも深まるものはある。

そう、我々にとって「マージーサイド・ダービー」は特別すぎる。章を跨ぐほどに、ファンとしての気持ちが塗り足されていく。エバトニアンである私たちの特権だ。凝り固まった弱気な自分を変えてくれた、最高のゲームだった。例え万全のパフォーマンスではないリバプールが相手だったとしても。勝利という事実だけが、この感情を生んだのではない。

ダイシは直近のブレントフォード戦へ向けた記者会見で、この勝利の余韻に浸らないことが重要だと話していた。
その通りだ。私もこの雑多な気持ちを文字に残し、また次を見据えようと思う。

監督が変わっても、選手が入れ替わっても、スタジアムが変わっても、エバートンが存在し、リバプールがライバルでいてくれたなら、私はまた新たな喜びを目指すだろう。伴うのはそれ以上の苦労だったとしても。

今季も残りわずか。
休まず戦ってきた、共に想いを共有してくれた、意見を交わしてくれた極東のエバトニアンたちに心から感謝して、またいつものライフサイクルに戻っていく。新たな長いトンネルにアクセスすれば、きっと異なる喜びが待っている。

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