眠れないのは

 今夜眠れないのは、今日という日が楽しかったからだ。私にとっては重要なことだからこれから何度でも書く。
 看護師から眠る前の眠剤を貰い、そして飲んだ。数十分経てば効いてくるであろう。しかし、たぶん眠れない。否、眠りたくないのだ。両腕全体がぞわぞわと疼いて、眠ることへの不安を表している。そして私の意識はコーヒーのカフェインを欲している。今、本当に眠る気は無いのだ。最初の眠剤が効いてくれていれば、意識朦朧、身体のふらつきがあるうちにベッドへ潜り込んで眠ってしまえるだろうが。
 しかし、私には眠りたくないという意思がある。それを遂行するべきか否か、自分の眠気にかかっている。
 今、頭がぐらつき始めた。文字を読むのも辛い。だが私はまだ眠らない。今日の楽しさは今にしかない。それをたくさん反芻する時間が欲しい。必要なのだ。
 個室の小さな明かりを灯して日記を書く。スクラップブック作りがとても楽しかった。看護学校の研修生とお話をしてとても楽しかった。そんな楽しかった出来事を、今日という日に忘れたくないのだと思う。日々は無常に埋もれていくものだ。ただの日常から綺麗に切り取った楽しい出来事を思い出のノートに貼り付けてしまおう。スクラップブックが華やかになるなあ。
 楽しかった日の気持ちの高揚感が未だに続いている。現在時刻二十一時五十分。あと一時間程で次の眠剤を貰いに行く。それで眠れたとしたら、楽しかった今日という日は、日常の中に埋もれてしまうだろう。今夜中に今日が楽しかった日であることを自分の中に刻み込んで知らしめる必要がある。朝が来るまでに。夜明けまでに。
 スクラップブック作りがとても楽しかった。私は天使と蝶が好きだから、そのシールを貼った。たくさん貼っていくと気分が明るくなった。
 研修生とのお話がとても楽しかった。話題こそ合わないことが多いが、合わなかったとしても楽しかった。でも話した後は少し疲れてしまった。次のお話の時はどんな話題を出してあげようかな。
 楽しかったのはこの二つだ。これのおかげで眠れないのだ。そして意識的に眠りたくなくなるのだ。楽しかった今日という日にまだいたい。夜を長く感じて、今日の残りを感じたい。朝なんてまだ来なければいいのにとすら思い、そして願う。次の朝に今日と同じ楽しみは絶対に来ない。その日の楽しみはその日のうちにしかない。でも朝は来てしまう。だから私は楽しかったことを記録した。この時を将来忘れないために。思い出せるように。これでやっと眠れるのかと思いきや、やっぱり眠ろうとしない。これからカフェインをコーヒーから摂取しようと考えている。眠りたくない、今日という日に留まりたい。わがままだろうか。
 ベッドの布団は畳んだままであり、枕のしわも無し、シーツもきっちりと綺麗な状態にある。その上に座ってみる。眠れるだろうかと試しに体をじっとさせて瞑想をしていたが、眠気よりも例の腕の疼きが酷かった。もう眠るなと体が伝えているのだろうか。私も眠りたくないと再三書いている。それは楽しかった今日という日のために眠らないのだ。不眠症上等、眠ることよりも楽しかった今日に浸っていたい。朝が来たら終わりだ。「楽しかった今日」という日は無くなってしまう。悲しい。寂しい。しがみつくことは悪いことだろうが、それでも私は楽しかった今日とずっといたい。
 しかし、半ば諦めた。記録でもって事を終わらせようと思う。記憶と記録、どちらも使って楽しかった今日という日に有終の美を飾ろうと。ごめんね、そして、ありがとう。眠れなくなることが今日が楽しかったからというのはなかなかないと思う。しかし、この考え方は私の感受性など心の部分を進化させてくれるだろう。そう願いたい。
 朝が来る。東の空が明るみを持ち出した。
 私は仮眠をとって、また楽しみを探し始めた。

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