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君の影を探して 晩春

 晩春。夏を間近に感じる、太陽の光と、暑さとを含んだ暖かな風が吹いている。桜の花弁は、甘い香りと共に風に乗って山里へと降りてくる。時にひらりひらりと舞い降りて、アスファルトの上を風と一緒に歩き回る。散歩をする私を追い越し、春の終わりへと先導するかのように、その薄桃色の小さく儚い姿は、いつかの君のようだった。

 はて、“君”とは誰のことだろう。思い出せるかどうかも怪しい、遠い記憶のことなのか。はたまた自らが作った幻想か。ただ、確かにそこに“君”がいるような気がしたのだ。桜の木の下に埋まっている死物の幽霊でも見たのかしらん。

仏には 桜の花を たてまつれ 
我がのちの世を 人とぶらはば

 西行が詠んだ歌である。ふと思い出した。
僕の先を行く“君”は、桜吹雪に僕を包んで、そのままあの世まで連れて行ってくれるのだろうか。

 僕の人生は今代限りの、それこそ実りもない、花も咲かない、葉、茎、芽どころか根っこが不安定なものであるが、いつかの春に“君が”夏の便りをくれたから“君”のために夏まで生きた。夏には秋の、秋には冬の、冬には春の便りをくれたから、僕は次の季節まで生きることができた。でも、それも、いつまで在るのだろうか。

くねるアスファルトの川と桜花
君と共に歩く あの世へと


 桜が散れば、もうすぐにでも夏が来る。五月の初旬に立夏がやってくる。五月、新緑、風薫る。しかし言葉にも旬というものがある。語るのにはまだ早いだろう。あともう少しの辛抱だ。夏にはまた、木陰に“君”の影が潜んでいるだろう。

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