アフリカへ行く

わたしは、ネパールの輸入雑貨ビジネスをしている時に、大手民族雑貨商の八王子にある倉庫を見させていただいて、そこでアフリカの雑貨コーナーがあり、その素朴でシンプルであたたかい感じに魅了され、いつしかアフリカに行きたいと強く思うようになった。

青年海外協力隊に3回試験を受け、希望地にアフリカと書くもいずれも不合格、観光旅行ではケニアのサファリや南アフリカくらいしか出てこない、国際援助団体のボランティアに行くにも滞在費など自分持ちでとてもその金銭が捻出できない、2005年ごろからNGOが主催するワークキャンプに参加するという一覧がインターネットに流れるようになったが今ひとつピンとこない、2002年にスペインに行ったついでにモロッコに2日ほど立ち寄ったが、それはアラブのアフリカであって、本場ブラックアフリカに行きたいという思いが強くなっていた。

そのころ三重県の桑名でナイジェリアの人にジャンベを習うようになり、アフリカに行くなら西アフリカ、英語ならカタコト話せるのでナイジェリアかガーナを考えていた。2013年にアマアフリカでギニアのワークショップを知ったが、フランス語の国なので躊躇していた。前述したように金銭的な都合がついたのと仕事(勤めから外れて自分の事業も軌道に乗っていない)の状態も行くにはこの機会しかなかったので、2014年2月に1ヶ月のワークショップに申し込んで、アフリカ、ギニアに行ってきた。

まず、行くだけでフランス、パリ経由で飛行機を乗り継ぎ3日間かかった。ギニアは西アフリカの国で日本のJAICA(国際協力機構)が入っていないので公式上はあまり情報が入ってこない。しかしジャンベなどのアフリカ音楽をやっている人の間では、ジャンベ発祥の地ともいわれ、それを大成したママディ・ケイタの出身地ということもありアフリカで一番音楽レベルの高い国の一つと聞いていた。英語にこだわっていたが言葉で行く国を選択するのももったいないと思った。

首都コナクリにつくと、人々の肌の色の真っ黒さにまずびっくりした。赤道に近くサハラ砂漠以南のブラックアフリカいわれる地域のど真ん中だけあって、ここ以上に肌の色が黒い所は無いと思った。次に空港から街へ出ると、フロントガラスが割れた車に案内され、それで宿まで向かうという、車に乗っていると道路の中央分離帯で子どもが様々なものを売っていて車が停まるたびに寄ってくる。日本とは比べ物にならないくらい貧しい国なのだ。想像をはるかに超えていたのでショックだった。

宿は一軒家をこのワークショップでまるごと借りて参加者で共同生活する所で、がらんとした部屋がいくつかあるだけで何もなかった。日本の夏が年中続いているような所なのにエアコンもなし、冷蔵庫もなし、電気は夜しかこないので、夜大きめの扇風機を2人で使って寝るというような感じだった。水道は蛇口があったので、ひねれば水が出ると思いきやそれはダミー(偽物)で水が来ていないため、井戸までポリタンクなどをもって汲みに行かなくてはいけない。それは子どもの仕事で大人でも大変な重さの水を子どもが汲んできていた。

このギニアでの様子は当時ネット上に残したブログがあるので、そちらを見ていただきたい。
https://blog.goo.ne.jp/ramones1234/arcv/?page=1&c=&st=1

物がなく、全体的に貧しく、娯楽がほとんどない、子だくさんで、ほとんどの家事が人力、テレビや新聞もない、しかし10年間精神医療や精神保健福祉の仕事をしてきた身としては、ここは地上の楽園ではないかと思った。というのも家が狭い分、一つの部屋を家族全員で住んでいる家庭もあるくらいな所で、ひきこもりたくてもひきこもる場所が無い、ここには「ひきこもり」の問題は存在しない。また社会が貧しくともシンプルで、いい意味での社会規範があるため「先進国」特有のメンタルヘルスの問題は起きないだろうと思ったからだ。事実、子どもは皆むじゃきで元気で、そこら中を走り回っていて、小学校高学年くらいになると赤ちゃんをおぶっていたり、働いている子どももいるけど、皆一様に明るく、暗い辛そうな表情の子がいないのだ。

さらに、このアフリカ、ギニアについて聞いていくと、今の日本では考えられないようなことがたくさんあった。まず自殺者が0人、亡くなった人がいるとその地区は3日間喪に服す。われわれのようなワークショップで音楽やダンスのレッスンで来ている外国人も対象で、別の地区に行って練習するしかない。男性の3人に1人しか仕事につけないくらいの厳しい経済状況にもかかわらず、みな明るく頼もしく貨幣経済が盛んで、髪を編み込むなどちょっとしたことにも少額だがお金が発生、しかしお金を騙し取る人は少数で外国人の私が高額のお札をわたしてもきちんとおつりをくれる。人々は助け合って、お金がある人が払うというシステムなので、庶民に貯金という概念がない。電車もバスも組織化されたタクシーもないので、移動は一台の車に知らない人同士が7人も8人も乗って車の屋根に荷物を縛り付けて、応分のお金を出し合って移動する。なんだか昔の日本の失ったものを見ている気もして、一体われわれの文明、日本を含む「先進国」と呼ばれる価値観の方向はどこかで大きく間違ったのではないかと思わされる出来事が数多くあった。

・朝ご飯を食べていると、わーわーという歓声?が聞こえてきたので、何が起きたか聞いてみると近くで人が亡くなったという。男の人はあまり声を大にしないけど、女の人は感極まって大声で泣くという。日本では隣の人が亡くなっても気が付かないことが多いし、それが明るみに出ても悲しんだり、感情を出して共有するということが、もはや無いのでは無いだろうか?

・日曜日に共同宿舎にいると、子どもがやってきて一生懸命本を読んでいた。何の本かというと学校の教科書で、とても衝撃を受けた。確かにゲームもテレビも何も娯楽がないが、それっていいことなのではないかと心から思った。

・夜、男の人だけ集まり何やら話しているが、(現地語やフランス語ができないので)何の話か解説してもらうと、実に素朴なやりとりで(ドリフの8時だヨ全員集合のような感じか?)下ネタや女性を馬鹿にするような話が出てこない。われわれの社会がいかに性規範が歪曲化されおかしくなっているか恥ずかしく思えた。

・子どもはよくお手伝いをし、ほかの子と群れて遊ぶ、掃除などお願いすると日本の大人の10倍くらいのスピードでやってしまう。児童労働は悪いと言われているが、日本のように何でも大人がやってしまい子どもは勉強と遊びだけという文化では、子どもの自立を大きく奪っているのではないか?

・少し離れた田舎に行った時、生まれつき色素がない白子(アルビノ)の子どもがいたが、みな普通に接し仲良くしていた。肌の色で差別や区別をしたり特別な感情を持つことが根本からおかしいと気づいた瞬間であり、150円くらいの物を買った時、細かいのがなく200円くらいの額を出したら、その白子の子が20〜30分かけて家まで行き、ちょうどのお釣りを取ってきて渡された。大人になってから経済合理性ばかり考えてきたわたしにとっては衝撃的なできごとで、お金や生き方について深く考えさせられた。

この国には外国資本がほとんど入っていない。ある時期、マクドナルドが進出し1号店を作ったが、お客さんが来なくてすぐ撤退したそうだ。豊かさとは何だろう? お金が大きく動くことか? この国はたしかに貧しくて何もないが人々の心はめちゃくちゃ豊かだと思う。

圧巻だったのは、現地で実際の音楽やダンスなどが息づいている様子を生で見られたことだ。
基本的にリズム(打楽器)と振り(ダンス)だけ、メロディ(旋律)や和音(ハーモニー)、うた(歌詞)が存在しない。弦楽器や歌が無いことはないがマイノリティ。基本的にビート(リズム)と動き(踊り)で表現する。確実に今のヒップホップなどの元になっているし、メロディとハーモニーばかり重視する西洋音楽と真反対のものが意気揚々と表現されている。わたしも古くは学校の音楽の時間、ミュージシャン時代には歌詞、旋律、和音に苦労してそれがすべてだと思いこんでいたが、それがなくてもいい世界というのが本当にあるのだとびっくりした。

特にダンスは、いちおう基本的な振りというものはあるけど、それはあくまで基本であって、身体が大きい人、小さい人、太っている人、スリムな人など体型に合わせて、また個人のイマジネーションや表現方法も十分に生かされて、同じ振りでも、人によってその人に合ったぜんぜん違う表現になっていて、それがその人なりに美しく、正解や間違いというものが存在しない。世の中にはこんなに多様な美を持ったものが存在するのだと感動した。

リズム(ドラム、ジャンベ)は、全然単調でなく、かつ複雑怪奇で難解でもなく、黒人音楽独特のノリがたくさん詰まったかっこいいリフが散りばめられていて聴いているだけで酔ってしまう。そしてそれは決して楽譜にすることはできず、身体で伝承するしかない。打楽器は旋律楽器並みに表現豊かだというのにびっくりしてしまう。

この国は、こういう芸能・芸術に力をいれていて国立のバレエ団あるくらいで、子どもは小さい時から「学校に行くか、ミュージシャン・ダンサーになるか?」という二者択一の中で育っているという。ミュージシャン・ダンサーの中には文字の読み書きができない人も多いが、それは本当に悪いことなのか? と考えさせられた。

あとから知ったのだが、ギニアはアフリカ諸国の中でも最も早く独立した国の一つで、それでも第二次大戦後1958年。植民地支配していたフランスは引き上げる時に、すべてのインフラを破壊し技術者を全部連れて引き上げたという。それゆえ国はいまでも貧しいが、当時の初代大統領は、
「隷属の下での豊かさよりも、自由のもとでの貧困を選ぶ」
という宣言をして、商工業よりも芸術文化に力を入れたという。

わたしが住む日本を含め、多くの「先進国」そして多くの「発展途上国」が商工業重視の物質的豊かさを求めて活動してきて、その結果地球規模で環境が破壊され、人間性までうばわれ、何のために生きているのかわからなくなった結果、自殺者や精神疾患者、あるいはがんをはじめとする様々な病気の人間を生んでいるのではないだろうか?

1ヶ月という短い滞在だったが、このアフリカ、ギニアでの体験が、わたしのその後の価値観を大きく変え、断薬後の離脱症状に耐えられる要因になるとともに、18年間、あるいは幼少期からずっと治らなかった精神面での病気が完治する大きな原動力になった。

この文章は連載です。最初から読みたい方は以下からお入りください。
https://ameblo.jp/tetsuji69/theme-10111766182.html


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