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バラとカエルと私 

 生まれた時から泣き虫だった。生まれてすぐはみんなそんなもんだろうけど、私の場合、思いの外長引いた。
 母にしがみついたまま泣き続け、優しそうなおじさんがどんなににこやかに話しかけてくれても何一つ答えられなかったから、私は幼稚園の入園試験に落ちた。有名私立なんかじゃなくてごく普通の近所の幼稚園だったのに。
 慌てた両親は、かかりつけの小児科医に頼み込んでコネを取り付け、どうにか私を裏口から入園させることに成功した。
 入園してからの方がもっと大変だった。
 私以上に幼稚園の先生方が。私ときたら泣いてばかりでつきっきりじゃないと椅子に座っている事もできない。けれど世の中は広いもので、私以上に厄介な園児が他に3人もいた。
 れいちゃんは活発でとてもしっかりした子。
 しっかりし過ぎてて先生の指示に全く従わない。どんなに注意されてもお構いなしで、自分のやりたいことをやりたいようにしかやらない。
 てるくんは見た目てるてるぼうずみたいにちっちゃくて愛らしい。けれど一度怒り出したら手が付けられない。殴る蹴る喚く噛みつく何でもあり。すばしこくて体に似合わずなかなか腕力もある。
 ごうきくんは反対に全てがどでかい。年少の中に小学生が紛れ込んでる?と思っちゃうくらい抜きんでてビッグ。石みたいな角ばった顔に取ってつけたような坊ちゃん刈りが全然似合ってない。黒々としたゲジゲジ眉にムダにでかい円らな瞳。そばに寄られただけで怖くて私はいつも泣いていた。
 ところがこいつがとんだメソメソ野郎。てるくんにちょっとにらまれただけでグスグス泣き出す始末。何をやるにもどん臭い。じきに私もバカにするようになったくらいだけど、実はとても優しい子だったりする。
 いろんな意味で手のかかる私達4人はひとセットにされ、年少ではなく年長バラ組の教室の隅っこに、島流しのような席を与えられて「小さなバラ組さん」と呼ばれた。
 年長の教室にいれば、誰かが問題を起こしても、先生だけじゃなく、年長さんも面倒をみてくれる。うまいシステムだった。
 クセ有りの4人だったけれど、いつでも一緒だったから自然と連帯感が生まれ、私達は結構仲良しだった。4人の誰かが他の子とおもちゃの取り合いになれば、必ず残りの3人が加勢する。こういう時ごうきくんは黙ってそばに立ってくれるだけで十分役に立つ。
 中でもれいちゃんは私達の姉御のよう。
 うまくハサミが使えなくて私が泣いていると「貸してみ」とハサミをもぎ取り、ジョキジョキ手際よく切ってくれる。ごうきくんがメソメソしていれば背中をとんとんして涙を拭いてあげる。てるくんが怒り出して先生もお手上げの時は「いい加減にしろ」と後ろから頭をパコーン。
 「小さなバラ組さん」は年中になって解消されたが、私達は年長に進んでも仲良しのままで、4人で一緒に遊んだり、お弁当を食べたりした。私もごうきくんももうあまり泣かなくなっていたし、てるくんは体がぐんと大きくなって笑ってることの方が多くなった。れいちゃんは相変わらずみんなの姉御で元気いっぱいだった。
 あと数カ月で卒園という頃、私は埼玉県へ引っ越すことになった。家族4人で六畳一間という下町の古い借家から、念願の一軒家へ。南向きの小さな庭までついている。
 引っ越してみると新しい家はピカピカで、まるでよその家に来たみたい。子供部屋に寝転んで兄とじゃれ合って笑った。
 しかし埼玉の冬は厳しい。間違って北極に来ちゃったんだと思った。周りが田んぼだらけなことにも驚いた。近所に同じ年頃の子供はいたが、幼稚園に行ってないのは私だけ。あと数カ月のことだからと親が転園させなかったのだ。昼間誰もいない空き地で遊んでいると、子供心にも根無し草のような心もとない気持ちになった。
 埼玉には微妙に方言がある事にも気づいた。「ひゃっこい」の意味が分からなかった。友達がすぐヒソヒソ話をするのもイヤだった。下町育ちの私は言葉がキツかったようで、いい気になってしゃべっていると、急にみんなの顔からすっと表情が抜け落ちる時があって、そんな時は自分が地球外生物になったように思えた。
 ようやくその頃になって、れいちゃん達と一緒に遊ぶことはもう二度とないんだと、私は天啓のように悟った。雷に打たれたような衝撃で、引っ越したことを激しく後悔したが、どうにもならなかった。
 れいちゃんだけは毎年年賀状をくれた。三人とも仲良く同じ小学校に通ってることが綴られていて、自分だけ取り残されたような気がして寂しかった。
 一方で私は徐々に埼玉に染まっていく。始めは気味悪かったカエルも田んぼに入って素手で捕まえられるようになった。ザリガニやカブト虫やカマキリだってへっちゃら。兄や近所の子と日が暮れるまで泥まみれになって遊んだ。犬を拾って飼い始め、学校から帰ると近所の空き地や砂利道を一緒に走った。
 中学生になる頃には自分が泣き虫だったことも忘れた。れいちゃんの年賀状がいつから届かなくなったのか、ちっとも気づかなかったほど、私は身も心もすっかり埼玉県人になっていた。それももう半世紀も前の話。

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