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フェミニズムによる表現規制/キャンセルカルチャーに抗うための作法

はじめまして。虚無の先と名乗らせていただいている者です。

以前青識亜論さんが

"まあ、最終的に私もいずれドロップアウトするので、今回の署名とか問い合わせとか、青識メソッドはなんらかのかたちでアウトプットしとかないといけないなとは思っています。みんなが使えるような方法論として。"

というツイートをしていてふと思いました。

「この戸定梨香さんを守るためにしてきたことをただの一般人の目線から記録し、そのノウハウを継いでいけば、もし、次に何かがキャンセルされかかった時に一般人もそのノウハウを活かして効率よく守ることができるのではないか?」と。ただ、「青識メソッド」はあくまで青識さん視点のものであり、ここでただの一般人である自分視点のものを書くことに価値もあると考えました。

前提

表現規制キャンセルカルチャーが何を意味するのかはこの記事をご覧になっている皆さんの間である程度共有されているかとは思いますがここでは厳密に共有したいので表現規制とキャンセルカルチャーについて以下このように定義します

表現規制とは表現の自由を阻害する規制一般のことを指します(法令に限らず、自主規制なども指します)

キャンセルカルチャーとは表現規制の中でも一部の人間がその表現に対する上位者に対して直接抗議をすることでその表現を取り下げさせる非民主主義的行為を指します

また、目的を共有しておかないと前提がずれてしまいます。なので早い段階で「表現規制/キャンセルカルチャーに抗う理由と目的」を共有しておきます。その理由は、「高齢化社会、および停滞する日本の技術力によって日本の多くの産業が斜陽となる中、アニメ、漫画、ゲームなどの表現をベースにした新たな日本文化は衰えることなく世界にその影響力を発現しています。その影響力を維持するための新たなアニメ、漫画、ゲームなどの表現を規制させるわけにはいかない」という要約すると「世界で人気のコンテンツ産業を守って世界での日本の影響力を維持するため」となる日本という国家の戦略となりうる理由もあります。が、やはり多くの方はざっくりまとめると、「自分の好きなコンテンツが規制されたくない」という理由で動いてると思います。それでも大丈夫です。表現規制に抗うのなら、その理由が多少ずれていても構わないと考えます。

そして、表現規制に抗う目的は表現規制/キャンセルカルチャーへの反対派となる方を多く作ることによって民主主義的に多数派になることによって表現規制キャンセルカルチャーを仕掛けたところで(相手に表現を取り下げるよう求めることは表現の自由の範疇なのでそれを否定してはいけません)不発にさせることにあります。すなわち、すべての人々に二者択一で表現規制をすべきかと問うた時に反対派を多数にするための動きをすべきです。なのでこれには「表現の自由戦士」だけでなく一般の方からの協力を受けることが必要不可欠です。そのため、なるべく一般の方からの反感を買わないようにしながら、表現規制派/キャンセルカルチャー肯定派の論をへし折っていく必要があります。

そのため、「あくまで論による攻撃を仕掛けるのは相手の論にのみ」というルールを敷きたいと思います。個人攻撃は無し。相手がしてきても無し(相手が一方的に個人攻撃してきたのなら相手側が一般の方々に「この界隈は個人攻撃を許容してるんだ」と冷たい目で見られてこちらが個人攻撃しなければ一方的なアドバンテージになります)。逆にもし「表現の自由戦士」で個人攻撃をされる方がいるようでしたら「表現の自由戦士」の中でしっかりたしなめましょう。そうした方が個人攻撃をしている方でも受け入れられる確率が高いはずです(神崎ゆきさん執筆のnote『誹謗中傷を無くす為の「限りなく具体的な方法論」』を参照)

実際の作法

まず表現規制に抗う人を3グループに分けます。

1.当事者

定義は簡単です表現規制/キャンセルカルチャーによって実害を受けた/受けそうな人のことです。この人たちが声を上げたらその人たちに寄り添うことから始める必要があります。大将のようなものです。この当事者の意志を離れたらその行動は正当性を大きく欠きます。そのような覚悟で当事者以外の方はあたってください。

2.インフルエンサー

ここの定義が最も難しい部分です。インフルエンサーそのものの定義が英語の"influence"に由来しており、あくまで「影響力のある人」がインフルエンサーであると定義されるのですが...影響力を定量的に図るためにフォロワーという一線を設けるのが良いのかもしれません。ただし、界隈の影響力が高まれば界隈全体の人数が増えるため、フォロワーの数を絶対的な基準としてインフルエンサーを定義することは難しいです。そのうえ、持った影響力が大きければ大きいほどその人は多忙になってしまいます(逆にだから自分は暇なのでこのようなnoteを書く時間があったわけで)。こういったこともあるので無理にインフルエンサーという仕事を押し付けるわけにもいかない。でも論をとりまとめて相手に渡す人間が必要になります。(自分ができれば話は早いのですが自分はフォロワーいないので...)ここに関しては自分はインフルエンサーではない以上、「青識メソッド」の体系化を待つしかないかなと思っています。

3.一般人

1.2.ではない人々。すなわち、のような一般人です。大体の人々がここに当てはまるので、定義もそこまで必要ないかと思います。インフルエンサーでもなければ表現を規制される当事者でもないのならここに当てはまります

(4.政治家)

「3グループに分けて何で4つ目のグループがあるねん」というツッコミが飛んでくるかと思います。最終的には理由のところで提唱した「世界で人気のコンテンツ産業を守って世界での日本の影響力を維持するため」に政治のステージに持っていく必要が出た時に表現の自由に理解がある政治家が必要になります。表現の自由を理解し守ってくれそうな政治家を選挙の際には選んでおきましょう(これを衆議院選挙の直後に書くあたり自分も悪いやつだなと思います...)

当事者がすべきこと

キャンセルされるまたは表現規制されそうになったらSNSで声を上げてください。声を上げれば「表現の自由戦士」がそれを見つけることができます。自分のコンテンツがキャンセルカルチャーに特に弱いと思うのならなおさら声を上げてください。そういった「弱い」ものを守るのが自由の役割です。声が上がらないとただただ消えただけになってしまいます。あなたがせっかく作った文化が跡形もなく消失します。それを望まないからこそ私がこのように動いているわけです。

インフルエンサーがすべきこと

多分「青識メソッド」の方が実際にインフルエンサーとして動いた人のノウハウになるのでここで自分の意見を語るのはおこがましいとは思うのですが、「青識メソッド」がまだ公表されていない以上ここではどのようにインフルエンサーが動いたのかを基にどのようにインフルエンサーが動くべきなのかを書きます。後々「青識メソッド」が公表されたらそちらへのリンクを貼ります。

前置きが長くなりました。インフルエンサーの動きは当事者がキャンセルカルチャー/表現規制されることを訴えたらそれに対しての当事者の意見も反映し、一般人の意見もまとめ(自分の意見を入れても構いません)、他人が署名などの手段で賛意を示す方法を確保した状態で表現規制側に送ってください。このように抽象的にしましたが、この戸定梨香さんの件においては青識さんは大田区議会議員の荻野稔議員と共にchange.orgにて公開質問状を送りました。その後は意見の中心として、議論に参加していただけたらありがたいです。

一般人がすべきこと

まず、相手の当事者への突撃はやめましょう。相手の当事者にも人生があります。それを妨害する権利は何人にもありません。たとえ相手がこちらの当事者の人生をズタズタに引き裂いた人であったとしても怒りに身を任せて相手に悪意を送り付けることは悪意の連鎖を生みます。そのうえ、こちらが「凸する界隈」であると世間一般から思われると味方になりたいと思う方々も減ります。あくまで「味方を増やし、表現規制派を日本国憲法の第21条を根拠とする社会的合意によって不発にさせること」が目的です。それに伴い、相手の当事者のSNSに対しても凸をやめましょう。あくまで相手の論に対してこちらが論で応える形です。無関係なツイートに対してリプライや引用リツイートで何か言ったところで相手はまず答えないでしょう。逆にこちらの界隈が「粘着してくる恐ろしい界隈」とされて、社会から孤立してしまいます。社会からは孤立するものではなく、社会にはその数を利用して審判を行ってもらう。そのために社会から好感を持たれることが必須です。ただし、相手の当事者にリマインドを飛ばす必要があるかもしれません。それはインフルエンサーに行ってもらいましょう。もし相手の当事者に何か言いたいのならそのリマインドに相手の当事者に返信なり引用RTなりしましょう。そこまで多分見てもらえませんがあくまであなたは一般人です。そこまでの影響力はないと思ってあきらめましょう。それかフォロワー数増やしてインフルエンサーになりましょう。

ここまででこちらの当事者、相手の当事者もしっかり守ってきました。ここから、表現規制派の一般人/インフルエンサーとの論戦における作法について考えていきます。まず、基本的に表現規制派は科学を用いて理論武装することができません。逆に我々は「科学的根拠がない」という事実を使う必要があります。というのも、科学では表現と犯罪に因果関係があると宣言することが難しいというのが現状です。こちらの渋谷明子さんの『テレビゲームの暴力描写が攻撃行動に及ぼす影響:研究の現状と課題』(渋谷,2001)では、「おわりに」として、

今後の検討課題も多々残されているものの、実証研究の結果は、テレビゲームの暴力描写が青少年の攻撃行動を促進し得る可能性を否定する方向であるというよりは、むしろ一部のテレビゲームの暴力描写が一部の青少年の攻撃行動を促進し得る可能性を示唆する方向にあると言えよう。だが、一貫性が乏しい部分もあり、どのような内容の暴力描写が、どのような青少年に対して、どのようなプロセスを経て、攻撃行動に影響を与え得るのか、さらにどのような形でこれらの影響を抑制できるのか、については未だ解明されていない。

とあり、たとえ相関研究で暴力表現と攻撃行動の有意な正の相関が認められ、パネル調査で因果の方向が示唆されたとしても、それは因果関係を示したものではなく、「未だ解明されていない」と結論付けるしかありません。

なので、相手の科学的根拠の欠如を突くことを軸にこちらは論を組み立てましょう。それをしていたらどこかで表現規制論が相手の「お気持ちである」と露呈します。そうしたらそれは「あなたの感想ですよね」とフランスに住んでいる名前が「ひ」で始まって「ろゆき」で終わる2chの創設者の方のようなセリフをぶつけてそれがあくまで「社会の総意」ではなく「ただの一個人の意見」であることを確認しましょう。それで充分です。というかそれ以上できません。それ以上(相手の意見を変える)は相当議論がうまく、かつ、相手に変わる気がないとできません。そして、ネットで議論をしていて意見を変える気がある方はあんまり見かけたことがありません(個人の感想です)。なのでそれ以上を下手にやろうとすると相手の内心の自由や表現の自由と衝突しますのでやめましょう。

そして、何度も言っていますが相手の論以外への攻撃はやめましょう。これは表現規制派の利になる行為です。こういったことをする輩は戸定梨香さんの件でも観測されています。表現の自由を守るには一般社会の理解、協力が必要不可欠です。社会を味方にするための動きであることを理解しましょう。ただ、議論している際にヒートアップして相手の個人攻撃になってしまうことは十分にあり得ます。望ましいものではありませんが、そうしてしまった場合はしっかり相手に謝罪をしましょう。こうしたときに適切に謝罪ができると社会から好感を得やすいです(というか謝罪ができずに社会から反感を買った人を多く見てきました)。また、ほかの「表現の自由戦士」がヒートアップして個人攻撃をしたのを見かけた場合には上にも書いた通り止めましょう。

最後に

このノートの執筆中に衆議院選挙の新潟5区で当選されて、「フェミニスト」(この呼称には議論の余地があります)の顰蹙を買った結果過去の過ちを掘り返され、ご本人はおろかそのご家族にまで攻撃を受けた米山隆一衆議院議員がこのようなツイートをされていました

"「『ジェンダーの問題に取り組んでいる女性たち』です。『この世に存在する全女性たち』なんて言っていない」って、それはもうフェミニズムじゃなくて、「フェミニストイズム」ですよね。"

私は結構保守寄りの思考だと言われますし、米山議員の政治的意見とは異なる意見を持っている場合が多いのですが、この米山議員の考えには全面的に同意します。現代の特にインターネットで観測されるフェミニズムは「自分たちにとって良い世界を作りたい(他人はどうでもいい)」との思いを「ジェンダー平等」という建前でごまかした独善主義者の集まりであると考えます。そんな奴らに自分の好きなもの、周りの顔も知らない方々の人生を変えうるもの、世界中の方々に無限の可能性をもたらしうるものを消させるわけにはいかない。その思いでこのnoteを執筆した次第です。

あとがき

このnoteを書くにあたり、青識亜論さん、神崎ゆきさん、手嶋海嶺さん、米山隆一衆議院議員のツイート、およびnoteを引用、あるいは参考にさせていただきました。この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。なるべく引用元の意から外れないよう心がけましたが、もし、この使われ方は意とは離れていると考えられるようでしたらご連絡いただければ幸いです。

もしよろしければ、スキ、拡散への協力、Twitterへのフォロー(自分のTwitterに飛べるのか不安だけど)などなど(と書くことによって書き忘れたものがあれば読者にカバーしてもらおうという卑劣な作戦)よろしくお願いいたします。

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