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イェリネクとテレビ

イェリネク戯曲を読んでいると、〈テレビ〉を感じます。二十世紀にテレビが登場して以来、人々はチャンネルを手に入れることになりました。イェリネク自身、このテレビの前から離れられなくなってしまった一人です。気が付くとリモコン片手にチャンネルを変えてるだけで何時間も過ぎてゆく。この〈ザッピング〉という感覚は、現代の象徴でもあり、ある種の病だと言って良いでしょう。たった5秒でその内容が分かった気分になる、次から次へとチャンネルを変えることで、この気分は高揚しやがて摩耗してゆく。

メディアという言葉は、ギリシャ悲劇の『王女メデイア』を起源とすると云われていますが、イェリネクは、今日のメディアのあり方を批評しパロディ化し盗むことによって現代の悲劇を書こうとする稀有な劇作家です。政治・宗教・戦争を背景に事件を告発する役割を果たしていた古典演劇が、二十世紀以降テレビというメディアにとって変わられたのだとすれば、イェリネクはそのテレビを見ながら、新たなメディアを見ようとしています。そこで選ばれたチャンネルは何周もした結果、演劇でした。

イェリネク作品が、否応無しにアクチュアルな問題を抱えるのは、テレビが登場する以前からメディアという病に敏感だったからだと言えます。この劇作家は古典から現代をザッピングすることで、社会情勢がどうなっているのか、そして個人の気分がどうなっているのか、映し出します。目まぐるしく。イェリネク戯曲を舞台で見ることの意味は、私たちが改めてチャンネルを選び、その選択が有効なのかあるいは無効なのかを考えることにあります。この考えるレッスンはギリシャ悲劇から今日まで続いているということを教えてくれるのが、彼女の演劇なのです。

三浦 基(「CHITEN CATALOGUE 2022」巻頭言より)


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