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ワタシの喜びの理由

ここらで制作日記とは違う話題を書いてみようと思います。

私は2017年の12月のライブを最後に音楽活動を休止していました。

酷い鬱状態になり、起き上がることさえ出来なくなっていたのです。
その前から、いろいろなことがあり、具合が悪かったのですが、音楽を心の支えにずっと頑張っていました。

しかしとうとう私の心は悲鳴をあげました。そしてその日以降、ずっと寝たきりの日々が続いたのです。非常に重い症状で、トイレにも起き上がれず、ご飯も食べられず体重は12キロ減りました。
最初は鬱と判断できず、神経内科や膠原病科などいろいろな病院をたらい回しにされました。
強い薬を飲んで、肝臓を壊し2019年には急性肝機能障害で2ヶ月入院しています。

私は音楽を聴くことも出来ず、今まで歌っていた音楽部屋にすら怖くて入る事が出来なくなりました。
一日中、天井を見上げて涙を溢す日々が続き、人生に疲れ果て絶望していたのです。

そして、引きこもりの日々を過ごすうちに、声も出なくなり2021年に音声外科を受診。声帯萎縮と診断されました。
いつかは歌に戻りたいと、心の底で思っていたのに、鬱に追い打ちをかけるような診断に心は本当に折れそうになっていました。

その頃ですらなかなか音楽を聴く事ができなかったのです。しかし、声を失う事は命よりも私にとっては辛い事でした。だから動けない体を引きずるようにして、病院に通いました。

山王病院のボイスセンターでリハビリの日々が始まり、少しずつ声が出るようになった頃、皆さんもご経験されたパンデミックが悪化し、出かける事が実質不可能になり、皆さんも家に篭るようになりましたよね。

こんな事を言うと私は酷い人間だけど、自分の時間が止まってしまった数年間のうち3年間のコロナ禍は、私にとっては心が少し楽になった時期だったのです。

だって家の中に寝たきりでみんなの楽しそうな様子、自由に音楽をできる喜びの姿を見ていると、死にたい位辛かったからです。

時の止まった3年間で私はここに戻って来れたのかもしれません。

そして、少しずつですが音楽を聴くことが出来るようになり、私は今回リリースする曲を含めた2曲をこの時期に書きました。

でもまだまだ完璧な声は出ない…。お風呂に入るたびに発声練習を繰り返し、やっと歌ったデモ。
既に私が倒れてからほぼ4年が経過していたのです。

だから、今こうしてリリースまで来られたのは私にとって奇跡です。

今も大好きな音楽を聴いて楽しんでいます。
こんな日が来るとは思わなかった。
諦めるしかないと思っていた。

だから今回は特別。
音楽が出来る喜びを心から噛み締めながら制作しました。

まだまだ完璧ではないかも知れない。でも私にとってはハートが大切だった。
そういう意味では最高の仕事が出来たと思います。

またここに戻れた喜び。でもそれは新しいスタートラインに立っただけ。
来週から再びボイスセンターでリハビリに通います。

次の曲のために。そしてもっと先のために!

読んで下さってありがとうございます。

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