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リモートワーク・在宅勤務・オンライン会議で失われるもの

■いちいち集まるのはムダなのか

もはや日常のteams会議

 本日は在宅勤務なので、朝会は自宅のリビングからオンラインでつなぎました。やっぱり便利ですし、たまにはいいかなと思います。

 テレワークやオンライン会議が一般的になったのが2年ほど前。今やそっちが正で、リアルに集まる方がレアになりました。

 昨日もオンライン会議が入っていましたが、「この事案はこんな感じかぁ」と状況把握するための耳だけ参加。後で誰かに共有してもらう必要がないので効率はいいのですが、人と接する機会が失われています。

 ・・・なんか違う。

 人と会って話すことって、情報のやり取りだけではなかったはず。お互いの表情を見て、ちょっと砕けた話をしたりして、人としての関係性を構築する場でもありました。

 オンラインの利便性と引き換えに、失ったものは大きい。五感のうち使うのは、限られた視覚と聴覚だけ。部屋の空気感とか、匂いとか、細かな感情の動きとかは、一切感じ取ることができません。

■ムダを削れー!というポリコレ

 いつからか「コスパ重視」の空気が世の中を支配しました。オンライン崇拝もこの亜流と思われますが、これもグローバリズムの弊害でしょうか。コスパ主義は、あらゆるものを金で計るという価値観です。

 例えば街中に樹齢2000年の木があるとして、「こんなとこに生えてたら邪魔だ、切り倒してマンションでも作った方が儲かるじゃん」というような発想です。なんか違う気がしますよね。

 「税金のムダ遣いはよくない」ということもよく聞かれます。某維新の会が得意とするレトリックです。・・・これがどんなにおぞましい結果を生んでいるのか、ほとんどの人は理解していません。

■「人」から「ヒト」へ

 コスパを重視すると、意識が「人」からどんどん離れていくような気がします。感情を持った「人」は、経営資源としての「ヒト」になり、物や道具と見られるようになります。「ヒト」もコストとして考えられます。

 人格より機能で評価されるって、どう思いますか? 生産性向上が絶対善とされている社会にも、寒気がします。ヤバイと思いませんか? 

 でもこれ、現場で実際に起こっていることなんです。「日本の終わり」を肌で感じている日々です。

日本も他人事ではない

■ダメ元でやることはやるというスタンス

 もはや手遅れであることを感じつつ、筆者なりのミッションがあると思っています。

 ひとつめは、日本がこんなにヤバイ国に堕ちてしまった真相を追求すること。そこに僅かな再生の糸口があると信じています。

 もうひとつは、自分を含めて「強い個人」を作っていくこと。影響範囲はまだ小さいですが、ひとりずつでも、気づいて行動する人を増やしていきたいと考えています。

 微力ながら、「強い個人」が増え、日本が奇跡的に正常に戻ることを祈念している次第です。

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