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マスクしない客 vs 注意するバスの運転手 →国は高みの見物ですか?

 また、おかしなことが報道されてますねぇ・・・

■国民同士をケンカさせて罰を与える国

 乗客は自身の判断でマスクを着用せずにバスに乗った。運転手は運行規則に添って判断し、客を降車させた。人によって価値基準が違うのは当たり前だし、どちらにも非はないと思う。

 自粛要請という自己責任の押し付けや、マスク強要の不文律のもと、善良な国民同士の分断が起こっている。国として明確なルールを示さず、イザコザの種を蒔いておいて、行政処分とはいかがなものかと。

 親が兄弟ゲンカを煽っておいて、「お兄ちゃんが悪い!今月お小遣いナシ!」って叱りつけるようなもんですよ。

■とりあえずケンカはやめておこう

 かく言う筆者も、ここのところノンマスクで電車に乗っています。今のところ、何も言われたことはありません。ただ、車掌さんとか駅係の人に求められたら、素直に着用します。そのために、ポッケにはマスクを常備しています。

 みんなに「マスクしなくても大丈夫だよー!」と訴えたい気持ちもあるけど、面倒は起こしたくない。そこは、バランスだと思うんです。

■国も処分されないと割に合わない

 ただ、やっぱり国の姿勢には腹が立ちますね。

 はっきりと指針を示せば、バスの運ちゃんも拠り所を持って注意できるし、客も「しゃーねーなー」と文句言いながらマスクしたかもしれない。

 曖昧な空気の中で、個人の判断に委ねたら、そりゃこうなりますって。行政処分ではなく、行政「の」処分が必要ではないでしょうか。

■白黒つけたがる人たち

 流行り病以降、さまざまな対立軸が生まれています。

 ウイルス関連だと、「自粛する vs しない」「マスク着用 vs 反マスク」
「お注射打つ vs 打たない」
 筆者はすべて右側ですが、個人の判断でいいと思っています。最近のトピックは、「国葬賛成 vs 反対」ですかね。

 どんな対立も、どちらにも分があるから対立するのであって、片方だけが一方的に正しいということはあり得ません。ということが分かれば、対立することに意味がないことに気づけますよね。

 そもそも世の中、二者択一で治まるほど単純じゃない。白と黒の間にはグレーゾーンが広がっていて、その分選択肢もたくさんある。

 反対側を攻撃する人って、実は自分のポリシーは持っていなかったりします。要するに自分で選んでおらず、誰かに選ばされていて、それに気づいていない。

 主体的に選択をしている人は、他の選択も尊重できるので、争いになりません。決める力を失った国の中で生きていく以上、国民に求められるのは「主体性」です。

 主体的に生きていきましょう。

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