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大船渡高校の佐々木くんはなんで「投げないとダメだ」と言われてしまうのか

 こんばんは!人の輝く未来を応援する 共育コンサルタントの金澤です。

 こんな時間になってしまいました。今日は単発モノで、話題の大船渡高校佐々木くんの話で思うことをシェアします。

見ている景色が違うと意見も違ってくる

 県大会決勝、勝てば甲子園出場決定という大一番で、大船渡高校の大エースでバッティングにも優れた佐々木くんが、試合に出場すらしませんでした。

 それに対して、サンデーモーニングにおいて「絶対に投げさせるべきだ」と張本さんがコメント。ダルビッシュ選手に「ドラゴンボールの神龍にお願いできるなら、このコーナーを消したい」とツイートされたり、社会問題になっているようです笑

 実は数百件の「苦情」が大船渡高校に届いているそうで、その内容の9割近くが「なぜ佐々木に投げさせなかったのか」ということだそうです。そしてネット上では、「そんなの外野が口を出すことではない」という風潮が支配的です。その延長にある、この議論の象徴としての張本ーダルビッシュの話のように見えます。

 私の個人的な意見としては投げさせない方がいいと思いますが、今日言いたいのはそれじゃなくて。

 なんで張本さんとか、一部人たちが苦情をいうのか、そしてそれに対してなんで他の人が「そんなの口出すな」といって揉めるのか、ということを考えてみたいんです。

 結論を一言で言えば、「見ている景色が違うから」ということです。自分の景色しか見ずにコメントしたり文句言ったりする人ばかりだから、何も前に進まず揉めるだけ、という図式なんです。

絶対投げるべきだという人はその経験がある

 張本さんはその経歴として、甲子園出場をするために転校までして、高3で出場を決めるも、大会直前に暴力沙汰の引責で出場停止、という経歴の持ち主。

 しかも高2のときオーバーワークで肩を悪くして投手の道を諦めた、という過去もあります。だから佐々木くんが投げ過ぎたら故障してしまうかも、なんてことは百も承知。

 でも彼の人生はご存知の通り、プロになって打者としてレジェンドになるわけですから、肩を故障したということが致命的には「結果的に」なっていない。甲子園を目指して死ぬほど頑張ったから、のちの活躍があった。こういう景色です。

 おそらくですが、苦情を言っている人の多くは、大なり小なり甲子園にものすごく想いを持っていて、甲子園を目指してやってきたことが大きな価値を持っている、と考えている人なのだと思います。だからこそ、故障してでも出してあげるべきだ、納得いかない形で終えるべきでない、というのでしょう。そういう景色があるのも理解できます。

監督が見てある景色と張本さんが見ている景色の違い

 一方、投げさせないことを決めた監督から見た景色は、佐々木くんが今後の球界を背負って立つ素質を持っているから、今後数十年を見据えて育成しないといけない、と感じているのではないでしょうか。

 先の長い野球人生において、通過点の一つである甲子園にこだわって、そのあと影響が出てしまうような故障をするリスクを負わせたくない、という気持ちも、見ている景色を前提にすればよくわかります。

 私は輝く未来を応援する立場なので、自分が決めていいなら投げさせませんが、究極いうならそんなの佐々木くんが決めればいいんじゃん、とも思います。

 でも本人に決めさせたら多分投げるっていうから、無理矢理にでも止める必要があったのかもしれません。そういう意味で、監督の決断も痛いほどわかります。

目的は同じなのに真逆の結論になる

 面白いのは、このどちらも、考えの中心には佐々木くんがあるところです。どちらも佐々木くんのことを考えて意見しているのに、出てくる結論が真逆。

 こういうこと、別に甲子園でなくても日常にゴロゴロ転がってませんか?何か揉め事が起きているときって大抵そうです。

 だからこそ、ちゃんと相手の景色を想像して物事を進めることが最も大切、ということです。それができていれば、苦情なんて絶対入れませんよ。

 それなのに、自分の見ている景色が世の中の真実だと思っている人がとても多い。だから揉めるんです。

 本当の意味でその人の立場に立ってみれば、こんなアホらしいことで世間を騒がせるようなことはないんじゃないかなあ…と思って、今回のニュースを見ておりました。



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