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「ホップステップだうん!」 Vol.171

今号の内容
・巻頭写真 「伊藤知之さん」 江連麻紀
・続「技法以前」145 向谷地生良 「ヒトラーが帰ってきた」
・ 2019国際理解フォーラム~エジプト政府関係者と学ぶ防災~
・「未来日記」 宮西勝子
・福祉職のための<経営学> 033 向谷地宣明 「イノベーション(新しいものを世に活かす)」
・ぱぴぷぺぽ通信 すずきゆうこ 「伊藤くんのスマホ」


伊藤知之さん

2001年からべてるのメンバーとして、スタッフとして活躍して15年目の伊藤さん。

3日に一回はものがなくなる伊藤さんですが、平成最後のなくなりものは携帯でした。令和もなくしものをしていく!と宣言された伊藤さんから令和元年へ向けてのメッセージです!

「平成という時代は競争社会が強調されて経済的な国や企業の成長とはうらはらに個人にもたらされる恵みが減っていった印象があります。しかし、東日本大震災が起きたことにより、私たちはあらためて人とのつながりが大事なとこに気づきました。平成という時代は失われた30年と言われていますが、新しい令和という時代はそうした失われたものを強欲に取り戻すのではなく、恵みや苦労をみんなで分かち合える時代になればと思います。」

(写真/文 江連麻紀)

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今年のべてるまつりの予定をお知らせします。

今後、変更や追加などがあると思いますのでご了承ください。

● 第15回 当事者研究全国交流集会 in 浦河
7月19日(金)
会場 浦河町総合文化会館

午前 基調講演
熊谷晋一郎先生(東大先端研准教授)
細川貂々さん(漫画家、「生きづらいでしたか?: 私の苦労と付き合う当事者研究入門」著者)

お昼休み ポスターセッション

午後 分科会
   全体会(各分科会の報告)

交流会(前夜祭)

● 第27回 べてるまつり in 浦河
7月20日(土)
会場 浦河町総合文化会館

午前 シンポジウム
べてるで育った子どもたち & 子どもがえりする大人たち

お昼休み ウレシパ総会
     べてるマルシェ

午後 浦河の一年の活動報告
   幻覚&妄想大会

後夜祭

その他の企画として「日高アール・ブリュット展」、昨年に引き続き「当事者研究ざんまい」、「うらかわ見学ツアー」などなどが検討されています。
近日、参加申し込みフォームが公開される予定です。
お問い合わせは、べてるの家まで。

Tel. 0146-22-5612
Email. welcome@urakawa-bethel.or.jp

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続「技法以前」145 向谷地生良

「ヒトラーが帰ってきた」

先週の土曜日(4月27日)、東京で全国の「医療や福祉」に関係する人たち(政治家、官僚、マスコミ、医療福祉に従事する専門職や研究者、当事者、家族)が一堂に会する交流会があり、べてるのスタッフと共に出席しました。この集まりは、さまざまな領域の医療福祉に関する一番ホットなテーマを掲げて、その領域のエキスパートや話題の人物が登壇し、フロアとの意見交換や交流を重ねるもので、児童虐待問題から高齢者、障がい者問題、さらには街づくりと幅広いテーマが取り上げられました。その中で、私のこころに留まったのは「相模原事件」を起こした青年、植松聖容疑者と定期的に面会を重ねるジャーナリストと作家の話で、直接お話を伺い、直筆の手紙を読むことができました。彼の直筆の手紙から伝わってくるのは独特の「几帳面な性格」と「礼儀正しさ」と、まるで特攻隊を志願した若者の遺書を読むような「強い志」でした。線入りの縦書きの便せんにまるで定規を引いたように一字一句丁重に綴られた文章は、いまどきの若者とは思えない“美文”でした。

そこで、今回、新たな情報を得ることができました。それは、あの事件の後、植松容疑者の言葉として新聞記事で紹介された「ヒトラーが降ってきた」という言葉は正確ではなく、やまゆり園の職員として働いていた時に「障がい者は、活かしておくと社会のお荷物になる」と言った彼の言葉に対して、他の職員から「それではヒトラーと同じだ」言われてはじめて知ったという話です。私は、それを聞いて、自覚的に誰かの本を読んだり、具体的な影響を受けたりしなくても、普通に生きているだけで自動的に刷り込まれるほど“自然”に、ある種の優生思想が定着していることに、あらためて驚きと深刻さを覚えました。

それでは、「このような事件を引き起こす上で、もっとも影響を受けたものは?」と問われた植松容疑者は「トランプ大統領」と答え、その理由を尋ねたところ、「思ったことをはっきり言うところ」だというのです。それを聞いた時、単純に物事の善悪や快不快の感情を基準に、怒って、人を非難するタレントや有識者と言われる人たちがテレビやマスコミで重宝される、つまり、視聴率をとれる傾向と重なります。

最近、話題となった東大名誉教授の上野千鶴子さんの新入生への祝辞の中の「がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています」という言葉に、某番組のコメンテーターが上野さんの言う言葉の真意を解せずに「この世に中には、がんばってないやつがいることに触れていない」と批判し、それが「正しいこと」として番組の中で受け入れられていく様子を見た時にも同じ感じを受けました。

このような社会に蔓延する空気を、一つの社会風刺として描いた映画がドイツ映画「帰ってきたヒトラー」(日本公開2016年)で、私も観に行きました。この映画は、同名のドイツのベストセラー小説を映画化したもので、社会的風刺に富んだ“ブラック・コメディ”で、タイムスリップして現代によみがえったヒトラーが繰り広げるさまざまな騒動を通じて、社会の現実を告発しているように思いました。

この映画が凄いのは、いま、ヒトラーが現代に蘇ったら、市民は熱烈に彼をリーダーとして歓迎し、世界中を戦禍に巻き込んだナチスドイツと同じ道を辿るであろう、という予言の映画だということです。それを象徴する場面があります。次第にTVでの人気が高まっていた“ヒトラー総統”は、生放送での政治コント番組に出演した時に、台本を無視して貧困、失業、低俗なテレビ番組批判をして愛するドイツが衰退していると訴えます。それは、かつてヒトラーが拳を振り上げて満員の聴衆へと訴えかける場面にも似た光景で、観客は彼の主張に酔いしれ喝采を送ります。彼が支持をされた一番の理由は「面白すぎる」と「正しいことを言う」でした。当時のドイツの国民は「今あなたが支えている遺伝病患者は60歳になるまでに5万ライヒスマルクもかかるのですよ」(当時の庶民の平均年収がおよそ1000ライヒスマルク)という政府のキャンペーンの「もっともな主張」に同意し、多くの障害者や病弱者をガス室に送り込みました。

今回の集いで紹介された植松容疑者の手紙の中に、面会をしたジャーナリストが実は障害を持つ子供の親でもあるという事実を知り「もちろん自分の子供が可愛いのは当然かもしれませんが、逆にお尋ねをしますと、いつまで活かしておくつもりなのでしょうか」という文面がありました。子の親であるジャーナリストに向かってこの残酷な言葉を言い放った植松容疑者は、おそらく快感にも似た“高揚した気分”の中でこの文章を綴ったのかもしれません。自傷という一種のアディクションに、あえて弱い立場にある人たちや、無関係の人たちを巻き込むテロにも似た“共同的自傷行為”は、彼にとってこの世の中でも最も“気持ちのいいこと”だったのかもしれません。これがアディクションであるとしたら、その特徴は、自分が自分と言う人間のコントロールを失って陥った“一番やりたくないこと”を隠ぺいするために、いかにも「自分がやったこと」として説明して、強がらざるをえなくなってしまうことです。

ヒトラーが語ったと言われる言葉に「「宣伝、宣伝だ。それが信仰となり、なにが想像でなにが現実かわからなくなるまで宣伝することだ」アドルフ・ヒトラー(無名だったウィーン時代に知人J-グライナーに語った言葉。一九一O年頃:出典「ヒトラーとチャップリン」)というのがあります。その意味でも、この宣伝は、時空を超えて、今も私たちの中に生きているのです。そして、確実に、すでに「ヒトラーは現代によみがえっている」のです。

あの事件があってから、「植松聖と松本智津夫に憧れる」という一人の青年と出会い、今も交流を続けています。一時は無差別テロを予告するかのような言動に振り回された市の関係者からの相談を通じて出会った青年は、電話の向こうで「毎日がつまらない」「出会いが欲しい」と呟きます。「誰か僕とランチを食べる人はいませんか」という言葉に、彼の周囲の「専門家」は、「相談者との距離」の大切さと「公私混同」という職業倫理を盾に、形式的な傾聴を続けましたが、青年の言動はますます“過激”になり、業務がパンクするほどの電話攻撃に振り回される事態になりました。

そんな彼に私が提案したのは「一緒にご飯を食べませんか」ということでした。すると彼は「僕に奢らせてもらえませんか」と言ってきたのです。たまたま、彼の住む街の近くで講演があり、私は昼食をご馳走になることにしました。するとずっと職にも就いていなかったその青年が私にご馳走するためのお金を貯めるという理由で、派遣の仕事をはじめたのです。私は、喜んで彼から昼食をおごってもらいました。食事をおごってもらった後、彼は私にこう言いました。「この後、何のために働いたらいいですか?」。そこで、私は「また、一緒にご飯を食べましょうよ。今度は、仲間も誘って」と言いました。彼は、今でも派遣の仕事を続けています。今年の秋には、もう一度、彼の住んでいる街の近くに講演に行きます。そんな彼が、最近、電話で呟いた「僕、寂しいんです」という言葉が忘れられません。私は、あの「植松青年」にも、そんな言葉が眠っていることを信じたいと思います。

向谷地生良(むかいやち・いくよし)
1978年から北海道・浦河でソーシャルワーカーとして活動。1984年に佐々木実さんや早坂潔さん等と共にべてるの家の設立に関わった。浦河赤十字病院勤務を経て、現在は北海道医療大学で教鞭もとっている。著書に『技法以前』(医学書院)、ほか多数。新刊『べてるの家から吹く風 増補改訂版』(いのちのことば社)、『増補版 安心して絶望できる人生』(一麦社)が発売中。

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