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note界の寂しい流氷の天使、クリオネちゃん

 クリオネちゃんからベタの想像イラストをもらったからアンサーで、妄想イラストを書きましたの。想像で。全然違ったらごめん、書き直すから送って?♡

↑描いていただいた私のイラストはこちら。

 …クリオネちゃんとの最初はよく覚えていないけど、たぶん1年以上前、結構長いと思う。当時の私は私の読みたいフォローさんを増やそうキャンペーンの最中で探してる時で、そんな時にnoteコミュニテイの会話に親しげに入ってきたか、私がクリちゃんの記事にコメントしたかどちらかだったと思う。彼女は明るくユーモアのセンスがあった。

 LGBTQ+のどれかということであるのはすぐわかった。でもクリオネちゃんは女性だとして接せられるけどあまり性を感じない。いやらしさが全くない(対してnoteの女性先輩方はなぜ官能なんたらを書きたがるのか、まったく理解できない)。クリオネちゃんが自分の性について語るのはこの記事くらいだ。

 カテゴライズするつもりはないですが、そういう方々はみな優しい。私が若かりし頃(といっても数年前かも)新宿三丁目で久しぶりに会う友人女子(可愛い。既婚)と腕組みして既にふらふらして寄った雑居ビルのバーが、怪しい雰囲気だった。お姉言葉で話すメタル系ジャケットの下がボンデージのいかつい男性のような方々しかいなかった。二丁目で無いのに…?私たちがラウンジソファに座ると、店員が「お嬢ちゃん達、ここはそういうお店だけど、このくらいするけど、いいの?」と言ってメニューを差し出してきた。ゼロが2、3個多いw私が焦って「このまま帰ってもいいですか?」と聞くと「構わないわよ。ごめんなさいね」と言ってくれたのだけど彼女が「面白そう」と目を輝かしてるので、じゃ少しだけ…と飲んで殿方と珍しいお喋りをして引きあげたんだけど、ビールとサワー程度で諭吉がウン枚飛んで行きました。でも気を遣ってくれて、他のお客が「ここは女子の来るところじゃ無いぞー?」と絡んできたけど防いでくれて、無事返してくれて、優しかった。

…LGBTQの話しといえば私のおすすめの記事があるのだけど、誰もコメントしないよね。

(企画もと記事のリンクが消えてる。なぜだろう)

クリオネちゃん

 クリちゃんは不思議な人で、正体がつかめないところがある。

 プロフィールにある程度自分の性とクリオネになったいきさつが書いてあるけど、その後、彼女が自分自身のこと、自分の身の回りのこと、家族のこと、交友関係のこと、仕事のことなどを書いてるのをみたことがない。

 趣味のことも、博識でいろんな知識を披露してくれるけど、それが趣味だ好きだという感じでは書かれない。あまり強く主張しない。ねぇ、本当のところ、何を聴くの?wそれすら知らない。

 それらは「クリオ」に持っていかれたままなのだろうか。

note記事

 彼女は、noteでは私なんかよりも遥かに上手に、私が手出しをしないような方(👼勢ね)も含めたいろんな種族の方(言い方💦)と社交的に振る舞って交流していて、たくさんの友人がいて、とても長く続いていて、しかもきちんと、だんだん深くなっていけているように見える。

 対して私は、noteでの社交は少し親しくなってもしだいに軽微な思想の違いが明確になることで距離を置いて、しだいに絶縁することが多い。もちろん、長く続いている方も結構いて薄くつながっている。それに…、仲良くなる前に必ず一度、喧嘩してしまう(というかベタの甘噛みというか洗礼をね…ごめんなさい!!💦)…いつもそう。実生活でも。いつも。

 彼女は昔から一定の、早いペースでnoteを更新し、話題を提供し続ける。あまり深く切り込んだようなエッセイは無く(柔らかく優しいという意味ね)、インスタントの、たまに流行を取り入れたりした、軽妙な冗談の、洒落た感情で、誰に対してもウェルカムな姿勢で描かれていて(実際に絵の時も多い)、基本彼女はエンターテイナーだと思う。それが彼女の仲間達を本当に楽しませている。

 小説やエッセイも軽くて柔らかい。けど、中身はしっかりしていて味わい深い。私が推薦する代表作はこれかな。

 対して私は記事のペースは落ちてきていて、昔は軽い散文程度だったのが、だんだんと重くなってきて、いちいち真剣になってきていて、読む人を選ぶことになっているのを自覚している。というか、読む人のことを考えておらず、心の奥底の闇のかけらを拾い上げるような、祈りのような気持ちで自分の奥底に渦巻く黒い感情を、脳を経由させることで論理的な冷ややかな文章に変換して書いている。ことが多い(たまに軽いのも書くけど)。

コメント、人づきあい

 クリちゃんの記事にコメントすると、適切にそのコメントへの返礼として逆をかましてくれるし、それが長続きしないよう気を遣っているテクニックも持ち合わせてくれる。親切だ。

 また、ひとの記事(私のも含め)へコメントする時は、しっかり本文を読んで、的確にするどくかつ著者が思うところへの自分の意見や感想、または重ければ少しこころが軽やかになるようなことをコメントしている。

 対して私は、私の記事へコメントされた場合は、多くはいただいたコメントの数倍の文字数で返すことが多々ある。コメントしてくださった方に少し見え隠れした誤解を解くためと、自分の言葉を誤解されたく無いため必然的に量が多くなる。しっかり説明する、というつもりなのだが。

 そして人の記事へコメントする時も、多くは長文で、その本文の大部分を割いて主張している主題に対して、ではなくて、その周辺にある著者の脇腹に鋭い刃物を刺すようなコメントをしてしまうことが多い。「ほら、本当は痛いんでしょう?泣きたいんでしょう?」というように。しかし長文コメ自体、見ただけで、それだけで緊張で慄くだろう…。普通怖いよね。

 私はぜんぜん優しく無い。クリちゃんはとても優しい。

アイデンティティ

 私はたびたび自分のルーツ、ともいうべき、音楽のルーツや家族の話しを書く。それは私が生来から常に「アイデンティティ」を求めていて(何かと必要があって)、それを回顧する必要があるからだ。あまりまだ触れていなかったのだが、自分が自分である事実を揺るがす事件が幾度かあったから…。

 私が私である理由。アイデンティティというものは不思議なもので、たびたび自覚しないと目減りしていってしまう。脳は、無意識下で自分が自分であることを必死に反芻してそれによって自意識を保っているらしいけど、それってコンピュータのDRAM、メインメモリは、電流を通し続けないと記憶を保持できないような仕組みなんだけど、きっと脳の記憶領域も同じような構造なのだろう(USBメモリとかSDカードとか、電源を切っても記憶しているのはSRAMね)。

 私はたぶん結構リラックスする方法を知っているからそうしているけど、実は常に何かと仕事などで戦っているし、緊張しているし、自分の作品を作る時は毎回命を削るような思いで作っている。

 自分で、自分を、留めておくことは難しい。

 対してクリちゃんは、あまり家族や友人のことや、昔しのことを書かない。

 noteでは友達はいっぱいいるのに、外では友達がいないのだろうか。ここで話す必要性が無い、といえばそれまでだが、それをネタにする気がしないほど、noteと現実世界を切り離したいと思っているのだろうか。

 そこに彼女のつらさが見え隠れしないか。

 家族、昔の友達、過去。「クリオ」に持っていかれたままなのだろうか。

「泣いているじゃない。」

…私と違って、みんなといつも楽しく遊んでいるように見えるクリオネちゃん。でも、ひとりになったら、ひっそり泣いていやしないか、それが怖くていつもみんなと遊ぶことを考えて起きている限り遊ぼうとしているクリオネちゃんを、私は想像することがあります。

「うわぁぁぁぁー!!」このあと二人で泣き叫ぶ。戦闘中の敵同士で。ハードボイルドSF、フレッシュプリキュア。

 彼女はいつも優しい言葉をくれる。

 私が寂しくて鳩になってると一緒に鳩になってくれる。

 私が密かに傷ついているといつも優しい関係ないことばをくれる。

 君は優しいね。

クリちゃんへ

 あの頃はクリオネちゃんまだデビューしたての頃だったのね。私何も気遣いせずに前からいる慣れた方だとばかり思ってたわ。最近ははっきり言うけど絡みが減ってきたじゃない私たち?歩んでる道が別れてきたのかなって。まだよく分析してないけど、お互い信じる道を歩みましょうね。そして定期的に、乾杯しましょうね。ていうかいつでもね^_-=☆

 私は次々と変わっていく人だから。
 飽き性で、甲斐性ない人だから。

 変わっていく人としか密に付き合えない人だから。

 でも、君は変わらないね。

 それでいいのか悪いのか私にはわからない。君が本当は変わろうとしているのか、していないのか、私にはわからない。でも、もし君はいつまでも変わらないで、いつまでもそのままでいてくれるなら、あなたはいつでも私が帰ってこれる「場所」です。

betalayertale

3600文字

楽しい哀しいベタの小品集 代表作は「メリーバッドエンドアンドリドル」に集めてます