見出し画像

書く習慣「自分と人生が変わるいちばん大切な文章力」を読んで

こんちは、べーたです。
7歳、4歳、2歳兄弟の
三児の父をしています。

今日は、読んでみて良かった本

「書く習慣」

について

紹介したいと思います。


結論、

文章を書くということのハードルを下げてくれた


そんな一冊でした。



自分もなにかを発信したい

そんな思いでnoteを始めたのが
2年半くらい前

当時はダイエットに成功したときだったので

この体験や経験を書きたい気持ちで
いっぱいでした。

頑張った自分の記録を書くこと
得た知識を書くこと
誰かに教えてあげれること

書くことなんかひたすらあるわ


と思っていざ書き始めていくと

数本記事を書いたところで

すでに様子がおかしくなっていました。


あんなに書きたいことがあったはずなのに

書けない、、、

理由はいろいろあったと思いますが

おもに下記の理由があげられると思います。

・書くことに慣れていなかった
・他人と比べてしまった
・自分の文章には意味も価値もないと決めつけてしまった



【書くことに慣れていなかった】

当時、記事を一つ書くのに
かなりの時間を費やしていたかと思います。

記事の構成や表現など
不適切でないか、
もっとわかりやすい表現はないか

書くことになれていなかったので
シンプルに時間がかかったのは仕方なかったですが

いま振り返ると
やたらと色々なものを気にしすぎていたように思います。

そんなことをしていては
当然、記事の公開は遅れ
一つの記事を出す頃にはかなり疲弊しています。

そしてやっと公開できた記事はさほど
読まれない。

こんなに苦労して書いたのに、、、
と力の抜ける状態に

圧倒的な悪循環でした。

結果、モチベーションはどんどん下がりました。


【他人と比べてしまった】

当時、似たような性質(ダイエットに関する記事)
を書いている人たちのブログ等も参考にしながら
書いていました。

参考程度で考えていればいいのに

他の人の考え方や書き方、
表現や構成を見ているうちに

自分の記事は

読みにくい
何書いているかわからない
センスがない
きもい 等々

ぶっちゃけ自分のレベルが低すぎると感じてしまい
書いているのがつらくなってきてしまいました。


【自分の文章には意味も価値もないと決めつけてしまった】

上記2つの理由とも被りますが、

頑張って書いてもほぼ読まれない、
自分が書いたものなんかより
他の人のほうがわかりやすく読みやすい

自分の書いていること、
時間をかけてやっていることに

意味なんてあるのか?


そう思い始めてしまい
ついには書くことをやめてしまいました。


それが2年前の自分です。


【書く習慣の本を読んで】


誰でも何でも書いていい

本書を読んで背中を押された気持ちになりました。


細かいことは気にせずに
素直に自分がいいと思ったことを書けばいい

こんなめちゃくちゃな文章を世にだしては
ダメなんじゃないかと怯えなくてもいい

別に文才がなくても文章を書いていいし、

別に完璧な記事じゃなくても公開していい

自分の中から出てきた言葉や感情を大切にすることで、
自分にしか書けない文章になっていくということが
わかりました。


また、自分の文章には意味も価値もないと
がっかりしていましたが、


それは自分で決めることではないということも知りました。

別に文章に限らず、
すべてのことに意味などないと
筆者のいしかわさんは言っていました。

文章に意味付けをするのは自分ではなく
文章を読んだ人

それを読んでどう思うかは
読んだ人しだいということです。



難しく考えずにヘタクソでも簡単な表現でもいいから公開してみる。

そしたら、どこかで誰かが読んでくれて

良かったとか悪かったとか
共感してくれたり参考にしてくれたりする


重要なのは書き続けることで

どんなにヘタクソでも
結局は書いたもの勝ち



今年に入って、またなんかを発信したい
なにか書いてみたい欲が出てきまして
1月からほそぼそとnoteを更新していますが

やっぱり書けないときや
無意味に感じることもありますが

「書く」ことって自由で意外と適当でいいんだ

と文章を書いて発信することのハードルが下がったので
なんとなく気負うことなく続けることができそうです。




今回は以上です。

いつも頑張っている誰かの役に立てれば幸いです。

ではまた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?