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【第62話】キッシュが冷たくなるまえに (カウンターの謎の女)

 皿とワイングラスを洗い終えて、余分な水分をふき取っていると、二人が笑顔で戻ってきた。
 「翔太君に黙っていて悪かったんだけど、実は今晩あのレバーペーストをワインを飲んでるお客さんに試食してもらってるのよ」
 「ミカさんが私達二人だけじゃなくて直接お客さんに食べてもらって、感想を聞いたらいいんじゃないかって、昨夜二人で話をして決めたんです。翔太さんには言ってませんでしたが・・・」
 二人は顔を見合わせて、ナゾナゾの種明かしをする少女のような顔で笑っている。
 「で、食べた人達に感想を聞いてみたら好評で、新しくメニューに載ったら是非食べたいって言ってくれたのよ。常連の佐藤さんが、シャルキュトリーみたいな加工肉の詰め合わせをつまみながらお酒を飲めたら最高だよねって」
 「それで、今夜リエットっていう豚肉のペーストを試作するので、もしかしたらこの店で作ったシャルキュトリーの詰め合わせが近々登場するかもしれないですよって調子に乗って言っちゃいました」
 はるかさんは軽く舌をだして苦笑いをすると、冷蔵庫からピザ生地を出して追加のピザづくりに取り掛かかりはじめた。

 「気が早いですね、シャルキュトリーをするんだったら、パテとかハムとか生ハムとか作らないとダメですよ。パテぐらいなら出来るんだけど・・・」
 「ま、シャルキュトリーの詰め合わせはともかく、レバーペーストは来週からメニューに載せるの決定します。リエットも出来たら一緒にメニューに載せたいわ。今晩の試作が楽しみねぇ」
 ミカさんは浮かれてそう言うと、レジでお会計待ちのお客さんのベルが鳴ったのでさっさとレジに消えていった。

 無責任なことを言うなぁと思ったが、僕は試作を手伝うだけで、実際に作る訳じゃないと自分に言い聞かせて納得した。今日の試作を成功させて二人にに頑張って美味しく作ってもらうしかない。一人残されて手持ち無沙汰の僕は拭き終えたワイングラスをライトに透かして見ると、クリスタルのグラスに先ほどまで口紅や油の汚れはきれいさっぱりに消え去っていて、ライトの反射でキラキラと輝いている。小さな満足感が自分を満たして、僕は誰にも見られていない空間で一人頷いた。

「あなたがこのレバーペーストを作ったの?」
 ワイングラスをグラス置き場に戻そうとカウンターに入ったときに、誰かに不意に呼び止められた。女の声だった。僕を呼んだのはカウンターに座ったスーツ姿の女性で、年の頃は僕より上で40歳ぐらいだろうか、綺麗にそろえられたボブカットが印象的で、カウンターには空になったワイングラスが一つ置いてある。8割ほど埋まったカウンターは彼女以外は男で、メンズのようなスーツを着ている彼女は違和感なくカウンターの風景に紛れてはいるが、肩幅の狭さ、顔の大きさが男達とは違う。

 「そうです、お口に合ったでしょうか?」
 「血の臭みもなく、食感もしっとりとして美味しかったわ。調理経験があるのかしら?」
 調理経験の有り無しを聞くなんて、値踏みのニュアンスを感じたが、そんなことで憤慨する自分は変にプライドが高い奴だと思い直した。
 「ありがとうございます」
 僕は冷静さを取り繕って感謝の意を示して、彼女に背を向けて洗ったグラスをカウンターのグラス置き場に並べ始めた。正直こういう客は苦手だ。いろいろ根掘り葉掘り質問されて、自分の好きなウンチク話に誘導されて、結局グルメ自慢を展開されるのが落ちだ。調理経験の有無を言わなかったのは「どこの店でやってたの」「どのくらい経験があるの」と矢継ぎ早に質問が返ってくるのがわかっているからだ。そこそこお金を持っていそうな、カウンターで一人で一人飲みの女性の客、しかもワインを飲んでいて、料理やワインの持論を展開するチャンスを虎視眈々と待っているタイプだ。もうちょっと年上なら肩の力が抜けて、肥大した自意識を封印できる術を持っているんだろうが、まだギラついていて、一見地味なスーツ姿から意外ににも思える派手な自意識オーラが出始めてるのを感じる。身に着けたモノや飲み食いしているモノが洗練されてはいるが、自身の洗練の方向性がちょっと違うんじゃないかとさえ思ってしまう。そんな風に感じるのも歪んだ自分の自意識のなせる業なのだろうか?

 「ではごゆっくりどうぞ、厨房仕事がありますので失礼します」
 そう言って精一杯の笑顔を作って会釈をした。彼女の出鼻を砕いた手応えを感じながら、逃げるように厨房に帰っていった。

 厨房に入ると大きなため息を吐いて、その音が厨房に響き渡った。
 「どうしたんですか?何かあったんですか?」
 ピザをオーブンに入れ終えたばかりのはるかさんが心配そうに声をかけてきた。
 「いや、ちょっと苦手そうなお客さんに声をかけられたんだよね。一応失礼にならないように気をつけたつもりなんだけど、逃げるように戻ってきちゃった」
 声が筒抜けになるのが嫌で、ひそひそ声ではるかさんに言った。
 「苦手そうなお客様?どの方ですか?」
 はるかさんはひそひそ声で答えて、その客を確かめるためにカウンターの方に歩き始めた。
 「そこから見えるかな?カウンターの真ん中に座ったスーツ姿の女性」
 はるかさんとのすれ違い様にさらに絞った声で僕が言うと、はるかさんはそっとカウンターの様子を盗み見して作業台のところに戻ってきた。

 「あぁ、さっき言った常連の佐藤さんですよ。シャルキュトリーの盛り合わせでワインが飲みたいっておっしゃってた方です」
 
 
 

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