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女風料理人リウ、 恥ずかしながら童貞です 第一話 クレオパトラの夢 3

 「リウは、もうしばらくしたらこの仕事を辞めてフランスに行くんでしょ?そしたら逢えなくなっちゃうじゃない?」
 「またすぐに逢えるよ、フランスに遊びに来なよ。一緒に三ツ星レストランをハシゴして美味しい物を食べまくろうぜ」
 ぼくの唇は彼女のうなじをなぞるようにゆっくり上がっていく。唇は耳たぶを捉えると、彼女はため息のような声を漏らした。
 「ぼくがフランスから帰ってきたら、お店を出すから出資してよ。店のオーナーになってくれたらいつでも会えるでしょ?」
 ぼくが耳元でささやくと彼女の身体がビクっと反応して、脚が微かに痙攣しはじめた。
 「そりゃそうだけど・・・」
 「星付きレストランのオーナーになってみたくない?」
 「そりゃなってみたいけど・・・」
 「肉体だけじゃなく利害もからみあった関係っていいと思わない。欲にまみれた二人が、欲の業火で焼け死ぬんだ。ロマンチックじゃない?」
 一面炎の中、ドアが半分開いた出口を見つけたぼくとミカは、必死に走ってノブの手をかけようとすると、中から洗濯屋ケンさん扮する大天使ミカエルが現れてドアを閉めようとしている。「天国」と書かれたドアのノブに手がかかった僕をあざ笑いながらケンさんはドアを閉めて、中からガチャリと施錠の音がした。二人で必死にドアを叩く背後から炎がドンドン大きくなって近づいてくる。そんな絶体絶命の情景が目に浮かんだ。ロマンチシズムのカケラもありゃしない。
 「焼け死ぬって言ったら、東宝の特撮映画、空の大怪獣ラドンを思い出すわ。ラストで、つがいのラドンが2匹折り重なるように阿蘇山の火口に落ちてゆくのよ。やるせなかったわ・・・」
 「東宝の特撮映画にロマンチシズムを感じる感性がよくわからん」
 彼女はぼくの言葉に照れ笑いをして、ぼくの身体を手で押して、服の乱れを直して手櫛で髪をといた。
  
 ぼくはバッグから保冷のワインケースを出して、丁寧にプチプチで梱包したシャンパングラスを二つテーブルの上においた。

 セロファンテープに手間取ってプチプチを外せないぼくを、彼女は笑顔で見つめながら、シャンパーニュのボトルを出して抜栓をした。モエ・エ・ジャンドン ロゼ。ぼくは悪戦苦闘の末にようやく開梱されたオールドバカラのシャンパングラスをテーブルに置いた。今日は縦長のフルートグラスじゃない横に広がっているクープタイプを選んで持ってきた。植物の茎がグラスを包むようにデザインされていて、アールヌーボー風のデザインが美しい。機能性重視のフルート型全盛のこの時代に、ひっそりと廃れた美しい物を味わう。そんな滅びゆく時間を楽しんでいるぼくは、ちょっと老成しすぎなのだろうか?

 ぼくはモエのボトルを手に取ってグラスに注いだ。ソムリエの連中に言わせると「切子の柄があってワインの色が見づらい」だの「クープ型は高さがないので、泡が立ち上っていく距離が短くて泡がキレイに見えないからダメ」だの「過去の遺物」扱いをされるのがおちのアンティークのクープ型のグラスだが、そんなウンチクレベルの話を情報処理するしかできない奴らにこのグラスの良さはわかるまい。若い女しか知らない童貞に毛が生えた若い男のたわごとのように思う。よく考えると僕も若い童貞の男だが、巷にあふれるもっともらしい情報を処理して、わかった気になるのだけは違うんじゃないかと思っている。淡いピンク色の液体が満たされたアンティークのグラスは、歴史というエレガンスさに新しい生命力が与えられて新しく生まれ変わったように輝いている。平成、令和とシンプルでミニマムが良いとされてきたが、それが戯言で、貧乏くさい自分の肯定だったのが今はよくわかる。ピンク色に染まったヌーボー風の植物の柄のグラスを見ていると、もっと豊かだった時代に思いを馳せたい、そう思わせる。

 「童貞の新しい門出に乾杯!」
 「欲の業火で焼かれる二人に乾杯!」

 久しぶりの再会と僕の独立を祝ってグラスを空けた。

  クープ型のグラスのよさは、年齢のいった女性が、グラスを上げずに飲み干せるのがいい。フルート型だと飲み干す際に、どうしてもアゴを上げて首筋が丸見えで飲み干さなければならない。女性の年齢は首筋にでるのはこの商売をしていてよくわかる。ミカは首筋がどうのっていう年齢ではないのだが・・・。

 「料理やグラス、酒や皿、カトラリーにいたるまで、自分でラブホまで運んでサービスするって大変だよなぁ。なんかいいアイディアない?」
 ぼくはモエを飲み干して、手酌でグラスに注いだ。
 「そうねぇ・・・。なくはない」
 「ほんとう?」
 「別宅があるの、今はほとんど使ってない古い建物なんだけど・・・」
 彼女は現在マンション住まいのはずだ。
 「それを使ってもいいの?マジ」
 「ただ一つ難点があるの」
 「難点?雨漏りとかネズミが廊下を走り回っているとか?」
 天井から落ちてくる雨水を厨房の床にタライを並べて集めて、そのまわりをネズミ達がエサを探してうろちょろしている、そんな絵が頭に浮かんだ。さすがにそんな不便で不衛生な場所で料理なんかしたくない。
 「そんなんじゃないわよ、あなた霊感は?」
 「自慢じゃないけどまったくない」
 「金縛りの経験は?」
 「全然、なってみたいもんだね」
 「なら大丈夫かも・・・」
 「もしかして・・・出るとか?」
 「いや私は見たことがないんだけど、若い女の霊がでるらしいのよ。あくまでも噂よ、噂。家族の人間はだれ一人見たことないし・・・」
 ミカは残ったシャンパーニュを一気に飲み干した。ぼくは空になったミカのグラスにピンク色の液体をもう一度注いで話をつづけた。
 「ふーん、別に、リングってホラー映画があったよね、あの映画で呪いのビデオの中の古い井戸から貞子が出てきて、さらにブラウン管から出てくるシーンがあったじゃん?」
 「あの真田広之が白目剥いて死んじゃうやつね」
 「ぼく、あのシーン見てゲッラゲラ笑って家族に大ヒンシュクを買ったことがあるよ。あの貞子が地面を這いつくばってるところで、もう笑いをこらえるのが大変で、肩が上下に動くのを必死に止めてたけど、あの真田広之の顔を見たら吹き出してさ、一番怖いシーンをぶち壊したことがあるよ。姉にはあなたとだけは絶対にホラー映画を見ないって言われた」
 「姉の気持ちはよくわかるわ。恐怖映画の傑作のリングをコメディー映画に貶めるあなたって何様なの? 作者の大石圭さんが聞いたら涙を流して悲しむわ」
 「ちなみに、大石圭さんは呪怨の作者で、リングの作者は鈴木光司さんです。あしからず」
 「ごめん、鈴木光司さんだったら、貞子が股間から潮を何度も噴いても、軽く笑い飛ばしてくれそう、よかったわ」
 「まぁ、その別荘から貞子が出てきても、抑え込んで性感マッサージしちゃうもん」
 「貞子が女風に行く映画ができたら、主題歌の歌詞だけはちょっと変えてほしいよね。きっとイクぅ~♪」
 ミカは下世話な替え歌を歌い始めた。もう酔っているのか、それともぼくに久しぶりにあったので浮かれているのか、ぼくにはさっぱりわかりません。もしこんな下ネタが入った替え歌を歌うミカを会社の人たちが見たならば、いったいどう思うのだろう。チャコールグレイのパンツスーツをピシッと着こなした仕事ができるミカ。東証一部上場企業の役員の肩書がついている中年の女が、下ネタの替え歌を歌っているなんて。不況が続く令和の世の中でも、光明はあるものだ。
 「とにかく、その別荘だったらキッチンがついてるし、食器もちゃんとそろってるわよ。クリストフルのシルバー、オールドバカラのグラス、オールドノリタケの皿。今のあなたには有り余るくらいのものが置いてあるわよ」
 「そこ使っていいの?条件は?」
 「条件は無料、ただし条件があるわ」
 「条件?」
 「それは・・・」

  
  

 
 



 





 




 
 

 
 


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