見出し画像

キッシュが冷たくなるまえに【第64話】カウンターの内側で

 カウンターの客全員の視線が僕に集まってしまった。ミカさんはそのお客さん達の視線の先に気づいてこちらを振り向くと、お互い目が合い、こっちにおいでと手招きをしている。
 「紹介するわね、彼がこの店で料理のコンサルをしてくれてる絲山翔太君です。翔太君こっちに来て」
 モタモタしている僕にじれたのか、ミカさんは強引に僕の腕を引っ張って、僕はズルズルとカウンターの中央に連れて来られてしまった。目の前にさっき会話した佐藤さんが座っていて、目が合ったので軽く会釈をしてカウンター席を見渡すと、佐藤さんを挟んで右側に20代のアベックが一組と、左側にスーツ姿の男性3人のグループ客が座っている。
 「さあ翔太君、みんなに自己紹介して」
 僕はミカさんから背中を押されると、ヨロヨロと一歩前に出てしまい、みんなの視線がさらに強くなるのを感じて、額からじわっと汗が出てきた。
 
 「初めまして、わたくし絲山と申します。今ミカさんの娘さんの代わりに週末にキッシュを作ることになって、その流れでこの店の新しいメニューの作成をしてます」
 僕は覚悟を決めて、自分が出来うる精一杯の爽やかさで自己紹介をした。すると意外にも男性客の「おぉ」という野太い歓声とともに拍手が帰ってきて、正直驚いた。みなさん程よく酔われているのかノリがすこぶるよい。

 「さっきもらったレバーペーストを作ったのって君かな?」
 3人組の男性客の一人で、カウンターの左端に座っている男性がたずねてきた。ラガーマンのようながっしりとした体形で、ショートカットの髪のところどころに白髪が目立ちはじめている。ジャケットを脱いでネクタイを若干緩めて、左の肘をカウンターの肘置きに置いて身体を傾けるようにこちらを見ている。
 「そうですよ、昨晩作って今日スタッフ全員で試食をするはずが、ミカさんがフライングでお客さんに出しちゃってビックリしました。僕もまだ食べていないんですが、お口に合ったでしょうか?」
 「うん、うまかったよ。ちょっとつまんで食べて飲みたい私らには、こういう料理が欲しかったんだよ」
 その男性はそう言うと、グラスのワインを飲み干した。この人が三人の中で一番貫禄があって年上っぽい。たぶん上司だろうか?
 「僕はレバーって好きじゃないんだけど、騙されたと思って食べてみてってミカさんが言うもんだから、食べてみたら血の臭いがしなくてクリーミーで美味しかったっす」
 真ん中に座った一番若く見える2ブロックの髪型の男の子が、赤ら顔で褒めてくれた。あどけなさが残る笑顔が印象的で、彼の前に置かれたワインが半分ほど残っており、酒がそんなに強くなさそうだ。
 「絲山さんって見た感じ料理人って感じがしないけど、飲食業界の人ですか?」
 このグループの中でいちばん僕と年齢が近そうで、細面の顔に黒ぶちの眼鏡が似合っていて、物腰の柔らかなそうな男性からの質問が続いた。
 「いいえ、自分は元飲食業界で働いていたクチで、今は違う業界で働いてるんですよ。コンサルは、ミカさんに無理やりやらされてるというかなんというか・・・」
 僕はそう言ってミカさんを見つめると、ミカさんは苦笑いをしている。
 「実は今も新メニューの試作を厨房でしていて、リエットと言って、豚のバラ肉を炒めて煮て、ペースト状にしてバゲットに載せて食べるフレンチの前菜のことよ。近々メニューに載せる予定で、ワインに最高に合う料理になるはずだから、みんな楽しみにしておいてね」
 そう言って笑うミカさんは、何故だかいつもより楽しそうだ。

 「カウンターでさ、お客さんに軽く食事をながらワインを飲んでもらって、自由な時間を過ごしてもらう。しかも本来やりたかったフレンチのメニューでそれを実現できたらなぁとずっと思っていたんだけど、翔太くんのおかげでそれがついにできそうなのよ」
 ミカさんは饒舌になり弾むような声で話を続けた。
 「それもこれも翔太君が協力してくれたから。ホント感謝してるわ」
 「いやぁ、感謝される程のことはしてないんですが・・・」
 僕は照れを隠すように否定したが、にやけた表情は隠せていないだろう。
 
 「絲山さんってもしかしてフレンチの厨房にいたんですか?」
 若いカップルの男性客が質問をしてきた。まさか若いカップルからも話かけられるなんて思いもよらず驚いた。僕がカウンターに入る前に、ミカさんはみんなと会話をしていたのだろう。カウンターの誰もがすっと会話に入り込むことができる柔らかい雰囲気が漂っていた。
 「ほんのちょとですけどね」
 僕は謙遜に答えた。今だに飲食業界でフレンチという記号は厄介だ。必要以上に色眼鏡で見たり見られたりすることが多い。なるべく肩の力を抜いて作る方も食べる方も自然にしたい派はいつも少数で、いつも居場所がない。

 「絲山君って、新しくできたレストラン「NAGITO」のシェフの凪人君の専門学校時代の同級生なんでしょ?凪人君本人から聞いたわよ。パリでも1年間ルームメイトだったとか」
 いままで黙っていた佐藤さんがクチを開いた。一瞬胸がドキッとして心臓が止まるかと思った。思わずミカさんと顔を見合わせてしまった。なんで佐藤さんがそんなことを知ってるんだ?あいつも余計なことを言いやがって。そんなことは誰にも知られたくなかったのに・・・。カウンターの人達の視線が驚きから好奇に変わったのを僕は感じていた。
     
 「パリにもいたんですか?だからキッシュとか上手に作れるんだぁ。先週末に彼女がランチでキッシュを食べて、とても美味しかったから、ぜひディナーで違うメニューも食べてみたいって言われてやってきたんですよ。でもキッシュって週末のランチだけなんですね、残念。またランチに来て食べてみます」
 男の子はそう言うと、明らかにさっきと違った目で僕を見ている。
 「すいません、明日の朝に家で作って持ってくるので、明日の昼なら大丈夫です。明日のご来店もお待ちしております」
 僕は平静をよそおって作り笑顔で答えた。アベックの僕を見る目が何かキラキラしているものを見るようで、余計な色眼鏡で見られるようになってしまったのを実感した。

 「佐藤さん、凪人は僕の事をなんて言ってたんですか?」
 おそるおそる聞いてみた。
 
 

 




 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?