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プロ野球チップスカードと、江夏選手の思い出。

なつかしのプロ野球カード

実家で、カルビーのプロ野球チップスカード数十枚を発見した。

当時は一袋30円で、カードは一枚。


小学生の頃、市営プールで遊び、売店でチップス一袋と棒アイスを買うのが夏休みの最高の楽しみだった。
そうして一枚一枚集め、また、友達とトレードをしたりしてコレクションしたものだ。

ベストナインを考えてみた。

眺めていると、プロ野球ファンのさががうずいてしまい、見つかったカードでのベストナインを考えてみた。


打順はこう。(成績は1984年のものを調べてみた。)

⚾️ ⚾️ ⚾️

1(左) 松本(巨人)121試 ,259 3本 24点 45盗
2(中) 屋鋪(大洋)124試 ,305 4本 29点 11盗
3(一) バース(阪神)104試 ,326 27本 73点 1盗
4(遊) 原(巨人)130試 ,278 27本 81点 7盗
5(二) 落合(ロッテ)129試 ,314 33本 94点 8盗
6(三) 掛布(阪神)130試 ,269 37本 95点 3盗
7(右) 吉村(巨人)115試 ,343 13本 34点 8盗
8(捕) 山倉(巨人)114試 ,241 12本 43点 1盗
9(投) 江夏(西武)20試 防御率3.65 1勝2敗8S

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どうだろう。
1980年代のプロ野球を知っている人なら、つっこみどころの多いオーダーかもしれない。

ショート・原

まず、「ショート・原」はどうなのか?
これがこのオーダーの最大の問題かもしれない。
しかし、どうしてもこの豪華な内野陣でオーダーを組んでみたかった。
バースはファーストに固定するしかないので、落合をセカンドに。落合は元々はセカンドを守っていたので問題ないと思う。
原と、掛布、どちらをショートに置く?これは悩んだ。
結果、若い原の方が順応できるのでは?という雑な理由で原をショートとした。
(「4番サード原」は捨てがたかったが、、)

セリーグ偏重

「いくらなんでも、セリーグ偏重ではないか?」とも思われるかもしれない。
パリーグからは落合と江夏しか選んでいない。
これには、当時の「セリーグ人気上位」という背景がある。
「人気のセ、実力のパ」などともよく言われた。
そのせいか、カードもセの選手が出る確率の方が高かったように思う。実際、手元のカードも、セの選手が多い。

パリーグにも名選手は多かった。
阪急の山田久志、福本、蓑田、松永、南海の門田、新井、ロッテの村田兆治、リー兄弟、近鉄の鈴木啓示、梨田、日本ハムの島田誠、西武の東尾、田淵など、次々と名前は浮かぶ。
この内、山田久志、福本、梨田、島田誠のカードはコレクションにあった。

しかし、自分にとってパの選手はオールスター等でしか見ないレアな存在であり、どうしても思い入れが足りない。
結果、セの選手中心のオーダーとなった。

なぜ1984年の成績?

翌年、1985年のバースと落合の凄まじい成績を知るファンは多いと思う。

バース(阪神)126試 ,350 54本 134点 1盗
落合(ロッテ)130試 ,367 52本 146点 5盗

セ・パ両リーグで同年に三冠王が誕生という奇跡。
さすがにこの成績だと、ベストナインの4番はバースか落合にしないとおかしい。
ただ、個人的に「4番・原」にしたい。
ということで、1984年の成績でオーダーを組んだ。
1984年の成績であれば、4番に原でも、ぎりぎりバランスが取れるのでは、と思った。

お察しの通り、私、巨人ファン、原辰徳ファン、である。

ピッチャー・江夏豊

そして、「ピッチャー・江夏」もおかしいと指摘されれば、その通り。

江夏(西武)20試 防御率3.65 1勝2敗8S

1984年の成績であれば、14勝の山田久志(阪急)か、11勝の小松辰雄(中日)のカードもあったのだが、私が選んだのはピークをとっくに過ぎた江夏。

その理由は、江夏の最盛期の桁外れの成績に敬意を払った・・わけではなく、もっと単純な理由。

西武時代の江夏本人にサインをもらったから、というのが、実は選出の理由。

サインをもらった日のこと。
どういう経緯だったかもう覚えていないが、所沢の運動場(おそらく、西武ライオンズの練習グラウンド)に父親に連れて行かれた時に、江夏豊がトレーニングしているのを発見し、持っていたスケッチブックにサインをもらったのだった。

当時、江夏豊という選手について漠然とすごいことは知っていたが、伝説の「江夏の21球」などは知らず、正直特別ファンという訳ではなかった。

しかし現金なもので、大感激したのは覚えている。

なにしろ、目の前に超一流のプロ野球選手がいて、自分のためにサインを書いてくれたのだから。

その時の江夏豊は体調がすぐれず二軍落ちしていた。広岡監督ともうまくいっていなかったらしい。シーズン途中で二軍落ちし、そのまま一軍に上がれず、ペナント終了後には、西武退団となってしまう。

そういう時期であったことは後から知ったのだが、何となく表情に翳を感じ、子供心にも、「あんまり明るい性格ではないのかな。」と思ったのを覚えている。
しかしながら、表情は柔和で、ちゃんとした色紙でもないスケッチブックにサインを書いてくれた。

ということで、マイベスト・ピッチャーは、江夏豊。

最後まで、独断と偏見、思い入れのみのベストナイン。

久しぶりに見つけた野球カードのおかげで、少年の頃のときめきを思い出すことができた。

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