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気持ちを打ち明けるときの三点確保

どんな悲しみでも、それを物語に変えるか、それについて物語れば、堪えられる。——イサク・ディネセン

アーレント『人間の条件』(志水速雄訳) 
第五章「活動」のエピグラフからの孫引き

 あることを誰かに打ち明けるとする。それはなかなか言い出しにくいことで、打ち明けるのに勇気のいることだとする。
 例えばこんな状況。AさんにXということ(別に「告白」とは限らない)を伝えようか迷っている。言ってしまったら、大変なことになるかもしれないし、そもそも恥ずかしい。このとき、まずAさんと関わり合いのあるBさんに対して、AさんについてXということを伝えようか迷っている、という話をしてみる。
 そうすることで、まず、AさんにXと伝えることが良い結果に終わるか、悪い結果に終わるかの予測が少しつく。さらには、もしその後にAさんにXを伝えたことで好ましくない結果が生じたとしても、Bさんに「AさんにXと伝えたこと」の結果を伝えることで、好ましくない結果による悲しみが慰められうる。
 しかし、ときにはBさんに「AさんにXと伝えようと思っていること」を伝えるのすら気遅れするという場合がある。そのときはどうするか。そのときはAさんともBさんとも関係のないCさんに、「Aさんという人にXと伝えようと思っていること」を伝えてみる。これによって、先ほど見たAさんとBさんとの関係と似た構図が、今度はBさんとCさんの間でできることになる。Bさんに伝えることすら臆病になるのは、Bさんに伝えた時点で落胆だったりある種の悲劇がもたらされたりする可能性があるからだが、そうなったとしてもCさんに言えると思えば、気持ちが楽になり、Bさんに「AさんにXと伝えようと思っていること」について切り出そうと思えるようになる。
 Xということは、「私」からAさんに伝えればいいだけの話で、突き詰めれば「私」とAさん以外の人を必要としていない。しかし、こうした1対1の関係ではどうにも均衡が破れないという状況が生まれてしまうときがある。そこで、Bさん、あるいはCさんまでをも、重層的に巻き込むことで、なんとか言えるようになるんじゃないか、ということを私は伝えにくいことがあるときによく考える。棒は3本の組み合わせで初めて自立する。カメラの1脚は手を離せば倒れ、2脚はそもそも製造されていない。3脚になって初めて自立する。何かを決心して言うときの心の持ち方も、この3点確保が重要だ。

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