見出し画像

「延々と」が「永遠と」と言われる現象について

要約:本来「延々と」されるべき表現が「永遠と」と書かれているのをよく見るようになったが、これはふたつの語が音声的、文法的、意味的にほとんど同じであることによるためであり、さらには予測変換という書き言葉の環境も手伝って、副詞的に使われる「永遠と」の使用を抑えるとすれば、もはや教養主義に訴えることしかない。

以下、この主張に対する詳細な検討。

導入

近頃SNSを中心によく見られる、本来「延々と」と書かれるべきところが「永遠と」とされる現象とその妥当性について考察してみたい。

はじめに、「延々と」がどのように使われているのかを確認しよう。例えば話し言葉では、「飲み会に無理やり連れて行かれたあげく、上司から延々と自慢話を聞かされてうんざりだった。」というようにややネガティブな意味合いを込めて用いられる。また、書き言葉でも、次のような例が見られる。「スタンバイ・カウンターの女性が、延々とリストを読み上げていき、今夜もやはり駄目かと思いかけたとき、突然私たちの名前が呼〔後略〕」(沢木耕太郎、『オン・ザ・ボーダー』、文藝春秋 ※ 「現代日本語書き言葉均衡コーパス」を利用)。意味については後ほど詳しく検討するので、用例を確認したところで次に移ろう。

「延々と」が「永遠と」とされる最近の一部の傾向は、先の口語の例で言えば「飲み会に無理やり連れて行かれたあげく、上司から永遠と自慢話を聞かされてうんざりだった。」としても気にしない、もしくは違いがあることにすら気づかないというものだ。あなたはいまこれを見てどう感じただろうか。その他の「永遠と」の事例は、Twitterで検索すれば枚挙に暇がないほど存在しているのがわかる。本稿を読む前にぜひ、このおびただしいほどの使用例の存在を確かめるべく、クリックしてみて欲しい。

音声

最初に「延々と」と「永遠と」の音声面での近さについて考えるのがよいだろう。「えんえんと」と「えいえんと」は2文字目だけが異なっており、さらには、発音上、不規則になりやすい母音と撥音(「はつおん」と読む。「ん」の専門的な言い方)が交互に現れている。これらが実際の発音にどのように影響を与えているのか見ていきたい。

まず音素記号とひらがなで整理してみよう。「延々と」は、/ eɴeɴto /(「えんえんと」)で、「永遠と」は、/ eieɴto /(「えいえんと」)で表される。ここまでは単純な記号への変換で、ここからが少々厄介。というのも、 / ɴ / (「ん」)の音声上のヴァリエーションは、後続する音によって6種類に分けられるからだ。ここでは、「延々と」と「永遠と」の両方に現れている/ t /の前の / ɴ / と、「延々と」で「e」に挟まれている / ɴ / の2種類についてのみ扱う。

「延々と」

「と」の前の / ɴ / (「ん」)は、歯茎音 / t / の直前にくるため、音声記号では [n]で表される。この部分の発音に関しては、双方に現れているのであまり気にしなくていい。漠然と「ん」の音であると考えてしまって構わない。問題は、「えんえんと」において / e / と / e / に挟まれている / ɴ / (「ん」)の方だ。こちらは、発音の後に母音が続くので、鼻から抜ける音[ɪ̃](※ 追記:一部の環境ではチルダが真上にない場合があるが、本来はɪの真上に来る)となる。この記号は母音の[ɪ]の上に、鼻母音であることを表すチルダ(上のニョロっとしたところ)が組み合わされたものだ。じゃあその[ɪ]ってどういう音なのかというと、大雑把には「い」と「え」の中間の音と言ってしまってよいだろう。実際にどのような音かはIPAの音声を紹介しているサイトに行って聞いてみてほしい。そして、これを発音するときに鼻からも息を出すと[ɪ̃]の音になる。こちらの「ん」の音は先に見た「ん」の音([n])よりもやや特殊だといえる。なんだかややこしいようだが、あなたが「延々と」/ eɴeɴto / といえば、だいたい[eɪ̃ento]の音の通りになっているはずなので、何回か、できるだけ自然に「延々と」と繰り返し言って確認してみて欲しい。

ここで、鋭い人はあることに気づいたはずである。[ɪ̃]の音のところで、鼻から息が抜けたあと、[e]に向かう最中に、「ぃ」の音が聞こえないだろうか(もちろん人によってまちまちではある)。いきなり全く別の例を出して申し訳ないが、試しに「東急田園都市線」、「千円とiPhone交換して?」と言ってみてもらえないだろうか。なんと聞こえただろうか? おそらくは、普段から明瞭な発音を心がけている人(NHKのアナウンサーとか)でない限り、「とうきゅうでぃえんとしせん」、「せぃえんとあいふぉんこうかんして?」と聞こえたのではないだろうか。実はこの2つの例も「延々と」と同じく / eɴeɴto / という音素を含んでいる。

実際の例を聞き比べてみよう。幸いにして「田園」という単語は、路線名だけでなく、玉置浩二の代表曲やベートーヴェンの交響曲にも現れているため、サンプルには困らなかった。YouTubeで私が拾った実例を4つ掲げる。URLはどれも開始時間指定されているので、まさに「田園」と発せられる時点から聞くことができる。ぜひリンク先で聞いてみて欲しい。

参考1:東急田園都市線の車掌アナウンス /「でぃえん」に聞こえる(後で述べる、「厳密でない発音」)。
参考2:バラエティ番組の中で玉置浩二の「田園」のカバーの曲フリを自ら行う福山雅治/どちらかと言えば、「でんえん」と言っている(後で述べる、「厳密な発音」)。
参考3:ラジオ番組でのバナナマンの設楽統 /「でぃえん」と言っている(後で述べる、「厳密でない発音」)。
参考4:クラシック番組のナレーション /「でんえん」と「でぃえん」の中間の発音に聞こえる。(後で述べる、「厳密でない発音」と「厳密な発音」の中間)

だいぶややこしくなっていることは承知している。結局、「ん」なのか? 「ぃ」なのか?と訝しくお思いだろう。残念ながら[ɪ̃]が実際にどのように発音されるかは、個々人の領域(パロールの次元)なので、理論的にはこれいじょう踏み込めない。「ん」っぽく発音されることもあるし、「ぃ」っぽく発音されることもある、それは人によって違う、としか言いようがない。そもそも、「ん」っぽく発音される「ん」、「ぃ」っぽく発音される「ん」なんていう書き方とて正確ではない。物理的な音の波である音声を書き表そうとすることの限界がここにある。

そうはいっても、YouTubeのリンクで紹介した例のように、類型を取り出すことはできるだろう。ここで、厳密な発音と厳密でない発音、という区別を導入してみよう。「ん」よりも「ぃ」が前面化する場合を「厳密でない発音」とし、例にあげた福山のように「ぃ」が聞こえない発音を「厳密な発音」とする。このようにすることで、「結局、「ん」なのか? 「ぃ」なのか?」という問いに対して、両方の可能性を保持することができる。

永遠と

「延々と」の音ばかりに文字数を費やしてしまったので、ここで少しだけ「永遠と」の方についても検討しておこう。改めて「永遠と」を音素記号で記せば、/ eieɴto / (「えいえんと」)となる。実はここでも2種類の発音があると考えられる。肝心なのは出だしの / ei / だ。ひとつは単純に「えい」(連母音)として発音する場合、もうひとつは母音が連なることで、長音化する場合だ。ここで、先の例に倣って、前者を「厳密な発音」、後者を「厳密でない発音」としてみよう。なお、長音化というのは「東京」が「とうきょう」だけでなく「とーきょー」と発音されるような現象で、これは「えいえん」を「えーえん」と読むことにも認められる。このような長音化は東京方言に見られると言う。

以上、私たちは「延々と」と「永遠と」それぞれについて、2つの発音の仕方があることを確認した。図に起こせば次の様になる。なお、ここでは分かりやすくするため、すべてひらがなで表記している。色がどのように使い分けられているかに注目していただきたい。ここで青は青同士、オレンジはオレンジ同士で発音が似通っている(青同士の音がオレンジ同士ほど似通っていないことは認めざるを得ないが、青同士が実際どれほど似通っているかについては別の機会の検討としたい)。音1は厳密な発音、音2は厳密で無い発音である。

画像1

さて、ここからわかるのは、たとえ「延々と」が厳密に発音された場合にも、「永遠と」の厳密でない発音として解釈される可能性があり、その逆もまた然りで、「延々と」が厳密でない発音で発せられたとしても、それが「永遠と」の厳密な発音として受け取られる可能性があるということだ。

文法

「延々と」というのは学校文法的に言えば、形容動詞タリ活用の連用形で(※9/27追記:この部分についてはコメント欄でのやりとりも参照されたし)、「深々と冷える」の「深々と」や「堂々と構える」と「堂々と」などがその仲間である。副詞(連用修飾語)としてはたらくので先の例で見れば、「延々とリストを読み上げていき」の「読み上げ」ていく様子がいつまでも続くように感じられるということを「延々」という言葉で表している。

さて、「永遠と」の方だが、この語自体がそもそも誤りだということはできるだろうか。これは形容詞が「い」で終わるからといって、「永遠い」という語をでっち上げるようなことと同じ間違いをしているのではないか。これに対する答えはあっけないのだが、 『精選版 日本国語大辞典』の「永遠」の項によれば、「永遠」は名詞(体言)以外にも、形容動詞としての用法も存在すると記されている。「延々と」という形容動詞が存在するのと同じく、「永遠と」という形容動詞が存在すると考えても問題ないのだ。

また、形容動詞なんて存在しないという立場を取って、「永遠 + と」と分解して検討したとしても、「永遠と」が動詞で表される事態を修飾する働きを持つことに変わりはない。なぜなら、『精選版 日本国語大辞典』の「と」の項目の中には、連用関係を表すものの用法のひとつとして、次のような記述があるからえだ。「体言を承けてそれを状態性概念とし、また、擬態語を設けて状態性副詞を構成し、動作概念を修飾する。体言を承けた場合、比喩的修飾となることがある」

以上から、「永遠と」は語形成の面で問題がなく、文法の面でも「延々と」と同じ役割を果たすことがわかった。

意味

音声的な面での近接性があり、文法的に「永遠と」も適格であるとしても、もちろん、「永遠と」は「延々と」の「言い間違い」としてなされている表現であることには変わりない。この最後のパートでは、なぜこのような誤りが生じるのかを主に意味の面から考察していきたい。

先に引用した辞書から定義を確認しておこう。「延々」は「いつまでも長く続くさま。久しいさま。」の意味で、「永遠」は「(1)過去から未来に向かって果てしなく続くこと。ある状態が時間的に際限なく持続するさま。永久。とこしえ。永劫。(2)時間を超越して存在すること。時間に左右されない存在。」の意味である。「永遠」にはふたつの意味が書かれているが、「永遠と」と言われるときには主に(1)の意味で使われている。さて、比べてみて意味上に差があると言えるだろうか。ほぼ無いと言える。ましてや「永遠」が形容動詞「永遠と」になって、本来「延々と」が入るべき位置に置かれてしまえば区別はさらに困難となる。

具体的に、次のような状況を想定してみよう。ここにA子とB子がいる。A子B子ともに日本語環境で育ってきた人間である。A子は頭の中に「延々と」という語彙が入っていない。一方、B子は「延々と」という語彙を知っているが、それを「えぃえんと」(先の表の右上のオレンジ)のように発音する。さて、B子がA子に対して、「飲み会に無理やり連れて行かれたあげく、上司から延々と自慢話を聞かされてうんざりだった。」と言ったとしよう。このときA子はどのようにこの文を理解するか。B子の「えぃえんと」はA子にとっては「えいえんと」として聞き取られるであろう(微妙な音の差異はあれど既知の語彙の音に吸収される)から、A子はB子の発言を「永遠と自慢話を聞かされてうんざりだった」として受け取る。A子はB子の発言を誤って受け取っている。しかし、B子の言わんとすること(B子の発言の意味)の把握という面からみれば、A子はまったくと言っていいほどそれを取りこぼすことなく理解している。

結論

改めてなぜこうしたことが可能かといえば、「延々と」と「永遠と」のペアは奇跡的に(?)、発音、文法上のふるまい、意味の3つの面でほとんど同じであるからだ。「延々と」が「永遠と」と書かれてしまうことを妨げるものは何もないように思われる。そのため、他人の「永遠と」という使用について、「それは誤りだ」と指摘するのだとしたら、それは単に相手の語彙力不足を指摘することになるであろう。批判者の寄って立つところは教養主義でしかない。

(ここでちょっとお知らせです。この文章の筆者が新たに英文法の仮定法について解き明かす連載を始めております。よろしければそちらもお読みいただけますと幸いです。Link:https://note.com/besimisque/n/ncd00d0f464a1 )

反論

さて、以上のところまで書いたところで、私は上記の内容をG氏に送った。もともとの問題定義はG氏がこの数週間前に何気なく送ったと思われるLINEメッセージで、私はそれに対して「マジレス」したのだった。G氏からは直ぐに返信が来た。その中から2つ要点を取り出せると思ったので、私がまとめた上でG氏からの反論として次の段落から掲げる。なお、この文章全体の構成としては、このあとG氏からの反論、それに対する私自身の反論でもってひとまず終えることにする。なお、G氏には公開前に改めてこの原稿全体をチェックしてもらっている。感謝したい。

G氏からの反論その1:君は意味がほとんど同じと言っているが、それでもそれぞれの語が持つニュアンスは異なる。「永遠」の語には特有のロマンティシズムがあり、それがポジティブなニュアンスを帯びているのに対して、「延々と」は否定的なニュアンスがある。つまり君は、コノテーション的な側面を全く顧みていない。「上司の自慢を永遠と聞かされた」という言葉を発する話者の感情は非難含みのネガティブなものだ。その中に「永遠」というポジティブな語を用いることは、発話の際の感情に反するはずなので、その違和感が「永遠と」が誤りであるという気づきに、いずれは結びつくことだろう。

G氏からの反論その2:「永遠と」が「延々と」を侵食していく(語の使用として優勢になる)のであれば、「永遠」が負の意味合いを獲得していくことになる。しかし、「永遠」の持つロマンティシズムは強力なので、そう変化していくことは考えられない。

反論への反論

反論その1に対する私の反論:反論そのものに入っていく前に少しだけ前提を確認しておきたい。「永遠と」が問題になるのは、それが書き言葉として誤りだと判断されるからである。話し言葉では音声のところでしつこく検討したように、「永遠と」と「延々と」の違いはほとんど認識されない。では書き言葉において現れるとき、それがどのように「書かれる」のかというと、現状では多くの場合、ヘボン式ローマ字の打鍵ないしはフリック操作での「入力」による。これらは書字と異なり、「かな→漢字」というプロセスをたどる。

具体的に見ていくと、「上司から永遠と自慢話を聞かされてうんざりだった。」のように「書いて」しまう人は、「永遠と」という語というよりも、なんとなく聞いた音声としての「えいえん」ないし「えぃえん」をまず「かな」で再現しようとして「入力」している。ペンを取る書き言葉では「永」「遠」と一文字一文字、いわば概念を文字として書き付けなくてはならないが、「入力」の場合には音を再現したあと、ふさわしい漢字は提示された予測変換の候補から選ぶだけとなる(ちなみに、macOS、iPadOSではライブ変換機能が搭載されているので、もはや選ぶ必要がないところまで来ている)。ところが選ぶと言っても、「えいえん」という語は、同音異義語が平安期の元号「永延」を除いて他に存在しないため、意味について吟味する必要がなく、その選択はほとんど惰性でなされていることであろう。つまり、「延々」を「永遠」と打ってしまう人の「永遠」の文字には、「ロマンのかけらもない」ため、感情の相反は起こり得ない。

反論その2に対する私の反論:G氏は「永遠と」と「永遠」を区別していない。「永遠と」はもはや単なる名詞ではなく「と」を伴って副詞的に使われているため、別物と考えるべきである。汚い例で恐縮だが、「糞(クソ)」を例に考えてみよう。

(1)「犬の糞(クソ)を踏んで最悪な気分」(名詞)
(2)「あの先生、教え方がクソ」(形容詞)
(3)「てか、肌クソ綺麗じゃない?」(副詞)

(1)は事物としての「糞」なので、それ自体にはポジもネガもあったものではないが、(2)は形容詞で価値判断を伴う。ここでは明らかに、否定的な意味で使われている。対して、(3)の副詞的用法では、「綺麗」という肯定的な意味で使われる語をさらにいっそう強める働きをしている。副詞的に使われている「糞」が本来の事物から喚起される(2)の形容詞の使われ方のような否定的な意味を保持するのであれば、(3)のような用法はあり得ないことになる。「永遠」と「永遠と」についても同じことが言えるため、これをもって反論その2に対する反論とする。

反論に対する反論は以上である。「永遠と」の使用の拡大を妨げるものは無いという結論は変わらない。もちろん、これは教育水準に関わる話でもあるため、「永遠と」の使用が増えていく現状を肯定するつもりは無い。

参考文献

- 沖森卓也・木村一編著(2017) 『日本語ライブラリー 日本語の音』朝倉書店.
- 佐久間淳一・町田健・加藤重広(2004)『言語学入門』 研究社.

関連記事


写真:Hannah Reding,  https://unsplash.com/photos/Bc7wRejvq5U


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?