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秘密のイニシャル

このたび、#ノートの切れはしというタイトルで共同マガジンを始めることになった。
同世代の、なんとなくいつも一緒に楽しんだり、バカみたいに笑ったり、時には苦難を乗り越えたりしている仲間たちと。


わたしたちは、ルーツも、仕事も、興味関心のあることも、バラバラだ。
けれどこの機会に、学生時代に戻ったきもちで、web版交換日記を始められることを嬉しくおもう。
こんな風に、webのつながりからリアルに繋がるグループができるのも10年ぶりで、なんだか時の流れを感じる。

▼プロローグはこちら


わたしが初めて交換ノートを始めたのは、小学3年生の頃。
名古屋から滋賀の田舎に転校してきて、田舎での生活に面食らっている、そんな最中だった。クラスの子たちが声をかけてくれて始めた、6人で回す交換ノート。 

最初は、標準語に近い名古屋弁で書かれているのだけれど、関西弁の感染力は強く、ものの1週間で関西弁に染まっていく様子が記録されていた。


元々、書くことがすきだったのもあって、年々交換ノートが増えていった。一番多かったのは、たぶん小学5年生のとき。
友達ごとに交換ノートを変えていたので、8冊ぐらい回していたような気がする。10歳にして、すでに友達ごとに話題を変えるチャンネルを持っていたみたい…笑
TVは禁止されていたし、芸能ゴシップや、噂話に疎いわたしにも書けることがあったのだろうか…と今となっては心配になるのだけれど、"秘密を共有している感""絆の強さの証明"になる気がして、ワクワクしながら毎日書いていたようにおもう。 


6年生にもなると、友人たちの間で恋話に花が咲く。みんなこっそり、ノートに書く。イニシャルで記録して、秘密を共有する。(しかも、バレないように全く関係ないイニシャルにしておくという徹底ぶりだった…!)

わたしはというと、誰のこともすきではないのに、除け者にされるのが怖くて、話を合わせるための"すきなひと"を作って話を合わせていた。架空のすきなひとは、確かTくんというイニシャルだった。すきなひとがいないと、話に混ぜてもらえない理不尽さに女の子の面倒くささを感じつつ、ハブられたくなくて必死だった。

一学年、50人ほどしかいない小さな小学校の中では、誰も輝いて見えなかった早く都会に戻りたい、名古屋帰りたい、早く大人になりたい、早く自由になりたい…そんなことばかり考えていた。



そんなわたしには、リセット癖がある。
こんなに毎日たのしく綴っていた交換ノートも、なんだか恥ずかしくなって、中学生のときに全部捨ててしまった。それも、親にバレないように、ピアノのレッスンに行く途中の、駅のゴミ箱に捨てて。


中学生になると、交換ノートをやめて、やがて狂ったように手紙を書きまくる時期が来る。
それはまた、次回にしようかな。昔のことも、割と鮮明に覚えている方なので、色々書けそう。

次回、手紙とわたし。乞うご期待◎


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