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無敵の小学生

小学生のあたしは、無敵だった。

と、一人で勝手に思い上がっていた。
今思えば、世間知らずで井の中の蛙の、ただただ性格の悪い子だったなと思う。



#ノートの切れはし 初回は交換ノートについて。

今回は、手紙の話(小学生編)。



初めてちゃんと友人から手紙をもらったのは、小学2年生の終わり頃。
だいすきだった名古屋の小学校を転校する時に、仲のよかった友人たちが書いてくれた。今でも大切に残してある。


転校して、田舎に帰ってきたわたしは、名古屋で始めていたいくつかの習い事を続けるべく、教室探しに奔走した。
公文とピアノとダンス、そして新たにお習字。
当時から色々ねじ曲がっていて、普通を嫌ったのか、学区外の子がたくさん通う公文を選んだ。


転校した先の小学校の第一印象は、「田舎じみていて、ダサい」。
訛りの強い言葉遣いも、10人で毎日くじ引きをして2人組を決める登下校ののんびりさも、先生たちの緩さも、駅が遠くて主要駅まで出るのに時間がかかることも、環境のすべてがわたしをイライラさせた。退屈だった。


だからこそ、学区外の公文にいる隣の隣の学校に通う同級生たちがキラキラして見えた。
いつも可愛らしい文房具で、カラフルなメモ帳を使ったりして、楽しそうにしている。
彼女たちに話しかけて、仲良くなるまでに、そんなに時間はかからなかった。



ほどなくして、彼女たちと手紙の交換を始めるようになった。
お互いが持っているメモ帳を交換したり、プリクラを交換したり。
勉強するために週3日通うはずの公文は、いつしか「手紙を交換するための場所」になっていった。


5年生になると、友人だけでは飽き足らず、もっとたくさんの人たちと文通したい!と思うようになった。通っている教室で、手紙の交換をしていたのは5人ほど。
そのうち一番頻繁に文通していた友達に、ある日こういう話を持ちかけた。

「あたしの小学校から5人紹介するから、そっちの小学校からも5人紹介してくれない?」 

合コンのまねごと(ちょっと違うか…)みたいなことを始めて、ネットもメールも使ってなかった時代に、「プリクラと自己紹介の手紙とプロフィール帳(まっさらのものを渡して、記入して返してもらう)」の交換を始めた。2002年とか2003年とかの話。
今で言う、マッチングアプリのアナログ版みたいだな…と思う。
その後、紹介してもらったうちの何人か+その紹介してくれた友達(全員同じ小学校)5人くらいで遊びに行ったり、プリクラを撮りに行ったり、誕生日会に呼んでもらったりするくらい、仲良くなれた。
携帯も持っていない時代に人の紹介だけでよくやっていたな、と我ながら感心する。



10歳にして既に、人ごとにスイッチを切り替える力に長けていたみたい。常に、学校以外のコミュニティをいくつか持ち、それでなんとかバランスを取ってやっていた。(もうひとつ、ダンスの教室のみんなも心の支えのひとつだった)
もしかして、わたし学校不適応じゃない…!?!?



だけど、リアルで会っているのに手紙も交換するって不思議な関係だ。仲良しごっこがやりたかっただけかもしれないし、単純に手紙を書くのが楽しかったのかもしれない。

ちなみに、6年生の終わりに弟と教室の間でトラブルがあり、この教室に居られなくなって、この関係は終わりを告げた。この時文通していた隣の小学校の子たちとは、もう誰とも繋がっていない。



小学生のわたしは、無敵で(無敵だと思い込んでいて)、臆することなく平気で他人にガンガン声を掛けていくタイプだった。
中学に入って、その自信がズタズタになって、不安症になるまでの話はまた次回◎



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