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ある医者がMBAのキッカケに出会いコレカラに繋げる話

近隣の同年代ドクターと定期的に食事会を開いている。
もう1年以上になるような気がする。月に一度の楽しみだ。

そのドクターはバスケでインターハイに出たことがある
爽やかなスポーツマンでもある。
安西先生と呼ぼう。バスケがしたいです。

………。ごめん、同年代といったが、あちらの方がお若い。
うそついてしまいました。本当にすみませんでした。

まぁ、その食事会では
ただ飲んでいるだけではなくて(私はもう酒は飲まないので)
情報交換をしている。
だいたい焼肉食べながら。

とはいえ、情報を交換しているというよりは
私が一方的に教えていただくことが多いので
若干不公平かもしれない。
すみません。安西先生。

私が来年度より無謀にも挑戦するMBAのことを知ったのも
この会がキッカケだった。

最初の安西先生の印象が爽やかすぎた。
あちらも経営に、臨床に、お忙しいはずなのだが
ずいぶん余裕があるように見える。

元々の能力の高さや育ちの良さ
現在の実力など
優れている点が
多々あるわけだから
涼しい顔で人生を乗り切るのも
当然だとして、しかし、
その点を差し引いた上で
そのみなぎる自信に
なにか秘密がないだろうか。

焼肉を裏返すたびに
質問をぶつけてみた。

こういう先生は
だいたい
謙虚なので
「なにもないですよ」なんて
おっしゃるのだ。

なにもないわけないじゃないっすかー。

そのとき!
『特上ネギ挟みタン塩』高速裏返し3回目にして
私は
『MBA』という単語を聞き逃さなかった。

MBAといえば
ハーバードビジネススクールくらいしか
思い浮かばなかった。

最近でこそ色々調べて
ウォートンだとか
(ペンシルバニア大学に留学したことあるのに知らなかった!)
そもそも海外MBAとか国内でもMBAが増えてきただとか
わかるようになってきたとはいえ、
「ん?MBA?」という感じだった。

安西先生は
「いや、なんちゃってですよ」なんておっしゃっていた。

それが謙遜なのか
本気なのかだいたい察しはつく。

ともかくあの瞬間私の頭の片隅を
MBAという言葉が確実に陣取り
やがて醸成が始まることになった。

MBA(経営学修士)を取得するMD(いわゆる日本の医者)も増えているという情報をなんとなく肌感覚として
持っていた。

しかし私の中ではまだまだ漠然としていて
MBAがヘルスケアとどのような相性なのか
ましてや
将来
自分が挑戦することになるのか
思いもよらなかった。

情報交換会を楽しんだ数日後

たまたまその言葉を思い出した夜、
検索したMBAという単語に
たまたまヒットした国内MBAの
出願資格をみれば
私でも合致しそうだったので
締切前日に事前審査を提出してみたら
受験許可をいただけた。

そこから自分なりの対策をして
一次審査を突破し
二次試験に進んで
受験し
合格できた。

嬉しい。やっぱり。合格すれば。

しかし手放しで喜ぶというわけにもいかない。

この年齢であるから
私には幸いにも家族があり
仕事があり
果たせているかどうかは別にして
責任がある。

実際に家族に、MBA受験を相談した時には
色良い返事はなかった。

『受かるかどうかわからないし、ていうかほとんどダメだと思うけど、やってみるだけでも…。』

そう説得して受験した。

『合格した』と報告した時も
その反応は正直ポジティブなものではなかった。


家族は私がこれ以上忙しくなるのを心配していた。
特に身体のことを心配していた。
月に何日も帰らなかったり呼び戻されたりする生活に
新たに大学院が加わるからだ。
それに
大学院に通う2年の間、本業の経営のことも気がかりだという。

私も全く同じ気持ちだ。

希望だけが満ち溢れてという学生生活ではない。
もちろん希望はあるが
不安が少し上回る。


今の立場から一旦離れるでもなく
あるいは社会人の経験のないままでもなく
この立場で仕事を続けながら、経営しながら、
社会の一員の歯車となりながら
大学院に通うことになる。

いつも苦痛に満ちた選択する時
これが人生最後のチャレンジになると思ってきた。

すこし長く生きてきて
そんなことはないのだと悟ってしまった自分がいる。

いつでも
今が一番苦痛に満ちている。
ここを乗り越えても
自分の能力が次の苦痛に挑戦する機会を
得るにすぎない。

最後ではなく最初。
いつでも人生最初のチャレンジだ。

安西先生…。
バスケがしたいです。やったことないけど。




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