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酒場で服を買う

ベルリン酒場探検隊である。
今回も世界各国に暮らす物書き仲間によるリレーエッセイ「日本にいないエッセイストクラブ」としての参加である。リレーエッセイ10周目のお題は「服」だ。
前回と次回走者は文末をご覧いただきたい。リレーエッセイのこれまでの記事は、マガジンにまとめられているのでこちらもご一読いただければありがたい。
ハッシュタグ #日本にいないエッセイストクラブ は、メンバー以外の方もふるってご参加願いたい。

レポート提出者:久保田由希

ついに日本の酒場は制限なしの通常営業に

本来ならリレーエッセイのお題である服について書かねばならないのだが、その前に書いておきたいことがある。
2021年10月1日、ついに日本国内のすべての非常事態宣言が解除された。そして東京都では、解除直後から実施されていたリバウンド防止措置も10月24日24時をもって解除された。
めでたい。
酒場が制限なく営業でき、われわれも時間に追われることなく飲める日々がようやく戻ってきたのである。これが飲まずにいられようか。

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「場」ではなく「アルコール」が重要という発見

とはいえ、都内では非常事態宣言中もアルコールを提供する店をちらほら見かけた。そういう店は賑わっているので一目瞭然なのである。その一方で、暖簾を出しながらも要請に従い、酒類提供を中止していた酒場もあった。しかし、そうした店はお客もまばらだ。
酒を出せばお客が来ることは、ほかの店を見ればわかっている。しかし、ノンアル対応していた酒場は、酒の提供をこらえたのだ。

酒場探検隊員久保田は、アルコールそのものよりも酒場という「場」が好きだ。一杯やりながら、どうでもいい話を交わせる場を愛している。コロナによって消えてほしくない。だから、苦しくても要請を受けて酒を出さずにいる店を応援したいと、ノンアルをせっせと飲んでいた。しかし、ノンアル酒場の寂しさを見ると、自分の考えはどうやら少数派だったようだ。アルコールなしでは酒場の役目を果たせないということなのだろう。

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要請を受け入れずに酒を出していた店を非難する気はない。どこも必死だ。考えた末の決断だと思う。酒があれば飲む客が来るのも当然のことだ。ただ、「場」ではなく「アルコール」を求める人々がこれだけ多かったことは、コロナ禍における発見だった。

すべてが解除になったいま、どの酒場にも元通りの光景が戻りつつある。この日々が続くよう、羽目を外さず、酒に飲まれず、楽しく飲みたいものだとしみじみ思う。

ベルリンの酒場で服を買う

おっと、今回のお題は「服」であった。ベルリンの酒場に行く服、酒場で着る服……どうも思い浮かばない。日本の居酒屋同様、ベルリンの酒場(クナイペ)も着飾っていく場所ではない。肉体労働者が着用するツナギやTシャツが似合うところである。女性ならば、酒場以外でもスカートにヒールの靴を着用する機会はベルリンではそうそうない。着てもいいが、浮くだけだ。

おぉ、そうだ。そういえば服を売っていたベルリンの酒場があった。古着である。
この酒場はカウンターのほかにも部屋があり、これがどう見ても昭和の食卓という風情なのだった。それなのに一角にマネキンが座っているというシュールさも兼ね備えている。
友人はここでシャツを手に入れた。酒場に似合うことは、言うまでもない。

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前回走者はイタリアのすずきけい氏。

天井近い高いところにある収納スペース。すずき氏のところほど小さくはないが、ベルリンの19世紀後半のアパートでも天井近くに小ぶりのロフトのような空間があった。聞けば、かつて女中が寝泊まりする空間だったそうな。ベルリンにいたときは、身近に目にするものから歴史や風土へと知識がつながっていくことがたまらなく面白かった。そうした糸口はなにも海外だけでなく、日本にだっていくらでも転がっているものだ。

ちなみにベルリンでは衣替えを行ったことはない。いつ何どきセーターが必要になるかわからなかったからだ。たとえ夏でも油断ならなかったベルリンの日々。どこか常に用心していたように思う。

次回走者はネルソン水嶋氏。前回記事はこちらだ。

クラクションが鳴り響くホーチミンの夜。ちょっとした騒音でもすぐに警察がやってくるドイツとは大違いだ。日本に暮らしていても感じるが、どうも音に対する感覚はアジアとヨーロッパでは差が激しいように思う。この差はどこから来るのだろうか。
話は変わるが、2枚目の写真中央に写っている巨大な塔状の物体が気になる。



ベルリンのさらなる秘境酒場の開拓と報告のために、ベルリン酒場探検隊への支援を心よりお待ち申し上げる。