ただ一度きりの
ベルリン酒場探検隊である。
世界各国に暮らす物書き仲間によるリレーエッセイ「日本にいないエッセイストクラブ」のリレーエッセイも11周目を迎えた。今回のお題は「お気に入りのお店」である。
前回と次回走者は文末をご覧いただきたい。リレーエッセイのこれまでの記事は、マガジンにまとめられているのでこちらもご一読いただければありがたい。
ハッシュタグ #日本にいないエッセイストクラブ は、メンバー以外の方もふるってご参加願いたい。
レポート提出者:久保田由希
記憶が失われないうちに
ベルリンが遠い。2020年の夏に日本へ完全帰国したときは、またすぐに遊びに戻ってくるつもりでいた。帰国を機に、自分の中でベルリンがすっぱり消えてなくなることはないからだ。
それがどうだ。あれから1年半が経つというのに、事態は好転していない。そうこうするうちに記憶はどんどんあやしくなっていってしまう。
「あちらのお客さんからですよ」
記憶がおぼろになっていくが、好きな店について考えてみよう。
われわれはベルリン酒場探検隊なので、新たな酒場を開拓することを使命としていた。1回しか訪れなかった店も多い。だからといって、その店が気に入らなかったわけではない。
そういえば、こんなことがあった。
ベルリン郊外で、一人でふらっと入った酒場。お決まりのようにカウンターの客から一斉に視線を浴びるも、片隅でビールを飲んでいた。
すると、そこへ新たなビールが。「あちらのお客さんからですよ」と、店の若い女性が言う。
本当にこんなことが起こるのか。ドラマの中の出来事だと思っていたが。
カウンターを見ると老人がこちらに手を振っていた。そこから、店にいた数人の客たちが話しかけてきた。
「この店はね、ずっと一人の女性がやってたの。でもこの前引退したところでね。いまは娘さんが引き継いでやってるの」
と、若い女性が自分のジョッキを手に、隣に腰かけた。
「ビールを奢った人はこの店の常連よ」と、その老人を紹介してくれたが、老人は一人で飲んでいて会話に交じる気はなさそうだ。どうやらロマンスではなく、一人で飲むアジア人女性を仲間内に引き入れようとしてくれたらしい。
「仕事は何をやっているんだ? ライター? なら、この近くにいいレストランがあるから取材するといいよ。オレはそこで働いてたからツテはある」
と、勧めてくる男性もいる。
インテリアもレトロで趣がある。正統派の酒場と言えよう。
あぁ、いつかこうした酒場をきちんと撮影して、まとめて紹介したいものである……。
おっと妄想が広がった。どうやら少し飲みすぎたようだ。そろそろ引き上げないと。
席を立った自分に、お客の若い女性が再び話しかけてきた。
「初めてなのに、こんなにオープンに話せるなんて思ってなかったわ。またこの店でね」
それからひと月後、新型コロナはベルリンの地を襲った。
たった一度きりの、好きな店だった。
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前回走者はイスラエルのがぅちゃん氏。
相変わらずがぅちゃん氏の料理ブログは描写も写真もパワフルである。パワフルな料理をパワフルな人々が食べている光景が目に浮かぶ。なんと生命力にあふれていることよ。生きることは食べること也。
次回走者はインドネシア在住の武部洋子氏。前回記事はこちらだ。
90年代からインドネシアで暮らす武部氏。服の変遷を読めば、国の移り変わりが感じられる。ファストファッションや、その後のローカルブランド、アップサイクリングはドイツにも通じる。インターネットの発達が、国は違えど似たような発展をもたらすのだろうか。
ベルリンのさらなる秘境酒場の開拓と報告のために、ベルリン酒場探検隊への支援を心よりお待ち申し上げる。