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しあわせな世捨て人

「ベルリン酒場探検隊レポート」

クリスマスイヴである。日本では、クリスマスは未だにカップルがレストランでプレゼント交換をする日なのだろうか。
こんな日に、いったい誰が酒場に行くというのだ。そもそも開いている酒場などあるはずが……いや待て。思い出したのだ、「うちは24時間365日開いているから」という言葉を。

レポート提出者:久保田由希

酒場データ

店名:Zum Magendoktor(ツム・マーゲンドクトア)
入りにくさ度:★★★★★
居心地:★★★★☆
タバコ:喫煙可
ビール:Berliner Kindl(ベルリーナー・キンドル)、Schultheiss(シュルトハイス)ほか。値段は記録し忘れた。

クリスマスの夜に街を徘徊する者は

ヨーロッパにおいて、クリスマスは家族行事である。ドイツではクリスマスイヴの夜から家族全員が集まり、25日、26日まで家族行事が続く。店も大半は閉まり、街は静まり返る。日本の元旦と思っていただければいいだろうか。こんな日にひとりで過ごすのは、なんともやり切れないだろう。

日本からベルリンにやってきたばかりの頃、クリスマスの夜に電車に乗った。いつもはそこそこ混み合っている車内も、この日だけは人影もまばらだ。パラパラと座っているのは外国人とホームレスと思しき人だけ。そこにいる自分もまた外国人。
「世捨て人」という言葉が浮かんだ。

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(2019年12月25日の車内)

「うちは24時間365日開いているから」

しかし、しあわせの象徴のようなクリスマスも、ドイツ人にとってはストレスだったりもする。家族それぞれへのプレゼント選び、クリスマスツリーの購入やクリスマス菓子作りなどやることが山積で、「家族なのだから、やらなければならない」というプレッシャーもある。嵐のような忙しさのなかで12月24日までに準備を整え、クリスマス本番を迎えた途端に家族ゲンカが始まるという笑えない話も聞く。

いずれにせよ、クリスマスはドイツの家族にとって、年間最重要行事のひとつである。そんな日に、果たして酒場には人がいるのだろうかという疑問が浮かんだ。

「うちは24時間365日開いているから。クリスマスも」
最近初めて訪れた酒場で、そんな言葉を聞いた。

「ツム・マーゲンドクトア」という名のこの酒場は、相当に入りにくい。外観は落書きだらけで、店内の様子も窺えない。一見客を拒むようなローカル感を放っている。ゲスト隊員がいなければ、扉を開けられなかっただろう。

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(諸君はこの扉を開けられるか)

しかし一歩踏み入れると、そこは意外にも心地よい空間だった。常連客がカウンターにパラパラいたが、皆ひとりで静かに飲んでいるのがいい。われわれ日本人女性らがやってきても、誰ひとり意に介していなさそうだ。バーテンの若い男性はにこやかに対応してくれた。そのときに「クリスマスも開いている」と聞いたのだった。

この心地よさは、日本のファミレス

そしてクリスマスイヴ。酒場探検隊としては、この日には酒場に行くしかないだろう。家族が集まり温かい日々を過ごすそのとき、酒場ではどんな時間が流れているのか。われわれ酒場探検隊は、再び「ツム・マーゲンドクトア」の前に立った。相変わらず入りにくい空気を漂わせているが、この日は2度目の来店だ。扉を開けるのに躊躇はない。

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カウンターの隅には、5〜6名の常連客が固まって話に花を咲かせていた。うっすらと煙草の臭いが漂う。

バーテンは、初回訪れたときとは別の男性だ。1年365日休みなしで働ける人などいないから、当然か。ビールをグラスに注ぐと、黙って差し出してきた。

カウンターは広く、常連がいてもまだ空きがある。しかし、カウンター席に腰掛けるほど戦闘状態でなかったわれわれは、後方のソファ席に腰かけた。座面の一部が破れてテープが貼られているが、座り心地は悪くない。

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店内にはカウンターの常連客のほかに誰もいない。彼らは楽しげに笑いながら、時折ジュークボックスでネーナの曲を流していた。ひとりの男性は、ひたすらスロットのボタンを押している。

バーテンダーはそれに交じるでもなく、常連とは反対側の席でひとり煙草を吸いながら新聞を読んでいる。ソファ席のわれわれに新たなビールを勧めに来る気配もない。

壁には切り紙細工で作ったと思われる雪の結晶が、そこかしこに飾られている。そこだけ見ると幼稚園のようでもある。

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(店の人たちが作ったのだろうか)

われわれは0.3リットルの小さなグラスを空けた。しかし、誰も何も言ってこない。おそらく、ここにいたいだけいられることだろう。この心地よさはどこかで覚えがあるような……そうだ、日本のファミレスだ。

常連客も、バーテンも、われわれも、干渉し合うことなく、それぞれに心地よい時間が流れる酒場のクリスマスイヴ。そこにストレスは、ない。

ベルリンのさらなる秘境酒場の開拓と報告のために、ベルリン酒場探検隊への支援を心よりお待ち申し上げる。