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《大学入学共通テスト倫理》のための朱子

大学共通テストの倫理科目のために歴史的偉人・宗教家・学者を一人ずつ簡単にまとめています。朱子(朱熹)(1130~1200)。キーワード:「朱子学」「理気二元論」「性即理」「窮理と居敬」「格物致知」「四書」主著『朱子文集』『近思録』『四書集注』

これが朱子(朱熹)です!

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宋(南宋)の時代の儒学者です。本国中国だけでなく、韓国や日本などにも大影響を与えた儒学が彼の朱子学です!

📝朱子は、宋代の儒学を朱子学にまとめた大儒(偉大な儒学者)です!

承北宋周敦頤與二程學說,創立宋代研究哲理的學風,稱為理學。(フリー百科事典「維基百科」、朱熹のページから引用)

「(朱子は)北宋の周敦頤、程顥(程明道)と程頤(程伊川)の学説を継承して、宋代の哲理を重んじた学問を創始し、これを理学という」が拙訳。朱子を創始とする朱子学はその内容から「理学」とか「性理学」などとも呼ばれます。

☰朱子は宋学の先人の宇宙観をがっつりまとめました!

天地の間(のあらゆるもの)には、理と気があります。理は形而上の道であり、物を生じる根本です。気は形而下の器であり、物を生じる素材です。

天地の閒に理あり、氣あり。理なるものは形而上の道なり。物を生ずるの本なり。氣なるものは形而下の器なり。物を生ずるの具なり。
(『世界の名著 続4 朱子 王陽明』(荒木見悟責任編集、中央公論社)p142から引用/『朱子學体系第四巻 朱子文集(下)』(諸橋轍次・安岡正篤監修、明徳出版社)p59から引用)

これが朱子の「理気二元論」。世界の全ては充満する気と、それを方向づける理によってなりたつという宇宙観です。天地すべてを把握するおおづかみな感じと、世界を二元に分けて把握する思索のこまやかさが素敵です。そして、この「理気二元論」は、どんな小さなものでも世界を生み出す偉大な「理」とつながっているとみなすものです。「天地之閒。有理有氣。理也者形而上之道也。生物之本也。氣也者形而下之器也。生物之具也。」

☷この朱子の宇宙観では、諸物は平等に変化の過程を生きています!

天地の間には、動と静の両端が、たえず循環している(略)これを易といい、その動と静とには、それぞれによって来たるべき理が必ずそなわっています。
蓋し天地の閒、只だ動靜兩端の循環して已まざるあり。(略)これをこれ易と謂ひ、而してその動・その靜にはすなはち必ず動靜する所以の理あり。
(『世界の名著 続4 朱子 王陽明』(荒木見悟責任編集、中央公論社)p144から引用/『朱子學体系第四巻 朱子文集(上)』(諸橋轍次・安岡正篤監修、明徳出版社)p298から引用)

これが朱子学における「易」。変化、循環という意味がある「易」。理とともにある諸物は気質こそ異なれ、全ては同じ変化の相にある。こうして朱子は、現実にある全てのものの多様性を認め、同時に、同じ「理」を含んだ存在と扱います。「蓋天地之閒。只有動靜兩端。循環不已。(略)此之謂易。而其動其靜。則必有所以動靜之理焉。」

ところで、易って何?

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『易経』として古くから中国で読まれている書物であり、細い竹を使う古代からの占いです(コイントスでもできます!)。宋学は易のなかの「万物は変化の相にある」という宇宙観と儒教を重ねます。そのようにして、伝統を重んじるという儒教らしさと、諸物の全てを変化の相とみる宇宙観の両方をいいとこどりしていると言えるでしょう!

📝朱子はとりわけ、人間の本性を、宇宙をつくる理と重ねます!

性は、何でも統べているから、動静の理もそなえております。

蓋し性は該ねざるなく、動靜の理具る。
(『世界の名著 続4 朱子 王陽明』(荒木見悟責任編集、中央公論社)p241から引用/『朱子學体系第四巻 朱子文集(上)』(諸橋轍次・安岡正篤監修、明徳出版社)p256から引用、どちらもルビを略した)

これが朱子の「性即理」。心の中の「性」というものが宇宙を貫く理と重なるものであることを含意しているフレーズです。ここが仏教的な悟りと一線を引くポイント。悟りという別次元に突入していく感じではなく、現実と現実に働いている「理」を同時に体認する偉大な認識にいたろうとしています。朱子にあっては、「理気」が分離することはありえません。「蓋性無不該。動靜之理具焉。」

📝朱子学はその哲学において、人間の努力をものすごく肯定しました!

学ぶ者の修行は、ただ‟居敬”と‟窮理”の二事にある。

學者の工夫は、唯(た)だ居敬・窮理の二事に在り。
(『「朱子語類」抄』(三浦國雄訳注、講談社学術文庫)p137/136から引用、ただし書き下しのルビはパーレンに入れる改変をした)

これが朱子の「窮理と居敬」。万物の理法を解明していく「窮理」と、感情や欲望を抑制するふるまいである「居敬」。理とイコールであるところの『性』を自覚しながら、世界の理を探求することを求めています。「學者工夫。唯在居敬窮理二事」

『大学』ははじめに‟格物致知”を述べている。何故‟格物致知”が求められるのか。

大學は首(はじ)めに便ち格物致知を説(い)う。甚(なん)の爲(ため)にか格物致知を要するや。
(『「朱子語類」抄』(三浦國雄訳注、講談社学術文庫)p70/69から引用、ただし現代語訳の「格物致知」の「かくぶつちち」のルビを略し、書き下しのルビはパーレンに入れる改変をした)

これが朱子の「格物致知」。一つの具体的な物に向かい、その理をきわめていくという考えです。朱子学にあって、「理」は万物にあるのでごく自然な発想です。格物致知で「真理」を得れば「修身・斉家・治国・平天下」(©『大学』)というような、我が身から天下までをつらぬく具体的な「理による調和」が得られるとしています。とてもいい話です。「大學首便説格物致知。爲甚要格物致知。」

📝朱子学は「理気」の一現象である「命」への理解が深いです!

「命」は、生まれたての時に受けるものである。今変化できるものではない。天は無為のうちにそのようにしたのである。自分がぜひしたいと思ってできるようなものではない。

命は有生の初に稟(う)く。今能く移す所に非ず。天は之を為すこと莫くして為す。我の能く必する所に非ず。
(『論語集注 3』(土田健次郎訳注、東洋文庫)p323から引用、ただし書き下しのルビはパーレンに入れる改変をした)

朱子の「理気二元論」のなかで命は、大いなる世界の運行の中の極小の一過程とみなせます。世界の過程のほんの一部にあり、いろんな事情と理でない気質をたっぷり抱えた一つの命。ここから「天理」の中心をつかむためには大努力が必要だという感覚が朱子にはあります。「命稟於有生之初。非今所能移。天莫之爲而為。非我所能必。」

📝努力を説く意思は、この魅力的なスローガンにまとまります!

聖人になることを求める志があってこそ、ともに勉強ができる

聖人と爲るを求むる志有りて、然る後に與に共に学ぶ可し
(『近思録 新釈漢文大系 37』(明治書院)p118から引用、ただし書き下しのルビは全て略した)

これが朱子の「人は誰でも聖人になれる」。全ての人に「理」が宿る以上、それを本当にきわめていけば人は誰でも孔子や孟子レベルに聖人になれるという話です。いっぱんに聖なるものに向きあうときの人の現実的な態度は、①否定する、②ひたすらリスペクトする、③レアものと扱い自分を切り離す、④それに対して劣等感を抱く、などになると思います。しかし朱子は、⑤私たち全員でそれをめざす、というもう一つの選択肢を提示しました。「理気二元論」を心から信じたゆえに可能だった解答です。超さわやかです。「有求爲聖人之志、然後可與共學。」

📝朱子はある意味で「四書」の生みの親と形容できます!

『論語』『孟子』『中庸』『大学』は、学問の根本です。

論・孟・中庸・大學はすなはち學問の根本
(『世界の名著 続4 朱子 王陽明』(荒木見悟責任編集、中央公論社)p287から引用/『朱子學体系第四巻 朱子文集(上)』(諸橋轍次・安岡正篤監修、明徳出版社)p330から引用)

これが朱子による「四書」。「六経(『詩経』・『書経』・『礼経』・『楽経』・『易経』・『春秋経』)」がマストアイテムと語られがちだった儒教界で、「四書」というキーワードで重要書をまとめて以後の儒学の学問の方向性を決めました。また、「四書」の注釈書(『四書集注』)をそれぞれあらわし、自分の理学を説いています。そしてさらに、北宋の儒学の先人たち(周濂渓、張横渠、程明道、程伊川)の言葉を友人の呂祖謙とまとめた『近思録』も、以後の儒学の教科書としてザ・定番となっています。「論孟中庸大學乃學問根本」

📝最後に、朱子の幼少期のエピソードを引用しましょう!

幼い頃から利発で荘重であった。やっとものがいえるようになった頃、父親の韋斎が指さして、「これが天」と教えたところが、「天の上は何ですか」と質問して、父親を驚かした。

幼くして頴悟荘重(えいごそうちょう)なり。能く言ふに、韋斎、指示して曰く、これ天なりと。問うて曰く、天の上何物ぞと。韋斎これを異とせり。
(『朱子行状』(佐藤仁、明徳出版社)p36/p34から引用、ただし、書き下し文のルビはパーレーンに送る改変を行った)

これが幼少期の朱子。思索の人らしいエピソードです。ところで、朱子はこの問いに自分で答えたと言うことができるかもしれません。「天の上」ではないですが、天や地を統べるのは「理気二元論」だと答えたと。「理気二元論」によって世界の哲理を探求した哲学者、それが朱子です!「幼頴悟荘重。韋齋藤指示曰、此天也。問曰、天之上何物。韋齋異之。」※「荘重(そうちょう⇒おごそかで重々しい)」

あとは小ネタを!

明治時代の学校教科書で語られて以来、朱子の詩が出典とされる「少年老い易く学成り難し/一寸の光陰軽んずべからず」。しかし、朱子の詩文集にこの詩句はないため、日本人の禅宗の僧侶など別の作者である可能性が現在検証されている。この詩は中国では朱子のものとは語られません。事情はよく分かりませんが、明治の教科書が「朱子作」と言った背景には、「朱子=教育的」というイメージが介在していたことがあるかもしれません。

朱子が編集し、新しい儒学(宋学)のバイブルになった『近思録』。12世紀に出版されたこの本には、先端恐怖症についての記述がある。巻五の「克己」十六にある記述です。気質を事実に開いてよくしていこう、という感じの話で登場します。



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