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《大学入学共通テスト倫理》のための内村鑑三

大学共通テストの倫理科目のために歴史的偉人・宗教家・学者を一人ずつ簡単にまとめています。内村鑑三(1861~1930)。キーワード:「二つのJ」「非戦論」「無教会主義」「不敬事件」主著『余は如何にして基督(キリスト)信徒となりし乎(か)』『基督信徒のなぐさめ』『代表的日本人』

これが内村鑑三です。

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無教会主義のキリスト者です。

📝内村鑑三はかなりの頑固者です!

「新入生」の中に一人だけ、「二年生の突撃」(略)の総攻撃にたえることができるし、さらに二年生をもとの信仰にひきもどすことだってできると確信している者がいた。

there was one among the latter who thought himself capable of not only withstanding the combined assault of the “Sophomoric rushes”(略)but even of reconverting them to their old faith.
(『日本の名著38 内村鑑三』(松沢弘陽責任編集、中央公論社)から引用/『内村鑑三全集 3 1894~1896』(鈴木俊郎・松沢弘陽・鈴木範久本巻担当編集、岩波書店)から引用)

これは内村鑑三の『余は如何にして基督信徒となりし乎』(もとは英文で書かれています)から。貧乏士族の息子の内村鑑三が官費で学べるということで札幌農学校に入ったおり、上級生が熱烈なキリスト教徒で突撃的に改宗をせまってきた場面です。そして彼は改宗においてもっとも頑固だった学生だったようです。自身も序文で「私の回心は、他の多くの回心者のそれに比べて、はるかに頑固なものだった」と語るほど。

📝頑固なので、キリスト教国文化への同一化もこばみます!

我国固有の習慣と感情とを放棄して西洋人を真似んとするに至ては余の堪ゆる能はざる所なりき。(略)その子は父をパパーと呼び母をママ―と云ふ、其他余輩大和男子の目より以てすれば実に忍ぶべからざる(『内村鑑三全集 2 1893~1894』(鈴木俊郎本巻担当編集、岩波書店)から引用、ただし、全てのルビと「パパー」「ママ―」にひかれた傍線を略した)

「わが国固有の習慣と感情を捨てて西洋人を真似しようとするに至っては、私にはとても耐えられなかった。(略)その子は父をパパと呼び母をママという、その他私のような大和男子からすればまことに我慢できない」が拙訳。そこはもういいんじゃないかと一瞬思えますが、大和男子たる頑固者の内村鑑三には許せません。そしてこの実感は、ある宗教の信仰がその宗教に伴ってくる文化や習俗への同一化をせまることへの根本的な違和感でもあります。これは『求安録』から。

📝この内村鑑三は、キリスト教信仰の意味を考え抜きました!

信仰とは信ずべからざることを信ずるにあらざるなり(『内村鑑三全集 2 1893~1894』(鈴木俊郎本巻担当編集、岩波書店)から引用、ただし、引用の傍点を略した)

「信仰とは信じるべきでないことを信じるのではないのである」が拙訳。内村鑑三にとって、信仰とはキリスト教の神とキリストを信じると同時に、世界に「信じるべき」理想をつかむものであるようです。そのことを自身の心に強く刻んでいるフレーズ。これも『求安録』から。

余の行為に大改革を実行し神の僕たるに耻ざる挙動をなすべし、然れども余の全身を神に上げ渡すに至ては余は容易に肯んずる能はず(『内村鑑三全集 2 1893~1894』(鈴木俊郎本巻担当編集、岩波書店)から引用、ただし、ルビは全て略した)

「私の行為に大改革をなし神のしもべであることに恥じないふるまいをすべきだ、しかし私の全身を神に捧げ渡すことは簡単に承諾することはできない」が拙訳。世界に理想を実現することは大歓迎だが、自分自身を滅するようなやり方はNGという、神を前にしてさえ頑固者の内村鑑三です。こんな風に、理想を愛すると同時に、じしんの現実を愛しています。これも『求安録』から。

📝理想とじしんの現実の両方を愛する者に、文化差はこう見えました!

人類は分離せざるべからず、彼は彼の隣人より別居して彼の自力を試練せんことを要す(『内村鑑三全集 2 1893~1894』(鈴木俊郎本巻担当編集、岩波書店)から引用)

「人類は分離しないべきではない、人は隣人から離れて独力で試練を行うことを必要とする」が拙訳。彼の『地理学考』の一節で、深い含蓄が感じられます。神的理想の実現にあたって、人類たちの「ちがい」はそれぞれ意味がある。その個々の具体性を生きたまま理想を実現させることが「試練」なのだという独特な発想があります。

📝そんな内村鑑三の「2つのJ」という言葉は輝いています!

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内村鑑三の二つの「J」は「Jesus(イエス)」と「Japan(日本)」のこと。信仰する理想と、じしんが生まれ育った国との両方への愛に基づいた記述を見ていきましょう!

私共は此二つの愛すべき名のために私共の生命を捧げやうと欲ふ者であります。(『内村鑑三全集 11 1903』(鈴木範久本巻担当編集、岩波書店)から引用、ただしルビは全て略した)

二つJを同時に愛することは、日本の現実を神の理想と同じように愛することができるかという試練を生み、それは現実を理想に近づけるための「生命を捧げ」る具体的な行為を要求します。「私たちはこの二つの愛すべき名のために私たちの生命を捧げようと思う者であります」が拙訳。これは「失望と希望(日本国の先途)」という講演から。

📝内村鑑三は非戦をJapanに求めました!

私は日露戦争には最始から反対しました、私は第一に宗教、倫理、道徳の上から反対しました、第二に両国の利益の上から反対しました、第三に日本国の国是の上から反対しました(『内村鑑三全集 13 1905』(鈴木範久本巻担当編集、岩波書店)から引用、ただしルビは全て略した)

これが内村鑑三の「非戦論」。単に平和思想から「非戦」を説くのでなく、それが日本が実現すべき現実の「国是(こくぜ⇒国の方針)」という絶対的平和かつ愛国の立場心で「非戦」を言います。遅れた文明開化をしたアジアの小国を一躍世界で有名にさせた日露戦争。それに反対を表明しつづけるのは当時相当に勇気の要る行為です。これは「日露戦争より余が受けし利益」から。「最始(さいし⇒最初)」。

📝そして、日本発のキリスト信仰の「主義」を作りました!

無教会主義(むきょうかいしゅぎ)は、内村鑑三によって提唱された日本に独特のキリスト教信仰のあり方で、プロテスタントに分類される場合が多い。(略)「無教会」という名称の雑誌を創刊し、教会に行けない、所属する教会のない者同士の交流の場を設けようとした。(略)無教会主義は、教会主義・教会精神からの脱却を目指す主義であって、キリスト教の福音信仰そのものを否定する主義ではない。(フリー百科事典「ウィキペディア」、無教会主義のページから引用)

誠実なキリスト教への信仰心をかなめとして、人びとが交流することを求めた、シンプルな信仰の主義です。

📝有名な「不敬事件」にも内村鑑三固有の誠実さが感じられます!

余は礼拝とは崇拝の意ならずして敬礼の意たるを校長より聞きしにより喜んで之をなせしなり(『内村鑑三全集 2 1893~1894』(鈴木俊郎本巻担当編集、岩波書店)から引用、ただしルビは全て略し、「崇拝」と「敬礼」の圏点を略した)

これが内村鑑三の「不敬事件」。第一高等中学校で、天皇のお言葉である教育勅語の発布の儀式をするさい、教師の内村鑑三が「(敬礼はしたが)最敬礼を行わなかった」ことを「不敬」と同僚に責め立てられマスコミに大々的に報道され社会問題化したもの。挙国一致の「同一化」を求める時代の流れのなかで、外来の宗教者が異分子という扱いです。「私は礼拝とは崇拝の意味でなく敬礼の意味であるのを校長から聞いたので喜んでこれをしたのである」が拙訳。頑固に考え、2つのJへ不器用に態度決定した内村鑑三が、にも関わらず周囲の反発を招き社会的に抹殺されそうになった事件です。これは「文学博士井上哲次郎に呈する公開状」から。

📝最後は、内村鑑三のクリスマスの言葉で〆ましょう!

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クリスマスは神聖なる友情に捧げられし祝日なり、是れ特別に友人を思ふの日なり(『内村鑑三全集 7 1899』(松沢弘陽・道家弘一郎本巻担当編集、岩波書店)から引用、ただし圏点および傍点を全て略した)

「クリスマスは神聖な『友情』に捧げられた祝日である。この日は特別に『友人』を思う日である」が拙訳。クリスマスは世界全ての「友人」を思いやる日だと述べています。有名な「私は日本のために、日本は世界のために、世界はキリストのために、そしてすべては神のためにある」という言葉と同じく、内村鑑三らしい愛の具体的なひろがりを感じさせます。

後は小ネタを!

探偵小説家、翻訳家、ジャーナリストと多方面の活躍で知られた黒岩涙香。内村鑑三は彼をこう回想する。「彼の援助と応援がなかったなら私の一生はともすれば隠遁のまま終わったかもしれない」「不敬事件」のあと不遇だった内村鑑三を助けたのは『国民新聞』主催の徳富蘇峰で文筆家としてのスタートを切ります。その後『萬朝報』を主催していた黒岩涙香にスカウトされています。恩人というだけでなく、本当に友情を感じる人物だったようです。ジャーナリストとしての内村鑑三は「足尾鉱毒事件」を英文で世界に広めた業績ももっています。


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