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《大学入学共通テスト倫理》のための韓非子

大学入学共通テストの倫理科目のために歴史的偉人・宗教家・学者を一人ずつ簡単にまとめています。韓非子(韓非)(?~前233)。キーワード:「法家」「法治主義」「信賞必罰」「法術」「権勢」主著『韓非子』

韓非子は、

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📝基本事項をチェックしましょう!

韓非(約前281年-前233年),生活於戰國末期,韓國人(今屬河南省新鄭市),為中國古代著名法家思想的代表人物。(フリー百科事典「維基百科」、韓非のページから引用)

「韓非子(約前281~前233)は、戦国の末期に生きた韓(現在の河南省新鄭市)の国の人物で、中国古代の高名な法家思想の代表的人物である。」が拙訳。法家の大成者が韓非子です!

📝彼の著作で法家の集大成ぶりをみましょう!

♎まず、民に規律を守らせる発想が法家のメインです!

民衆というものは、もともと権勢には服従しても、正義に従うことのできるものは少ない。

民は固(もと)より勢(せい)に服するも、能く義に懐(なつ)くこと寡(すく)なし。
(『韓非子【第四冊】』(金谷治訳注、岩波文庫)p179/p177から引用、ただし、書き下しのルビをパーレンに入れる改変をした)

こんな感じが韓非子の「法治主義」。儒教の徳治主義のように道徳をといて正義を守らせるのではなく、法の賞罰で民をおさめる発想です。そして、人々は自然には正義は行わないという考えは、儒教の荀子の「性悪説(人間の本性は悪で、学んだ結果善をおこなう)」という発想を受け継ぐものです。韓非子は、この荀子から実際に儒教を学んだといわれています!「民者固服於勢、寡能懐於義」

♎そしてもちろん、クリアな法整備が大切だといっています!

賞は、手厚く確実にして、民衆がそれを欲しがるようなものが最もよく、罰は、厳しくのがれがたくして、民衆がそれを恐れるようなものが最もよく、法は一定で堅固にして、民衆にとってわかりやすいものが最もよい。

賞は厚くして信に、民をしてこれを利とせしむるに如(し)くは莫(な)く、罰は重くして必に、民をしてこれを畏(おそ)れしむるに如くは莫く、法は一にして固く、民をしてこれを知らしむるに如くは莫し。
(『韓非子【第四冊】』(金谷治訳注、岩波文庫)p182/p181から引用、ただし、書き下しのルビをパーレンに入れる改変をした)

こんな感じが韓非子の「信賞必罰」。賞すべき功績のある者には必ず賞を与え、罪を犯し、罰すべき者は必ず罰する。こんな風に賞罰を厳格に行うことで「何が悪いことで何が良いことなのか」を人々に知らしめ治安を維持する発想です。「賞莫如厚而信、使民利之、罰莫如重而必、使民畏之、法莫如一而固、使民知之」

♎こんな当たり前の法政は、戦国末期ではめちゃくちゃ大事でした!

法律禁令を明らかにして信賞必罰を行ない(略)これこそ、必ず滅亡することのない術である。

其の法禁明らかにし、其の賞罰を必(ひつ)し(略)此れ必ず亡びざるの術なり。
(『韓非子【第四冊】』(金谷治訳注、岩波文庫)p205/p204から引用、ただし、書き下しのルビをパーレンに入れる改変をした)

小国は大国に制圧されようとし、大国は内部に私欲をむさぼる官吏がいるという戦国の時代において、法制度の厳格な適用がリアルに国を失わない手段であったようです。実際に、当時『韓非子』を読んだ大国秦の王はすばらしい考えだと感動したそう。「明其法禁、必其賞罰(略)此必不亡之術也」

📝法のバランスは国のバランスに通じる!

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この考えは現在の国々ではあたりまえの発想ですが、この考えも、いまある国々の常識も作ってきた貴重な歴史があることを思い出します!

📝韓非子は法家の先輩をバランスよく受け継いでいます!

申不害は術を主張し、公孫鞅は法を強調する。術というのは(略)生殺与奪の権柄を握って、群臣の能力をためすことである。

申不害は術を言いて、公孫鞅は法を為(な)す。術とは(略)殺生(さつせい)の柄(へい)を操(と)り、群臣の能(のう)を課する者なり。
(『韓非子【第四冊】』(金谷治訳注、岩波文庫)p37/同から引用、ただし、訳の「与奪」の「よだつ」のルビを略し、書き下しのルビをパーレンに入れる改変をした)

これが韓非子の「法術」。法律の実際の運用と訳されるこの言葉は、韓非子にとって2つに分かれます。万民に適用される「法」と、その運用を司る役人をチェックしていく「術」の2つです。この「法」を重んじた商鞅(公孫鞅)、「術」を重んじた申不害、そして、いままとめている韓非子がセンター倫理の「法家」の範囲です。「申不害言術、而公孫鞅為法、術者(略)操殺生之柄、課群臣之能者也」

📝韓非子は、法権力に対する原理的な考察もいいです!

短いものでも高い所から見下せるのはその位置によってであり、愚か者でもすぐれた者を統制できるのはその権勢によっているのである。

短の高きに臨むは位を以てなり。不肖の賢を制するは勢を以てなり。
(『韓非子【第二冊】』(金谷治訳注、岩波文庫)p223/p222から引用、ただし、書き下しのルビをパーレンに入れる改変をした)

これが韓非子の「権勢(勢位)」。地位あるものが権力のあるのは当たり前ですが、この引用箇所では、権威者の権力と個人の能力とはべつのものであると力の質を分けていることは深い考察だと思います。他には王は権勢を家臣に譲渡すべきでない、と言って移動可能な力とも扱っています。「短之臨高也以位、不肖之制賢也以勢」

📝法家は秦の時代に天下をとりますが、韓非子はすごく不遇です!

法術の士にありもしない無実の罪をかぶせることができる場合は、公けの法にひっかけて死刑にする

其の罪過(ざいか)(禍)を以て誣(し)うべき者は、公法を以てこれを誅(ちゅう)し
(『韓非子【第一冊】』(金谷治訳注、岩波文庫)p218/p217から引用、ただし、書き下しのルビをパーレンに入れる改変をした)

法家の徒は腐敗した政治家に憎まれておとしいれられるという話。商鞅なども悲劇的な最期をとげたのですが、韓非子が自分の運命を予見して書いたとしか思えない言葉です。優秀な思想家でありながら、自国の韓で認められない日々を送っていた韓非子は大国秦の王の目にとまります。しかし、すでに秦に仕えていたかつての学友李斯によっておとしいれられた末に獄中死します。毒を送ったのは李斯ですが、毒をあおったのは自分の意志とも語られるので、絶望するのはまだ早かったかもしれません。それはともかく、リアリスティックな政治を説いた韓非子の思想は現代中国まで脈々と受け継がれているでしょう!「秦之皇帝「其可以罪過誣者、以公法而誅之」

あとは小ネタを!

法家の大成者の韓非子。彼には、思想家として優秀なあまり彼欲しさに自国が攻められ、地位を危ぶんだ学友におとしいれられたという悲劇的な伝説がある。この学友が法家の李斯で、「焚書坑儒」などと呼ばれる言論弾圧に関わっていることでも知られます。『キングダム』でもおなじみですね。大分悪役です。

法家の『韓非子』を読むと、「子どもが遊ぶときは泥水を汁ものにして、木切れを肉の切り身にする」という、ままごと遊びの記述がある。むかしもいまも変わらない遊びの楽しさがあると思う。書物の『韓非子』は、後代に足した部分もある(この頃の書物に多い)ので、2000年くらい前からとは言えませんが、1000年2000年前から子どもたちは同じように遊んでいたのだなあとしみじみします。『韓非子【第三冊】』(金谷治訳注、岩波文庫)p42ページを要約的に引用しました。ちなみに、「矛盾」「良薬口に苦し」という言葉はこの『韓非子』から日本語になったものです。


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