《大学入学共通テスト倫理》のための山崎闇斎
大学共通テストの倫理科目のために歴史的偉人・宗教家・学者を一人ずつ簡単にまとめています。山崎闇斎(1618~1682)。キーワード:「朱子学」「垂加神道(すいかしんとう・しでますしんとう)」「儒神二道の結合」「敬と義」主著『文会筆録』『垂加文集』『垂加草』
これが山崎闇斎
江戸前期の朱子学者。一代で地位を築き儒学を説く一方で、神道もひらいたユニークな人物です。孔子の「述べて作らず(創作せず古人の教えを伝えるだけ)」という立場に徹し、日本で「校勘学(資料の比較学)」を開始させたレベルで優れた学者です。
📝闇斎の年譜的な流れを簡単に追いましょう!
闇斎は10代に土佐で「南学」と出会います!
南学(なんがく)とは、日本では土佐における朱子学をいう。海南学派とも呼ばれる。室町時代末期(天文年間)に儒者・南村梅軒が土佐で朱子学を講じたことを祖とする。(フリー百科事典「ウィキペディア」、南学のページから引用)
この南学が山崎闇斎の朱子学との出会いです。こののち闇斎は「朱子の精神的奴隷」(©井上哲次郎)呼ばわりされるほど朱子に心酔することになります。少年僧だった時代に、たまたま土佐の寺にあずけられたことがその出会いのきっかけです。
闇斎は朱子学を学び、僧侶をやめ、仏教の批判を開始します!
道というのは、三網・五常という人の守るべき道以外のなにものでもない。仏教者はこれを廃棄している以上は、彼らの学問が道にかなっていない
道なる者は網常のみ。彼既に之を廃せば、則ち其の学の道に非ざる
(日本の思想第17巻 藤原惺窩・中江藤樹・熊沢蕃山・山崎闇斎・山鹿素行・山県大弐集』(西田太一郎編集、筑摩書房)から引用、ただしルビは全て略した)
これは闇斎の『闢異』から。人間的・社会的倫理を重視する儒学の立場で、「全てを超えた真理の世界」を説く仏教や道教を批判的にみています。親思いの青年だったそうですし、気質的にも、仏教の「無常」「空」が合わなかった感じがあります。
この仏教批判は、当時の儒者批判にもつながります!
世儒髪を剃るは(略)天下の俗にあらざるなり。(略)俗を亂るものなり。(『世界教育宝典 藤田東湖 山崎闇斎集』(小林健三校註、玉川大学出版)から引用)
「世の儒者が髪を剃るのはまともな習俗ではない。(略)習俗を乱すものである。」が拙訳。これは闇斎の「世儒剃髪の瓣」から。具体的に言うと、林羅山と林鵞峰親子への批判です。闇斎と同じく朱子学者である二人(ただし藤原惺窩が開始した「京学」の流れ)は、幕府に仕えるために僧侶の姿形をして、僧侶の資格を持っています。これは「儒学者」の社会的地位が確立しない時代としてしかたないものですが、闇斎は朱子学の本義から、儒者が仏者のまねごとをしているのは大義がないではないか、そんな感じで批判をします。この文章によって、儒者たちは髪を伸ばし始めたと言われます。
闇斎は土佐を離れて、京都にスパルタ式の塾を開講します!
京都市上京区の、伊藤仁斎の開いた古義堂と堀川を隔てて相対する位置に、闇斎塾(現在「山崎闇斎邸跡」)を開いた。(フリー百科事典「ウィキペディア」、山崎闇斎のページから引用)
これが闇斎の生涯を通じての職業です。そこで闇斎は「敬(原理にしたがいつつしむこと)」を重視した教えを説いています。闇斎塾は塾生をして「牢屋に入るような気分」にさせられるほど厳格なものだったと言われています。一方、伊藤仁斎の古義堂は上下分け隔てなく楽しい塾だったそうです。川をはさんで天国と地獄状態です。ちなみに、山崎闇斎、林鵞峰、木下順庵、熊沢蕃山、山鹿素行、伊藤仁斎は全員ほぼ同世代と言えるでしょう。儒の時代です。
そして会津藩主にして幕政を動かした保科正之に重用されます!
会津藩主・保科正之の賓師に迎えられた。また(略)従来の神道と儒教を統合して(神儒融合)、垂加神道を開いた。(略)藩政への助言を行う一方で、領内の寺院・神社の整理をおこない、神仏習合を排除した。(フリー百科事典「ウィキペディア」、山崎闇斎のページから引用)
これが闇斎の「垂加神道(すいかしんとう・しでますしんとう)」。保科正之との出会いが吉川神道を学ばせるきっかけになったそうです。ちなみに「垂加」は山崎闇斎がもらった神道の名前(霊社号)ですが、伊勢神道に伝わる資料にある「神の恵み」という内容です。この名前をいただいた闇斎は、伊勢・吉川を統合するような意欲があったはずです。「賓師(ひんし⇒大切に迎えられる先生)」。
闇斎の儒神結合とは?(画像は陰陽図)
闇斎の「儒神二道の結合」という立場はとてもユニークなもの。それを「陰陽」をキーに見ていきましょう。この「陰陽図」は太極図とも呼ばれて、朱子学でもとても大切なものです。
📝山崎闇斎は朱子学と神道をどう結合させたのか?
☯まず、朱子学の「理気二元論」が核にあります!
思うに天地の間には、ただ理と気とだけがある。そして神は理が気に乗じて出入したものである。
蓋し天地の間、唯理と気のみ。而して神は理の気に乗じて出入する者也。
(『日本の思想第14巻 神道思想集』(石田一良編集、筑摩書房)から引用、ただしルビは全て略した)
朱子学は「理(法則)」と「気(生命エネルギー)」の二元からなる宇宙観を説きました。闇斎は神を理気二元の運動そのものとしてみているようです。これは闇斎の「垂加翁神説」から。
☯次に、五行思想の中で「土」の重要性を強調します!
我が神道の宗源は土と金にある。(略)天地の間において土の徳があつまってまんなかに位置すると(略)この徳によっていろいろのものが生れる。
夫れ我が神道の宗源は土・金に在り。(略)天地の間、土徳の翕聚して中に位するや(略)百物此れに由りて生まる。
(『日本の思想第14巻 神道思想集』(石田一良編集、筑摩書房)から引用、ただしルビは全て略し、「中」を「まんなか」、「百物」を「いろいろのもの」に改変した)
五行思想(自然を五大元素、水・火・木・土・金とみる中国由来の自然観)から土金を重視する点は吉川神道の影響もあるそうです。ただ闇斎は、土という物質が天からくる「理」の法則を取り込むことによって錬成されるという発想に大事を置きました。つまり、天の理を地の気が受けとめて錬成が起きる。土金の重視は、「天地」の陰陽の証明であることがその理由でしょう。闇斎はここでも理気二元論をみています。これも「垂加翁神説」から。
☯ここに「敬(つつしむ)」という朱子学の徳を重ねています!
これが日本語の土地之味(つちしみ)・土地之務(つちしむ)の意味であり、「敬」の字を「つつしみ」「つつしむ」と日本よみにするわけである。
此れ倭語の土地之味・土地之務の謂、敬の字の訓ずる所以也。
(『日本の思想第14巻 神道思想集』(石田一良編集、筑摩書房)から引用、ただし現代語訳のルビはパーレンに入れる改変をし、書き下しのルビは略した)
これが闇斎の「敬」。人間社会の中で善であるだけでなく、「敬」によって人間が変化することが理気二元論の世界にとって善であるという発想があります。土も人も世界の理をとりいれて純化していく。それが日本語の語源であることで、日本の伝統が正しく理気に基づいている。闇斎はそんな風に信じているようです。これも「垂加翁神説」。
☯ということで、闇斎は神道と朱子学に「陰陽」原理を見ました!
伊弉諾尊・伊弉冉尊(略)陰陽之理ニ順ヒ、彝倫之始ヲ正ス(『山崎闇斎全集 第一巻』(ぺりかん社)から引用、ただし漢文を書き下し文に改変した)
「イザナキ・イザナミが(略)陰陽の原理に従って、常に守るべき人倫の始まりを正す」が拙訳。イザナキ・イザナミの男女二対の神が「陰陽之理」に基づいて、というより、「陰陽之理」そのものとして人を生んだということ。陰陽図のように、二対の渦巻く収斂によって、全ての世界が、生命が、倫理が宿ること。世界に一つの発想を貫通させる、テンションの高い認識がここにあります。これは『垂加草』におさめられた「洪範全書序」から。
📝闇斎の「敬と義」は、朱子と微妙に違います!
敬に基づいて家をととのえ国を治め、かくて天下に及ぼすならば、いわゆる『己を修めて人民たちを安んじ、心が誠実で天下がよく治まる』というふうになる。
是に由りて家を斉へ国を治め、以て天下に及ぼさば、則ち所謂己を修めて以て百姓を安んじ、篤敬にして天下平らかなり。
(『日本の思想第17巻 藤原惺窩・中江藤樹・熊沢蕃山・山崎闇斎・山鹿素行・山県大弐集』(西田太一郎編集、筑摩書房)から引用、ただしルビは全て略した)
これが闇斎の「敬と義(敬内義外)」。「敬(朱子学で原理に従いつつしむこと)」が世界の理を内側に取り組んだものである以上、外に発すればそのまま世界のための「義(社会における道理)」となる。この山崎闇斎の「敬と義」は朱子(朱熹)の論と少し違う。通常の朱子学は「内なる敬」と「外の身体」を区別しますが、闇斎は「内なる敬」がそのまま「外の義」と直結します。これは闇斎が本当に優秀な弟子佐藤直方と浅見絅斉を失ってまで固持した自説として知られます。それだけ闇斎の根幹にある感覚でしょう。世界の収斂として自己、それが世界に展開する。このシンプルな世界観が山崎闇斎にはあると評することができます。「闢異」から。
後は小ネタを!
大人が芸をしたらお菓子をあげると言った。子どもたちは芸を披露してお菓子をもらうが、1人何もせず大泣きする子がいる。なぐさめてお菓子をやろうとしたが、「僕は自分が芸を持たないことがくやしい」と答えた。この子どもが山崎闇斎。
山崎闇斎は儒者でありながら仏教僧の姿形をして政治体制に順応した儒者に対して、「腐儒子」と呼んで厳しい非難を浴びせた。「ふじゅし」ってすごい響きだと思う。『垂加草』第三篇の詩に含まれた言葉です。「腐女子」の造語を通過した眼でみると余計にすごい響きだと感じます。
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