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《大学入学共通テスト倫理》のためのジョン・スチュアート・ミル

大学共通テストの倫理科目のために哲学者を一人ずつ簡単にまとめています。ジョン・スチュアート・ミル(1806~1873)。キーワード:「質的功利主義」「副産物としての幸福」「イエスの黄金律」主著『功利主義』『自由論』

ミルはこんな人

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イギリス経験論の哲学者。経済学者。思想・言論・良心の自由を説いた。友人の妻として出会った哲学者ハリエット・テイラーと長い恋愛関係のあとで結婚。その結婚生活はわずか7年で、ハリエットの突然の死によって打ち切られました。

📝ミルを語る上で、ジェレミ・ベンサムは欠かせません!

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ジェレミ・ベンサムとは「最大多数の最大幸福」で知られる功利主義の提唱者(1748~1832)。彼の合理的発想は快楽の数量計算にも及んだ。主著は『道徳および立法の諸原理序説』。ミルは功利主義者の父の影響で、子どもの頃からベンサムの教えを受けていた。

📝ということで、まずベンサムが提唱した功利主義を押さえましょう!

功利主義(こうりしゅぎ、英: Utilitarianism)は、行為や制度の社会的な望ましさは、その結果として生じる効用(功利、有用性)(英: utility)によって決定されるとする考え方である。(略)ベンサムの功利主義は、古典的功利主義とも呼ばれ、個人の効用を総て足し合わせたものを最大化することを重視するものであり、総和主義とも呼ばれる。(フリー百科事典「ウィキペディア」、功利主義のページから引用)

ベンサムの功利主義は、できるだけ多数の人間を幸福にするための優れた発想です。その一方で、「個人の幸福の総和」の量を重んじる意味で、「個」にこだわらないふっきれた側面があります。

📝功利主義は社会規制に関するアーキテクチャに受け継がれています!

人間の行為を制約したりある方向へ誘導したりするようなウェブサイトやウェブコミュニティの構造、あるいは実際の社会の構造もアーキテクチャと呼ぶ。(略)ある選択肢を選びやすくする・ある行動を採ることが不快になるようにするといった環境に変えることにより、社会の成員が自発的に一定の行動を選ぶように誘導し、取り締まりを行ったり子供たちに規範を教育するよりも安いコストで社会を管理することができる。(フリー百科事典「ウィキペディア」、アーキテクチャのページの「社会思想」の項目から引用)

アーキテクチャの設計による規制は管理も低コストで、ルールを守る個人も低ストレスである。こんな多数の「効用」の面から社会制度を発想していくアーキテクチャ論は「功利主義」の直系と言えると思います。「個」の自律を求めるよりも実効を重んじている。アーキテクチャはローレンス・レッシグがネットの自由と社会的安全の両立を探った『CODE――インターネットの合法・違法・プライバシー』(山形浩生・柏木亮二訳、翔泳社)で開始した議論です。この書の第七章冒頭にミルへの好意的なコメントがあります。ベンサムは規制を守らせるための、自然的、法的、道徳的、宗教的なサンクション(制裁)の必要を考えていました。

📝ベンサムが構想したアーキテクチャ(建築)も見ましょう!

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この「パノプティコン刑務所」は、中央に人がいれば、囚人から見られずに「全展望的に」囚人を監視できる民間刑務所の構想です。ベンサムは管理コストを押さえつつ、非人道的な扱いを受けた囚人の「幸福の増大」を目的にこの刑務所の設立に尽力したそうです。ミシェル・フーコーが『監獄の誕生』で高度な社会監視・管理システムのイメージに引用したことでも有名。現在の監視カメラシステムもこれに近いでしょう。

📝そして、ミルはこんなベンサムを批判的に継承していきます!

彼が見落としているのは、厳密な意味での人間本性の道徳的部分(略)だけではない。彼は他のあらゆる理想的目的をそれ自体として追求することを人間本性に関する事実としてほとんど認識していない。(J・S・ミル『功利主義論集』(川名雄一郎、山本圭一郎訳、京都大学学術出版会)から引用)

ベンサムは「苦痛でない」状態を快とみなし、ミルは「苦痛でない」以外の幸福を重視している。ベンサムには実効的な具体性が、ミルには理想的な道徳性が感じられます。

📝ミルの『功利主義』で展開された「人間本性」を見ていきましょう!

尊厳の感覚(略)それは幸福の根幹をなしており、これと対立するものは、一時的な場合を別にすれば、彼らにとっては欲求の対象とはなりえないほどである。(J・S・ミル『功利主義論集』(川名雄一郎、山本圭一郎訳、京都大学学術出版会)から引用)

主著『功利主義』から。自由と自立を望むプライドが幸福の根幹にあって、「そのプライドを犠牲にした満足」よりも大切だと位置づけます。この引用のすぐ後に「満足した愚か者よりも不満を抱えたソクラテスの方がよい」という有名文句があります。想像しやすい「満足」よりも「個」であることの「幸福」を人間本性として論じています。

📝この「幸福の根幹」が現実の幸福になる可能性はかなり間接的です!

高貴な人物がその高貴さによってつねに幸福であるかは疑問の余地があるかもしれないが、その高貴さが他の人々をより幸福にし、それによって世界は全体としてはかりしれない利益を得ているのである。(J・S・ミル『功利主義論集』(川名雄一郎、山本圭一郎訳、京都大学学術出版会)から引用)

これがミルの「副産物としての幸福」。自分自身の幸福を目的としない行動が、世界を幸福にし、そのエクストラ(おまけ)によってその人も幸福になるイメージ。かなりストイックです。

📝ミルはストイックに「功利主義」の意味を読みかえています!

功利主義は(略)厳密に公平であることを当事者に要求している。ナザレのイエスの黄金律に、私たちは功利性の倫理の完全な精神を読み取る。人にしてもらいたいと思うことを人にしなさいというのと、自分自身を愛するように隣人を愛しなさいというのは、功利主義道徳の理想的極致である。(略)全体の幸福が求めるような行為を(略)実行することと自らの幸福の間には切ることのできない結びつきがある(J・S・ミル『功利主義論集』(川名雄一郎、山本圭一郎訳、京都大学学術出版会)から引用)

これがミルの「イエスの黄金律」&「質的功利主義」。他者に貢献することのストイックな幸福感を述べるために、イエスの「マタイによる福音書」の言葉たちがフューチャーされています。この「功利主義」をなすのは「観察者のように厳密に公平であること」が重視される。つまり、注意深く相手の内面の幸福も観察して(自分の内面の幸福と同じように)意志すべきことが語られています。これがミルの「質的功利主義」です。

📝最後に、もうひとつの主著『自由論』を見てみましょう!

国家の価値とは、究極のところそれを構成する一人一人の価値にほかならない。(ミル『自由論』(斉藤悦則訳、光文社古典新訳文庫)から引用)

思想と言論の個人の自由というものに対して、政府や社会道徳からの「干渉」をできるかぎりしないことの意義を説いた『自由論』から。ミルはベンサムが社会の設計の原理として語った「功利主義」を、個の内面の原理として語っていると思います(たとえば「イエスの黄金律」は個の行動原理です)。そして、そんな尊厳を持つ者たちが構成している国家に、その個を邪魔しないあり方を求めています。

あとは小ネタを!

英国の哲学者で経済思想家のジョン・スチュアート・ミルはものすごい英才教育で育てられた。13歳の時点で、当時の大学生が読むようなラテン語やギリシャ語の書物を残らず読破していたという。学校教育に通うことなく学び、大学で教えることがなく著述を著したミルは徹底して在野の人でした。

ジョン・スチュアート・ミルは主著『自由論』で、独裁に反対するために「われわれはなるべく変わった人になるのが望ましい」と主張した。つまり世界の中で「私であること」の意味を強く肯定したのだ。ミル『自由論』(斉藤悦則訳、光文社古典新訳文庫)から引用です。あと、『自由論』は「いまは亡き女性の、いとおしく懐かしい思い出のために本書を捧げる」と亡妻ハリエットに捧げられています。私は昔ミルが「本書もやはり彼女との合作である」とまで書く妻の名前を本書に記さないことが不満でしたが、そこにもいろんな事情や個人的な思いがあったかもしれません。


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