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《大学入学共通テスト倫理》のための石田梅岩

大学入学共通テストの倫理科目のために歴史的偉人・宗教家・学者を一人ずつ簡単にまとめています。石田梅岩(1685~1744)。キーワード:「心学」「正直(せいちょく)」「倹約」「知足安分」「商人の買利は士の禄と同じ」主著『都鄙問答(とひもんどう)』『斉家論(せいかろん)』

石田梅岩と言えば、

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石田梅岩と言えば「心学」です。商家の番頭出身の梅岩は、儒学をベースに、仏教、神道をとりいれて、「町人の哲学」と呼ばれるほど江戸時代の町人の心をつかんだ学問をひらきました。これを「心学」と呼びます。(梅岩も影響を受けた)儒学陽明学の「心学」と呼び分けて「石門心学」と呼ばれることも多いです。(梅岩の肖像はパブリック・ドメインが見つけられず、「心」の文字の画像にしています、ご容赦です。)

📝『都鄙問答』で梅岩の心学の意味をチェックしましょう!

▽「心の学問」と名前がついている中心的な意味はこれです!

学問の要点はこういうことです。心をきわめて人間の本性を知り、本性を知れば天を知るということ(略)心を知れば天の〈理〉はその中に含まれています。

學問の至極といふは、心を盡し性を知り、性を知れば天を知る(略)心を知るときは天理の其中に備る。
(『日本の名著 富永仲基 石田梅岩』(加藤周一責任編集、中央公論社)から引用/『都鄙問答』(石田梅巌著、足立栗園校訂、岩波文庫)から引用、ただしルビは全て略した)

自分の心を問うことのなかに「天理」があるということ。良心や道徳の正しさを説くだけでなく、個人の可能性を押し広げてくれるようなポジティブなイメージのある教えです。「聖人の心も自分の心も、心は古今を通じて変わらない/聖人の心も我心も心は古今一なり」(同上)という平等さからもそんなポジティヴさが感じられます。

▽梅岩の心の可能性は、究極的にはこんなところまで行っています!

仁の人はその心が世界のあらゆるものと一体となる。

仁者は天地万物を以て一体の心となす。
(『日本の名著 富永仲基 石田梅岩』(加藤周一責任編集、中央公論社)から引用/『都鄙問答』(石田梅巌著、足立栗園校訂、岩波文庫)から引用)

これが梅岩の「心学」。心をきわめて世界を愛するところに、こんなすごい感覚が生まれる。梅岩はこれを確信していて、このグレートな感覚に立つ幸福を、他者と分かち合おうとしたと言えると思います。そして、この地点から儒教も、仏教も、神道も、既成のあらゆる思考を理解したようです。言ってみれば、全ての教えを「自身」の問題として消化したということになるでしょう。

心が世界大の大きさをもつということ

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世界をひとつの心でつかもうという発想は、宗教史、思想史としては、決して珍しいものではありません。しかし、梅岩は、それを日々の作法や経済活動などの日常のリアルに見いだしました。ここから、梅岩のその特徴を追っていきましょう!(画像はフランスで作られたボンヌ図法の世界地図。ハートに見えるところがかわいらしい地図です。)

📝『都鄙問答』で梅岩の心学が捉えた日常世界を見ましょう!

▼まず、梅岩は、心の広がりを「流通」と重ねていきます!

心を知るということ(略)たとえて言えば水のようなものです。聖人は大海の水のようなもので、大きな船をうかべ国中の財貨を通用させ、すべての人を養います。賢人は大河の水のようなもので、一国内の財貨の流通に役立ち、一国を養います。私のような小人は小川の水のようなもので、五町か七町の田地を灌漑します。

心を知る(略)譬て云はば水のごとし。聖人は四海の水大船を浮て天下の財を通用し、萬民を養ふごとし。賢人は大河の水、一ヶ國の財を通、一國を養ふごとし。我等ごとき小人は、小川の水五町か七町の、田地を浸育がごとし。
(『日本の名著 富永仲基 石田梅岩』(加藤周一責任編集、中央公論社)から引用/『都鄙問答』(石田梅巌著、足立栗園校訂、岩波文庫)から引用、ただしルビは全て略した)

よき心の広がりが社会を流通していくイメージが語られています。

▼また、「流通」を本質とする商いを大肯定しています!

売買ができなければ、買う人には不便で売る人は売りようがありません。そうなれば、商人が生きていくことはできず、農民か職人となるでしょう。商人がみな農工となれば、物資を流通させるものがなくなり、すべての人が苦労するでしょう。士・農・工・商は世の中が治まるために役に立ちます。その一つでも欠けるとどうしようもない。

売買ならずは買人は事を欠、賣人は賣れまじ。左様なりゆかば商人は渡世なくなり農工と成らん。商人皆農工とならば財寶を通す者なくして、萬民の難儀とならん。士農工商は天下の治る相となる。四民かけては助け無かるべし。
(『日本の名著 富永仲基 石田梅岩』(加藤周一責任編集、中央公論社)から引用/『都鄙問答』(石田梅巌著、足立栗園校訂、岩波文庫)から引用、ただしルビは全て略した)

▼それを足して正直な商い=正直な心の流通とする発想があります!

商人は正しい利益をおさめることで立ちゆくので、それが商人の正直です。利益をおさめないのは商人の道ではありません。

商人は直に利を取るに由て立つ。直に利を取は商人の正直なり。利を取らざるは商人の理にあらず。
(『日本の名著 富永仲基 石田梅岩』(加藤周一責任編集、中央公論社)から引用/『都鄙問答』(石田梅巌著、足立栗園校訂、岩波文庫)から引用、ただしルビは全て略した)

これが梅岩の「正直(せいちょく)」。私利をむさぼることのない正直な商売による利益を肯定している近代的な発想です。

聖人が倹約を根本としておごりを退けられるのは(略)財産を国々へ広くほどこそうと考えるためで、その倹約が人民のためであるということを知らなくてはなりません。

聖人の約を本とし奢を退け玉ふは(略)財寶を國々へ布施んと思召。民の為の倹約なることを知るべし。
(『日本の名著 富永仲基 石田梅岩』(加藤周一責任編集、中央公論社)から引用/『都鄙問答』(石田梅巌著、足立栗園校訂、岩波文庫)から引用、ただしルビは全て略した)

これが梅岩の「倹約」。正直の流通が世を動かして、得た利益がその活動を継続させる。さらに「倹約」が本当に困った「民の為」に使われる。梅岩の教えは、良心が社会を理想的に流通させて、それがリアルに「心があらゆるものと一体になる」発想からなると言えるでしょう。ただの美徳としてだけ「正直・倹約」を説いたのではなく、世界と一体となる喜びとともにそれをすすめた側面があると指摘できます。

📝梅岩はこんな教えを流通させる「市場」を開拓しました!

講席をひらき、表の柱に書付を出しおき給へり、其の文は、
   何月何日開講。席銭入申さず候。無縁にしても、御望みの方々
   は、遠慮なく御通り、御聞き成さるべく候
 何方にて講釋し給ふにも、此書付を出し置き給ふ。
(『心学道話全集 第五巻』(加藤咄堂監修、忠誠堂)から引用、ただしルビは全て略した)

これが梅岩の「聴講自由・席料無料」。自宅で無料の講義を開始します。最初は人がいなかったそうですが、口コミで人が集まり門人もできたそうです。「講義のための教室をひらき、表の柱に書きつけを出して貼りなさいました。その文は『〇月〇日開講。席料はいりません。ご関係がなくても、お望みの人々は、遠慮なく入って、聞いてください』。どこで講演しなさるにも、この書きつけを出して置きなさいました。」が拙訳。これは門人がまとめた「石田先生事績」から。

📝梅岩が人びとに説いた教えは、例えばこんなものです!

士・農・工・商すべて自分の仕事に満足することを知らなければなりません。(略)正しい道を知るということは、この身がこのまま十分であることを理解し、そのほかの望みをもたない

士農工商共に、我家業にて足ことを知るべし。(略)道を知ると云は、此身このまゝにして足ことを知て、外に望ことなき
(『日本の名著 富永仲基 石田梅岩』(加藤周一責任編集、中央公論社)から引用/『都鄙問答』(石田梅巌著、足立栗園校訂、岩波文庫)から引用、ただしルビは全て略した)

これが梅岩の「知足安分」。それぞれの職分に満足して生きようというものです。

商人の奉禄は公けに許された奉禄のようなものです。

商人の買利も天下御免しの祿なり。
(『日本の名著 富永仲基 石田梅岩』(加藤周一責任編集、中央公論社)から引用/『都鄙問答』(石田梅巌著、足立栗園校訂、岩波文庫)から引用、ただしルビは全て略した)

これが梅岩の「商人の買利は士の禄と同じ」。近世になって、力が強まってきた商人はとかく反発を買ったものですが、武士と同じように天下に恥じるものでない大義があると梅岩は述べます。きっと、何らかの商に関わっていただろう町人たちに誇りを与えた教えでしょう。「俸禄(ほうろく⇒武士が大名から受けた給与)」。

📝最後に、私が好きな梅岩の言葉を引用します!

街頭に立ってでも、私の気持を話そうと考えた。

たとひ辻立して成とも、吾志を述んと思へり。
(『日本の思想 18 安藤昌益・富永仲基・三浦梅園・石田梅岩・二宮尊徳・海保青陵集』(中村幸彦編集、筑摩書房)から引用、ただしルビは全て略した)

これは倹約を中心に説いた第二著『斉家論』から。45歳で無料開講をはじめたときの覚悟を述べています。人脈のない者が、信念一つをたのんで仕事に取り組むひたむきさが尊敬できます。梅岩の思想は、資源の倹約も説いたところから環境問題を、正直な商いを説いたところから「企業の社会的責任」を学ぶ存在として現在人気のようですが、信念のある「起業」の姿勢も学べる存在かもしれません。

後は小ネタを!

石田梅岩の主著は『都鄙問答』。問答形式でおしえを説いた書物は多いが、『都鄙問答』は対話者同士のバトル感がめずらしい。聞き役が「あなたの言うことはわかりませんね」と平気で切り返してくる。ばらばらに引用しますが、「痛いところに触れたのでそういう御返事をなさるのか」とか、「世にもまれな役に立たぬ人間とは、あなたのことですな。」とか、対話者同士がバチバチに激論しています。引用は全て『日本の名著 富永仲基 石田梅岩』(加藤周一責任編集、中央公論社)から。

京都の自宅に「聴講自由・席料無料」の講義をした石田梅岩。彼の独身生活はすこぶる質素なものだった。井戸のつるべの古縄は燃やして火鉢の灰に、畳のへりは掃除用具にリサイクルした。こういう省資源・リサイクルの発想が「環境問題」に取り組んだ先駆として扱われます。また、使ったお湯も土中の虫を殺さぬように冷まして流したという話も伝わっています。清貧で聖人です。

1740年の冬、京都での物価上昇による貧困層の惨状を聞き、石田梅岩は門人たちから米銭を集めて配った。梅岩のこの行動を石門は継承し、それが日本の民間ボランティア活動のはじまりとなった。京都に学校を作って石門心学を広めた最年少の直弟子手島堵庵や、道話(心学の講義)がとにかく抜群に面白かった柴田鳩翁などなど、石門は傑物ぞろいです。


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