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《大学入学共通テスト倫理》のための荻生徂徠

大学入学共通テストの倫理科目のために歴史的偉人・宗教家・学者を一人ずつ簡単にまとめています。荻生徂徠(1666~1728)。キーワード:「古文辞学」「先王の道(せんのうのみち)」「経世済民(けいせいさいみん)」「赤穂浪士の討ち入り」主著『弁道』『弁名』『政談』

これが荻生徂徠

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博識かつ率直なもの言いをする儒学者です。

📝徂徠と言えば古文辞学、「古文辞」は中国の古文の知識を指します!

私は昔、亡父から家庭教育を受け、間・静の字義について教わった。私が和訓をしりぞけ、文字の意味を正確に考えるようになったのは、主としてここに始まる。

予昔先大夫の庭に趨て間静の字義を與かり聞けり。此れ其の和訓を撥脱し字詁を精覈するの職とし由るところ。
(『日本の名著 荻生徂徠』(尾藤正英責任編集、中央公論社)から引用/『荻生徂徠全集 第三巻』(今中寛司・奈良本辰也編集、河出書房新社)から引用、ただしルビは略した)

荻生徂徠の漢字解説本の『訳文筌蹄』の序文から。まず、原典の漢字を精確に読もうという学問スタイルが「古文辞学」の根幹です。ちなみに、この「間・静」は「閑静」の江戸の原本の誤植でしょう(『訳文筌蹄』は「間」「静」ではじまると書いていて、実際は「閑」「静」なので)。「閑静」は「もの静か」という意味ですでに日本語化しています。しかし、中国語の意味に立つと「閑(いそがしくない状態)」+「静(動きがない様子)」の組み合わせとなります。こんな風に注意ぶかく文字を読むことで、日本語化の変形を除去して直接中国語を理解しようとしています。

学問をする者は貿易船がもたらした和訓のない書物が読めるところまで到達したら、昔の書物を読むべきである。昔の書物は根本であり

學者既に能く海舶來の和訓なき者を讀む田地到らば、便ち當に古書を読むべし。古書は是れ根本
(『日本の名著 荻生徂徠』(尾藤正英責任編集、中央公論社)から引用/『荻生徂徠全集 第三巻』(今中寛司・奈良本辰也編集、河出書房新社)から引用、ただしルビは略した)

これも『訳文筌蹄』の序文から。日本語化のバイアスをのぞいて、中国語を直接読むことに慣れ、さらにその素地から儒学の古典を読む。そうすることで歪曲なしに古典を理解できるようになる。これが荻生徂徠の「古文辞学」です。

📝徂徠は古文辞への確信から朱子学(宋儒)を批判しました!

程顥(ていこう)・程頤(ていい)や朱子などの人たちは、世にすぐれた人物ではあったが、古代の文章についての知識を持たなくなっていた。そこで、六経を読んで理解することができず、ただ読みやすい『中庸』と『孟子』だけが気に入ってしまった。(略)現代の文章を読む目で古代の文章を見て、事物の真相がわからなくなり、実体と名称とが分裂して、理論的な解釈だけが原文を離れて通行するようになってしまった。

程・朱の諸公、豪傑の士と雖も古文辭を識らず。是を以て六經を讀みて之を知ること能はず。獨り中庸・孟子の讀み易きを喜ぶ(略)今文を以て古文を視て、其の物に昧し。物と名を離れて、而る後義理孤り行はる。
(『日本の名著 荻生徂徠』(尾藤正英責任編集、中央公論社)から引用、ただしルビとパーレーンに付された説明は略した/『荻生徂徠全集 第三巻』(今中寛司・奈良本辰也編集、河出書房新社)から引用、ただしルビは略した)

これは徂徠の『弁道』から。こんな風に、徂徠は日本で支配的だった朱子学だけでなく、中国の(宋の時代に「儒教」を「儒学」という学問に刷新した)朱子学自体を批判しています。根こそぎ感のある批判です。

📝徂徠が捉えた儒学の根本は「先王の道」です!

「先王の道」は、天下を安泰にする「道」である。後世、経世済民の術をとなえる者は、一人残らずこれを祖述している。

先王の道は天下を安んずるの道なり。後世經濟を言ふ者、祖述せざるは莫し。
(『日本の名著 荻生徂徠』(尾藤正英責任編集、中央公論社)から引用/『荻生徂徠全集 第一巻』(今中寛司・奈良本辰也編集、河出書房新社)から引用、ただしルビは略した)

『弁道』から。これが荻生徂徠の「先王の道」。「道(社会の本質)」は朱子学のように天地自然の法則によって統べられたものではなく、過去に生きた偉大な人間が平和のために定めたものだとしています(これを「安天下の道(あんてんかのみち)」と言います)。朱子学のように世界の摂理が人間の摂理でもあるという一元化をせず、人間のものは人間が作ったはずだ、というリアリストとしての発想がここにあると評価できると思います。そして「経世済民(世を治め民を救うための政治経済施策)」を「経済」と略して用いるところは、弟子の太宰春台に受け継がれ春台は『経済録』を書いています。これが現在の「経済」という言葉のいわれです。

📝徂徠は社会の安定を維持することにおいてリアリストでした!

世みな謂へらく、四十有七人の者は、身命を主死する後に捐て、以て報いらるることなきの忠を効すと。(略)義と謂ふべけんや。然りと雖も、(略)これその情を推すに、また大いに憫むべからざらんや。(『日本思想体系27 近世武家思想』(石井紫郎校注、岩波書店)から引用、ただしルビは略した)

これが徂徠の「赤穂浪士の討ち入り」論(「四十七士の事を論ず」)。この儒学的「忠義(主君に尽くす真心)」による殺人への裁定は議論が百出しましたが、徂徠は厳罰を主張。社会の安全を揺るがすテロと扱います。「世のみなは、四十七人は命を主が死んだあとに捨て、報いられない忠義をしたと考えている。(略)それは義と云うべきか(いや、ちがう)。そうはいっても、(略)その心情をおしはかると、また大いに憐れむべきではないだろうか。」が拙訳。

📝ちなみに、これは歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』です!

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「仮名手本(「四十七」文字のかなが書いた手本)」という言葉で、実際の「赤穂浪士の討ち入り」を描いたと示唆しています。現代でも役名と実名が混乱するほど興行として大当たりをとった演目です。歌川豊国画。ちなみに、徂徠の赤穂浪士論は、切腹を論じた「徂徠擬律書」が有名ですが、これは真筆が疑われている文章です。

📝徂徠は刑罰だけを重んじた厳罰主義ではありません!

「道」とは、総合的な名称である。礼楽刑政という、すべて先王が確立したものをとりあげ、一括して名づけたものである。

道とは統名なり。禮樂刑政凡そ先王の建てたる所の者を擧げて、合はせて之に命けたるなり。
(『日本の名著 荻生徂徠』(尾藤正英責任編集、中央公論社)から引用/『荻生徂徠全集 第一巻』(今中寛司・奈良本辰也編集、河出書房新社)から引用、ただしルビは略した)

これが徂徠の「礼楽刑政」。儀礼、音楽、刑罰、政治施策の総体が社会を作るという視点に立っており、社会の乱れに対しては厳しく「刑」によって対応するという感じです(これも『弁道』から)。彼の「答問書」にも「平和な時は『文』を用い、乱れた時は『武』を用いる」(『日本の名著』)とあり、単なる厳罰主義者ではありません。

📝さらに人間へのリアリスティックな眼差しが温かいです!

このようなわけで、「人はすべて聖人になれる」というのは、誤りである。「性が変えられる」というのも、誤りである。

この故に「人みな聖人たるべし」といふ者は、非なり。「性易ふべし」といふ者は、非なり。
(『日本の名著 荻生徂徠』(尾藤正英責任編集、中央公論社)から引用/『日本思想体系36 荻生徂徠』(岩波書店)から引用、ただしルビは略した)

カギカッコは朱子学(宋儒)で主張された言葉です。鍛錬によって「性」を変えて、「聖人」を目指す朱子学の教えに反対しています。

気質はどんなことをしても変化させることのできないものです。米はいつまでも米、豆はいつまでたっても豆です。ただその生まれついての気質をうまく養い育てて、そのものの持つ特性を十分に発揮できるようにするのが学問というものです。

氣質は何としても變化はならぬ物にて候、米はいつ迄も米、豆はいつまでも豆にて候。只氣質を養ひ候て、其の生れ得たる通り成就いたし候が学問にて候。
(『日本の名著 荻生徂徠』(尾藤正英責任編集、中央公論社)から引用/『日本倫理彙編 巻之6』(井上哲次郎・蟹江義丸共編、育成会)から引用、ただしルビは略した)

徂徠にとって、朱子学は米を豆に変えさせようとするようなものだったようです。それぞれの「気質」のちがいを認め、それらの特性を生かそうとすること。ここに万人に対する眼差しのあたたかさを感じることができます。引用は「答問書」から。

📝最後に徳川吉宗へ献上した『政談』がビジネス本的にいいです!

月番ということ(略)これもまた、自分の責任だけ果たして、さしあたり恥をかかないようにして、あとのことは構わないという風になり、前後の関連を見きわめて役職を勤める人はいない

月番トイフ事(略)是又人々仕退ニ成テ當分ノ身ノ耻ヲ拂計ノ様ニ成テ、末ノ事ヲモ不構、始終ヲ締括テ役儀ヲ勤ル人無
(『日本の名著 荻生徂徠』(尾藤正英責任編集、中央公論社)から引用/『荻生徂徠全集 第六巻』(今中寛司・奈良本辰也編集、河出書房新社)から引用、ただしルビは略した)

これは管理職の必要を説いている箇所です。

人を見分けるというのは、とにかくその人を使ってみて初めてわかることである。

人ヲ知ト云ハ、兎角使テ見テ知事也。
(『日本の名著 荻生徂徠』(尾藤正英責任編集、中央公論社)から引用/『荻生徂徠全集 第六巻』(今中寛司・奈良本辰也編集、河出書房新社)から引用、ただしルビは略した)

これは人事について説いています。

下から申し出た意見の理屈が通っていたならば、不十分な点には構わず、その理屈の通っているところを賞めてやり、時機をみて、「先日の汝の意見はもっともである。しかしこのような点で行きづまる。ここはどうすればよいか」と、時日が経ったのちに言うべきである。こういう風にすれば、道理にかなった点を賞めるということが主になって、下の者の心を委縮させることがない。

其不足處ハ不構、其理筋ノ立タル處ヲ賞シテ、時ヲ得テ「先日爾カ申處尤也。されとも如此差支有、此處ハ如何スヘキ」ト程ヲヘテ可申事也。箇様ニ有時ハ、理ニ叶ヒタル處ヲ賞スル筋立テ、下ノ心に縮ミ付ヌ也。
(『日本の名著 荻生徂徠』(尾藤正英責任編集、中央公論社)から引用/『荻生徂徠全集 第六巻』(今中寛司・奈良本辰也編集、河出書房新社)から引用、ただしルビは略した)

これは部下(家臣)の直言の取り扱い方を述べている箇所です。

老中や番頭以上の地位にある人々は、ただ人材を見つけ出すのを自己の第一の職分と心得て、そのことを昼も夜も心にかけているべきである。

御老中・番頭以上ノ人ハ只人ヲ取出スヲ我第一ノ職分ト心得テ、左様ノ人ヲ取出ス事ヲ晝夜ニ可心掛也。
(『日本の名著 荻生徂徠』(尾藤正英責任編集、中央公論社)から引用/『荻生徂徠全集 第六巻』(今中寛司・奈良本辰也編集、河出書房新社)から引用、ただしルビは略した)

これは人材登用の話。『政談』は吉宗に政策を問われて献上した書物です。本書で、権力者による統治を力強く論述した荻生徂徠は「国家主義者」と扱われたりします。今回はそれとは別に「経営者の心がまえ」的なビジネス本として楽しめると思う要素を選んでみました。講談社学術文庫で現代語訳も刊行されていますが、ビジネス本としての『政談』も売っていた気がします。もっとも、古文辞学を説き、自身の著作に返り点を付けることさえ許さなかった徂徠先生は、私のこのまとめなんぞを見てもカンカンになってしまうかもしれません!

最後は小ネタを!

荻生徂徠が創始した古文辞学派は、徂徠学派や「蘐園学派」とも呼ばれる。この「蘐園(けんえん)」は徂徠の塾の名前。この塾は茅場町にあったので、「茅」と同じ訓読みを持つ「蘐」の字がつけられている。荻生徂徠の作品の中には『蘐園随筆』題の評論もあります。

荻生徂徠は落語に登場している(『徂徠豆腐』)。徂徠が、若い頃に恩を受けた豆腐屋の店主を援助しようとする。しかし、店主は赤穂浪士の切腹を主張した徂徠の施しをことわる。これに続くオチを見ると、徂徠先生も赤穂浪士と同じく江戸っ子から愛されたようだ。


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