見出し画像

第2 回: 「多様性を認める」に挑戦したいあなたに、お薦めしたいこと

ミツイ直子

「多様性を認める」のは、グローバル社会では必須

日本でも声高に叫ばれるようになった「多様性」という言葉には
“the state of being diverse; variety.”
“the practice or quality of including or involving people from a range of different social and ethnic backgrounds and of different genders, sexual orientations, etc.”
という意味があります(Googleより)。

分かりやすく言うと、私達が持つ「違うところ」が私達を「多様」にしていて、人種、国籍、性別、社会的役割や地位、性的指向、未婚か既婚か、趣味・嗜好というような「違い」が「多様性」を形成しているわけです。

皆さんもきっとご存知のように、アメリカ社会では随分と前から「多様性」を認め重んじることが求められてきました。それは、単に「人の気持ちを傷つけないためにお互いを尊重し合おうね」という理由だけでなく、実際に「多様性を持つチーム」こそがグローバル社会で活躍できると考えているからなのです。 

The University of North Carolinaのウェブサイトでも “Why Diversity and Inclusion Are Good for Business” という記事がありますが(https://online.uncp.edu/articles/mba/diversity-and-inclusion-good-for-business.aspx)、そこにはこう書かれています。

"Gartner research reveals that “differences of age, ethnicity, gender and other dimensions foster high performance.” Through 2022, 75% of organizations with frontline decision-making teams reflecting a diverse and inclusive culture will exceed their financial targets, according to recent studies. World Economic Forum research shows that companies with above-average diversity scores drive 45% average revenue from innovation, while companies with below-average diversity scores drive only 26%.”

また、アメリカ元ファーストレディーのミシェル夫人も、とある映画の試写会にてこうしたスピーチをしています。

“[…] as we move forward in life, and we get access to these seats of power, these tables of power, I want you to look around and make sure there’s diversity at the table. Because you don’t come up with the right answer, if everyone at the table looks the same, and thinks the same, and has the same experience. You’ve never come up with the best answer. So when you get these seats at these tables of power, your obligation is to make sure the conversation is diverse. Because what we saw in this film is that when we pull together men and women, people of every background and color and faith, immigrants who’ve come here from across the globe to make America their home, when we bring all of that brainpower to the table, anything is possible.


「多様性を認める」際には、時に個人は無視される

そんな「多様性」は常に「グループ」をベースとして考えられていて、個人の意見や想いは尊重されないこともあります。

例えば「性的指向」を考えた時、特に信仰心がない人が同性愛を認めるのは比較的簡単です。でも信仰している宗教の教えで同性愛が「悪」とされていたら、その人にとっては「同性愛を受け入れること」は非常に困難なものになるでしょう。ただ、「多様性を認める」という大義名分のもとでは、そうした個人的な事情は関係ないのです。
 
過去にアメリカで、宗教上の理由から同性愛カップルにウェディングケーキを作ることを断ったケーキ屋さんがいました。そのことに腹を立てたカップルは裁判に持ち込み、ケーキ屋さんを訴えたわけですが、結果「客の性的指向によってサービス提供を断ってはいけない」という判決が下りました。このケーキ屋さん個人の信仰心や想いは無視されてしまったのです。(詳しくはこちら:https://en.wikipedia.org/wiki/Masterpiece_Cakeshop_v._Colorado_Civil_Rights_Commission

「多様性を認める」というのは常に「グループ単位」で語られます。そのため、時に「多様性を認める」を遂行するために個人の意見や想いが無視されてしまうこともあります。でもそれが学校や企業や社会で「みんなが平等に扱われる」ことの達成に繋がるのなら「それも致し方なし」となり、個人は各々の気持ちの折り合いをつけなくてはいけないのです。

「多様性を認める」を、個人レベルで実践するために

「多様性を認める」という社会的理想を追求していくために個人の意見や想いが無視されてしまうことがあるとは言いつつも、全ての動きは「個人レベル」から始まります。大きな社会運動も、参加する人達の個人的な体験や意見があるからこそ大きなものへと成長していきますよね。では、私達はどういう意識で「多様性を認める」という「模範回答」に寄り添っていけば良いのでしょうか?

「多様性を認める」という時、私達は具体的に「何を」すべきなのでしょうか?

私ミツイが生徒さんにお薦めしているのは、①「言語」の性質を理解し、そのうえで「相手の言語ゲーム」に参加する意識を持つこと、です。そうすることが「多様性を認める」に繋がると考えています。 

①「言語」の性質を理解する

スイスの言語学者ソシュールは「言語は記号の体系」で、①形式(音素や文字素)②意味(概念)を運ぶと説きました。

例えば「ねこ」という単語は、/n/ + /e/ + /k/ + /o/ という形式を持ちながら、「大きさは10㎝~60㎝」「毛が生えている」「耳が突き出ている」「哺乳類である」「ニューニャーとなく」というような意味をも持ち合わせているのです。

「外国語を学ぶ」際に、言語の①形式部分(音素や文字素)を学ぶことが必須だというのは簡単に分かることだとは思いますが、

この時、「言語の②意味(概念)は文化依存が強く、つまりは文化によって単語の意味(概念)が異ることもある」ということも知らねばなりません。

つまり「外国語を学ぶ」際には①形式部分(音素や文字素)と②意味(概念)の両方を学んでいくことが必要なのです。
 
ちなみに言語の②意味(概念)というのは、以下の図のように様々な物の影響を受け、成り立っています。

そして私達人間は、そんな複雑な②意味(概念)を「体験」を通して学んでいます。赤ちゃんの頃から「自分の体験」を通して「言語」に触れてきているのです。

「体験」が欠けた学習だと、特定の単語に間違えた意味を紐づけてしまったり、不十分で限定的な意味を紐づけてしまったりします。例えば、それが頻繁に起きてしまうのが「大人になってからの外国語学習」。辞書や単語帳のみを使っての学習だと、理解できたつもりでも実は理解できていない…なんていうのはよくあることです。ですので、母国語・外国語問わず言語を学ぶ際には「体験を通した学習」をするのが理想的なのです。
 
「単語を学ぶから、その言語を使えるようになる」のではないのです。
「その単語を用いて他人と意思疎通を図るから、その単語の理解が進む」のです。 

②「相手の言語ゲーム」に参加する意識を持つ

さて、次は「相手の言語ゲーム」に参加する意識を持つ、ということをみていきましょう。

「言語ゲーム」というのは、オーストリア出身の哲学者ウィトゲンシュタインが説いた、言語活動を「ゲーム」として比喩したコンセプトです。このコンセプトでは、コミュニケーションの際には①形式部分(音素や文字素)の共有だけでなく、文脈を理解することが重要だとしています。なぜかというと文脈によって②意味(概念)が変わってしまうから。そして、それぞれが持つ②意味(概念)がお互いに分かり合えているかどうかは、言語ゲーム(言語活動)をしてみると明確になるのです。

例えば、朝食時に、アメリカのレストランで「食パン/toast」を注文したとしましょう。

そうすると大抵の場合、矢継ぎ早に以下のような質問がされます。
“What type of bread would you like for your toast? We have white, whole wheat, rye, sourdough, and multigrain.”
“How would you like your toast done? Light, medium, or well-done?”
“Would you like some butter on your toast?”
“Do you want any spreads on your toast? We have strawberry jam, blueberry jam, honey, peanut butter, and Nutella.”
そう、食パンの種類や焼き加減、それからバターやジャム等が欲しいかを聞かれるのです。
 
日本からアメリカに来たばかりの人はこうした質問に驚きます。なぜかというと、「アメリカで食パンを注文する」という言語ゲームと「日本で食パンを注文する」という言語ゲームは異なるからです。アメリカでスムーズに食パンを注文するのなら「アメリカで食パンを注文する」という言語ゲーム(言語活動)のルールを知り、それに適した受け答えができないといけないのです。 

初めて参加するコミュニティーの習慣が理解できなかったり、ベイビーブーマーの世代がZ世代を見て「あの行動は理解できない」と思うのは、私達が「相手」の言語ゲーム(言語活動)に参加し、同じ世界で物事を見ていないからなのです。私達は全員が同じ言語ゲーム(言語活動)を同じようにプレイしているわけではありません。ですから、他人を理解したいと思うのであれば、その人の言語ゲーム(言語活動)に参加し視点を合わせることが必要なのです。 
  
相手を本当に理解するためには、相手の言語ゲームに参加することが必要なのです。

野球の試合を観る時は、野球のルールを理解したうえで(もしくは理解しようとしながら)観ますよね。サッカーのルールを当てはめながら野球を観る人なんていないでしょう。でも、実生活では多くの人が「それ」をしてしまっているのです。「あの人を理解したい」とか言いつつも、結局は自分の言語ゲーム(言語活動)をベースに、その人の言動を理解しようとしているのです。
 
でも、相手を理解するために必要なのは、一定以上の期間、相手の言語ゲーム(言語活動)に参加すること。相手の言語ゲーム(言語活動)全体をみて、相手の言動の意味することを正確に把握しようとすること。私達が、生まれてから今まで「体験」を通して母国語を学んできたように「実際に参加し、体験」することでしか正確な理解は得られないのです。 

ですから、まずは目の前の人の「言語ゲーム」に参加する意識を持ち、相手が本当に望んでいることを理解しようと歩み寄りましょう。それが「相手の視点で物事を考える」ということであり、私は、そうすることが「多様性を認める」ことの第一歩に繋がると考えています。

「自分との違いを持つ他者」のことを考え、頭の中で考えを巡らせるだけでは「多様性を認めている」とは言えません。

自分と「違うもの」を持つ人と、どうやって良い距離を保つのか。自分の意見や感情を、どの程度相手に伝えるべきで、何を伝えないべきなのか。相手の話は、どういう姿勢で聞くべきなのか。学校の、企業の、社会の方針や企画としては「何を」採用するべきなのか。実際の「多様性」との付き合いは、こうしたせめぎ合いの中で起こり、それは決して簡単なものではありません。 
 
でもだからこそ「相手の言語ゲーム(言語活動)」を意識することがお薦めで、そうすると個人レベルで「多様性を認める」ということがしやすくなるのではないかと思います。
 
皆さんの日常生活でも「言語ゲーム(言語活動)」のコンセプトを、是非、活用していってみてください。あなたは、まず誰の「言語ゲーム(言語活動)」を理解したいと思いますか? 

この記事を書いた人:ミツイ 直子
神奈川県生まれ。高校卒業後、単身渡米。州立モンタナ大学にて言語学・英文学・外国語教授法・コミュニケーションスタディーズを学んだ後、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校にて社会言語学と人類言語学を学び、修士号を取得。多くの米国駐在員や留学生、海外在住日本人を始めとするハイレベルの英語力を目指す学習者や日本人英語講師に英語を教えている。留学プログラムや英語教材開発事業にも携わった経験を踏まえ、英語講師のカリキュラム作成や教材開発の手助けもおこなっている。現在は家族とカリフォルニア州オレンジ郡に在住。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?