わが辞書人生 [第4回]
大井光隆(元英語辞書編集者)
「学習辞典」の誕生
これまでの回で書いてきましたように、辞書の制作は時間とお金のかかる「大事業」です。
投資したお金を回収するには、当然のことですが、売るしかありません。
しかし、ろくに宣伝もしないで書店に並べておくだけでは辞書は売れるはずがありません。
何しろ競合辞典も多く、売れない辞書は早々に書店の店頭から姿を消す運命です。そのうちに、ある英語の先生が英語教育の専門誌に、「アンカーは今までにない優れた辞書である」という趣旨の記事を書いてくださったのです。それがきっかけになったのか、少しずつ「アンカー」の知名度と評判が上がってきました。
いつごろからでしょうか、「学習辞典」という言い方が使われるようになりました。実は、昭和30年ごろまでは、手ごろな英和辞典は『コンサイス英和辞典』(三省堂)くらいしかありませんでした。この辞書は大正時代から版を重ねてきた歴史的な辞書ですが、文字が細かく、例文なども少ない大人用の辞書でした。とても学生向けではなかったのです。三省堂はその後、例文の豊富な『クラウン英和辞典』を刊行し、好評を博しました。この辞書がいわゆる「学習辞典」の先駆けになったようです。その後、他社からも「学習辞典」が出版され、一種の学習辞典ブームが起きました。見出し語に訳語を与えるだけの辞書はほとんど姿を消し、例文や語法の説明など、独自の「特色」を打ち出した辞書だけが生き残るようになったのです。そして、『アンカー英和』が新たに仲間入りしたというわけです。
販売促進について
「アンカー」はすぐれた「学習辞典」であるという評判が高まりましたが、販売部数は一向に伸びません。私は編集者として黙っていられなくなり、監修者の柴田先生に、社長へ手紙を書いてください、と直訴しました。柴田先生に伝家の宝刀を抜いていただくより他に手がなかったのです。この作戦が功を奏して、やっと営業部に対し「アンカー」の販売に力を入れるように、という指示が下ったのです。それまで、営業部には辞書の販売担当者はたった1人しかいなかったのです。
そしてようやく、「アンカー」の販売を促進するという機運が高まり、編集者の私も新学期には書店の店頭に立って新高一生に「アンカー」を薦めたり、地方に出張して高校を回り、辞書の紹介に努めることになりました。その後、営業体制がさらに強化され、当時のT部長の決断で、全国の販売拠点に「学校促進員」という名の女性の販売員が配置されることになりました。これは、もちろん初版の頃ではなく、柴田先生が亡くなり、山岸先生という気鋭の先生の監修による改訂新版『スーパー・アンカー英和辞典』が出てからのことです。
要するに、辞書という商品で利益を出すには、書店の店頭に並べておくだけではダメだということが、やっと会社に理解され始めたのです。こまめに高校回りをして、新学期の辞書の「推薦リスト」に入れていただくか、「一括採用」を取り付けるしかないのです。
会社員として最後の3年間ほどは、私は新学期が近づくと毎年、北は北海道から南は鹿児島まで、「学校促進員」の車に同乗し、採用していただけそうな高校をしらみつぶしに回ったものです。これは結構楽しい仕事でした。何しろ、自分が編集者としてかかわった商品の販売促進をするのですから。この時代が「辞書編集者」としての私のピークだったのかもしれません。ともかく、私が初めて手がけた「アンカー」という新参の辞書が、50年後の今も改訂され版を重ねて生き続けていることを知ると、感慨もひとしおです。ふり返ると、まさに辞書一筋、編集者冥利に尽きる一生でした。(了)
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