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次期ミドル世代の卵は小説を書くという話

今日、会社で後輩の女の子から君付けで呼ばれた。気がした。

ただの聞き違いだったんだけど、呼ばれた気がした時にどう感じたのか。

後輩のくせに生意気かよ。

と思ったのか。

あれ、ナメられてるのかな。

と思ったのか。

どっちも違う。

正解は、

爽やかな風が吹いた気がした。

だ。

別に恋が始まったとかそういう話ではない。

ただただ新鮮な感覚を受けたのだ。

純粋なる新鮮さ。

僕は思った。

「歳を重ねるほど、若いお姉さんから君付けで呼ばれることは無くなっていくものなのだ」

と。

当たり前だ。

若いお姉さんはどんどん年下になっていくのだから。

自分が若い頃はこっちの方が年下だから。

君付けで呼ばれることは必然的に多かった。

30代後半になった僕はもはや若いお姉さんから君付けで呼ばれることは無い。

基本的に無い。

だから今日は新鮮な感覚を受けたのだ。

爽やかな風が吹いたのだ。

懐かしい感覚が全身を駆け抜けた。


そう、歳を取るとはこういうことだ。

かつては当たり前だった些細なことを思いのほか数多く失っている。

今日みたいなタイミングでそのことに気付く。


歳を取った。

もっと歳を取っている人からすると、30代後半などまだガキに見えるかもしれない。

でも人生は主観なものだから、僕は歳を取った。

最近では何かに熱中することが無くなった。

20代までは映画や特撮なんかに熱中していた。

観たい感情が飢えのように湧き上がることも多かった。

今ではもうそんな熱情は無い。

あぁ〜、無くなるものばかりだな。

また昔のように何かに熱中したい。

我を忘れて没頭したい。

忘我の境地に立ちたい。

日々そんなことを考えたりする。

でないと生きているのが虚無だから。

辛いから。

しんどいから。

でもぶっちゃけるともう無理なのだ。

20代までのように何かに熱中するのなんてもう無理なのだ。

これは衰えや気力の低下。

だと思っていたけど、本当はそうではないんじゃないかと最近思ってきた。

ただ単純な話で、

もう人生におけるそういう時期を終えたというだけのことなんじゃなかろうか。

何かに熱中して、何かから感動や楽しさ、興奮を受け取るという。

その、受け取りの時期が終了しただけなんじゃないだろうか。

そう感じている。


だったらこれからはどういう時期なのか。

僕は自分の中で一つ答えを出した。

これからは残していく時期なのだと。

受け取るのではなく、残していく。

僕は作家になりたい。

小説を書いていきたい。

これからの人生、死ぬまで書いていくつもりだ。

たとえプロになれなくても、書くことだけは続けていくつもりだ。

それは、小説を書くことの一番の目的は食っていくことではないから。

食っていけたら理想だけど、一番の目的ではないから。

では一番の目的はなんなのか。

それは書くことだ。

書くために書くということ。

出来の悪い禅問答みたいだけどそれが手っ取り早い表現であり、正直な気持ちに最も近しい表現である。

書くために小説を書く。

つまるところ今の僕の生きる目的は小説を書くことだ。

書かない日もたくさんある。

でもそんな日も書くために生きている。

そして小説を書くということは小説を作るということだ。

作ったものは世界に残る。

誰かの目に触れるかは分からないけど、触れたら良いなと思うけど、とにかく世界には残る。

いずれ消えても、一時期は残っている。

残していく時期とはそういうことだ。

これはかつての受け取る時期みたいな楽しさやワクワクとはちょっと距離がある。

はっきり言ってそれほど楽しくない。

何かに熱中することなく生きるのはキツイものだ。

でもそういう恩恵を受けられる時期は終わったのだからしょうがない。

これは順番みたいなもの。

だから残していく時期としてそれを受け止め生きていく。

残しながら前には進んでいける。

てかそもそも生きてるだけで時間は進んでいくのだから前に進みざるをえない。

それが切なかったりもするのだけど、まぁしょうがないんじゃないか。

淡々とした時間になっていくのかもしれない。これからは。そのことに気付くと動揺する。人生は期待とワクワクと興奮だと感じてこれまで生きてきたから。でもこれからはそうじゃない時期に入るのではなかろうか。残していくのは淡々と行っていく作業なのかもしれない。

虚無にきわめて近いところを歩きながらきっと進んでいくんだ。

でも作って残していくことはきっと人生の使命みたいなもので、役割を果たしていくのみ。

だから小説をとにかくまずは書いていく。

その果てに何が見えるのか。むしろ何も無いのか。本来人生に意味を求めることは人間の癖なだけで、意味は無い。ただ生きること、それが役目だ。

人生に意味は無いという事実に目を向けることほど苦しいことは無い。

自分の命に意味が無いと知ることは生物としてこの上なく残酷な事実だ。

人生に意味が無いと知ることは死に直面するのと似ている。

だから目は背けたい。出来るなら。

目を背けるために、残していく。

はい、僕は作って残していっていますからね。人生に意味が無いなんて言わせませんよ。言われても気付かないフリしてやりますからね。

そんな心意気で、これからのミドル世代としての時期に突入してやろうと思う。

今年も小説を書く。

書くために、書く。

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