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さらさらのシルクがケニアを豊かにする夢

はじめに

今まで、自分の本業である国際協力の詳細については書くことを控えていました。何故ならば、著者が携わってきた事業は日本政府とケニア政府の二国間の技術協力だからです。もし、私のような一個人の発信した内容が思わぬ結果を招いて、2カ国の事業遂行の邪魔になるわけにはいかないのです。しかしながら、この技術協力も終わりに差し掛かり、その成果として、ケニアでも、研究レベルでは良質の桑、繭、生糸が生産されるようになってきました。次の段階として、これが産業につながるように市場に認められることが大事です。そのためには、まず、世の中に認知されることが重要なので、多少の誤解を恐れている場合ではありません。そこで、ケニアの養蚕への技術協力について書くことにしました。

ケニア養蚕技術協力の背景

1970年代に日本はケニアの養蚕に対して技術協力をしましたが、その後、日本の養蚕業の衰退と反比例するように、中国、インド、ブラジルで養蚕が盛んとなりました。この3カ国の勢いが強いこともあって、ケニアの養蚕が大きな産業に成長する姿を見ることはできませんでした。その後、2016年、再び日本のケニアに対する技術協力が始まりました。今度はタイミングが良く、養蚕が盛んな中国やインドでも繭の生産量が間に合わず、アフリカで繭の生産に活路を見出そうと動き出しているところです。こんな順風の中、ケニアの養蚕技術向上のためのプロジェクトが2021年4月で終わりました。

養蚕技術協力の現状

この技術協力は研究分野に対する協力なので、ケニア側の受け手は農業省の管轄にある公立の研究所である国立蚕糸研究センター(NSRC:National Sericulture Research Centre)で、対する我が国の専門家は農研機構から派遣されました。日本とケニアの技術者達の熱い思いとクールな頭脳が集まり、生産性が高くケニアの気候風土に適した品種の桑と蚕の品種選定と品種改良が行われてきました。そして、製糸の技術についても技術協力が行われ、研究レベルでは高い品質の生糸が生産できるようになりました。こうして、次はケニアの高品質シルクを市場に出せるよう、量産体制を整える段階に突入です。

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担い手の小規模農家

技術協力で開発された優良なクワと蚕を量産する担い手として、小規模農家が期待されています。NSRCが桑の株と稚蚕を供給して、栽培法と飼育法の技術指導をすることで、小規模農家でも繭を生産することができます。それをNSRCが買い取って生糸にして市場に出せば、農家にとっては新たな収入源が得られます。まとまった量の生産ができれば、安定供給先としてケニアのシルクは国際市場に認知され、ますます繭の生産は農家にとって安定した収入源となります。まだまだ貧しい農家も多いケニアで、こんなふうに人々の生活を支える産業の一つが立ち上がらないかと夢は広がります。

さらさらのケニアシルク

まだ少ないですが、アフリカンシルクは今でも市場に出ています。しかしながら、その多くはエリ蚕と呼ばれる野生の蚕の繭から作ったワイルドな風合いの野趣あふれる織物です。一般に私達が「絹」という言葉から思い描くような、軽くサラサラの布ではありません。野趣あふれる生地もアフリカらしくて味わいがあるのですが、この技術協力で目指したのは高品質の生糸を作ることです。その糸から作られる織物は、正にサラサラのケニアシルクとなるはずです。ケニアと聞くと、そんなシルクが思い描かれるようにケニアシルクが育ってくれたらなんて、夢が膨らみます。

ラフィキエリ株式会社

この技術協力に、当初、筆者は調整員として庶務、経理、機材調達などを担当していました。その契約が切れてから縁あって、今度は、農研機構に雇っていただき、養蚕の技術を学びながら産業化に向けてできることを手探りで始めました。その間、カイコの研究者と交流を深めてエリ蚕の活用法についても見解を広げ、それらを事業化するために起業し、ラフィキエリ株式会社を立ち上げました。もちろん、サラサラのシルクがケニアを豊かにする夢は、弊社の事業として続けてゆきます。国際協力の仕事を続けて痛感したことですが、何かを継続的に続けて発展させるためには事業化が必須です。自分の小さな財産を投げ打ってもできることは限られています。自分も現地の人もほどほどに儲かる事業を作り、そうしてできた製品を買ったお客さんが満足する。そんな会社にして行きたいです。



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