迫り来る湿度と共に

低気圧や雨にHPを削られ続けている皆様、ごきげんよう。

頭痛や眠気に抗えないことを言い訳に自分の作業効率の悪さを肯定することで精神を保っている私ですが、日本で夏を過ごすのは数年ぶりなので、夏が来るより前に自律神経がやられそうです。

じめついているとはいえ、同時に気温も上がってくることで、我が家にも冬場はお目にかからなかったような数種類のクモさんをメインに、小さな羽虫さんたちも含めて、徐々に小さなお友達のご来客が増えてまいりました。

5月の今でさえそうなのだから、夏になったらもっと色々なお友達がいらっしゃるのかなぁと思うと今から気絶しそうです。

私自身は東京の郊外の住宅地で育ちましたが、両親は共に自然豊かな地方都市の出身であり、幼少期は長期休ともなれば帰省した祖父母の家の周りで元気いっぱい遊んでいた方でありました。

バッタや蝶々やトンボならいざ知らず、カマキリなども素手でつかんで仲良くしていたのですが、今となっては昆虫の皆さんに人見知りしてしまうようになったばかりか、時には出会い頭に成人男性とは思えないような情けなさで悲鳴を上げかけてしまうので、不思議なものです。

メジャーな昆虫の皆さんとは親しくさせていただいていた私ですが、子供の頃からどうしても相容れなかったのが、これからの時期、日本のあちこちで再会を果たすことになるであろう蚊のみなさんです

祖父母の家はまぁまぁ大きい湖のほとりに位置していたため、必然的にその周囲も湿地のようなもので、当然、蚊の一大繁殖地でもありました。

加えて、私が生まれつき異様に蚊にモテてしまう体質らしい上に、刺されると異常なまでに刺された箇所が腫れ上がるアレルギー体質であったため、毎度毎度刺されるたびに祖母に泣きついて庭から取ってきたアロエを塗りたくってもらっていたものです。

今にして思えば、祖父母の家では当時としても旧式の古びたエアコンこそあれど、それを運転させることは稀で、もっぱら扇風機の前でただ耐える、まさに昭和の夏の過ごし方を貫いておりました。

そうなってくると換気を良くするために窓は開けっぱなし、そして網戸はあっても破けたところはなんとなくそのまま破けっぱなしといった具合でもあったので、普段は東京の機密性の高い集合住宅で育てられていた私が、幼いながらも蚊に対する防衛本能が高まったのは当然といえば当然です。

ある夏、今年の夏も刺されちゃうのは嫌だから、刺されてからアロエを塗ってもらうより先に普段から東京で母がやってくれているように、道具を使ってやっつければ良いだろうと思った私は、祖母に何か蚊をやっつけるものなーい?と聞いてみました。

子供といえども、何年か生きていれば、世の中には蚊をやっつけるための便利な道具、つまり自分の肌につけるサラサラパウダー入りの虫除けスプレーだったり、コンセントに差し込むだけで虫がいなくなるプラグ式の虫除けのだったり、そう言うものがこの世にはある、と言うことは心得ているものです。

日中は大抵ずっと畑仕事をしているか、そうでない時は古くて広い家の中を休むことなく動き回って家事をこなす働き者の祖母でしたので、幼い孫相手といえども自分で出来ることは自分でやってくれたまえ、というのが基本姿勢。

じゃあこれを使いなさい、と蚊取り線香とチャッカマンを寄越してくれました。

普段東京では都会っ子として軟弱に育てられている私、蚊取り線香に自分で火を付けると言うだけの行為すら非常に興奮するイベントです。

平たい焼き物の蚊取り線香たてに固定したグルグルの蚊取り線香を持って畳の部屋に移動して、独特な匂いを吸い込みながら、縁側の引き戸に面した畳の上に鎮座して、いざチャッカマンで着火。

仏壇にある白い蝋燭とは違って、蚊取り線香というのは、すんなりとは火がついてくれないものです。だからこそ、ようやく着火したその三角に尖った渦巻きの先端から煙がゆるゆると上がっていく様には見惚れてしまうものです。

まもなく、使命感や意思のあるかのような、輪郭のハッキリとした白く太い煙が立ち上るいやいなや、蚊取り線香を集中して見つめる私の目線の片隅に、ポトリ、と一匹の大きめな蚊が落ちてくるのが見えました。

煙が上がった瞬間に速攻効果を発揮したことに感心していた私でしたが、まもなく、ちょっと離れた畳の上にも同じくデカめのが一匹、また一匹と、次から次に蚊が落ちてくる様子が目視で確認できることが徐々に恐ろしくなってきました。

人家に侵入した蚊は、飛び回っている時間よりも天井などで休んでいる時間の方が長いと言うことを、その頃の私は知りませんでしたし、何より蚊がたくさん潜んでいる部屋の中で蚊取り線香を炊いた瞬間と言うものに立ち会ったことがありませんでした。

いつもの私であれば、渦巻きの形状を保ったまま、ぽてりぽてりと落ちて行く灰を思い出したような確認するが好きなのですが、この時は自らの手によって引き起こされた蚊のジェノサイドの罪の意識に耐えかねて、逃げるように縁側へ抜けて、そのまま庭へ出て、しばらく家の中には戻らないという本末転倒な現実逃避に走ったのでした。

蚊に限らず、常に過酷な湿度と太陽光に晒されて祖父母で過ごした夏休みは、食卓に猛スピードで突撃してくるカナブンだったり、見ただけて大泣きするような手のひらサイズのスレンダー極まりない脚の長い蜘蛛だったり、軽く庭を一周するだけで両手に収まり切らないくらい収穫できる蝉の抜け殻だったりと、昆虫との断片的な記憶の宝庫です。

また、祖父母の家のあった集落には、湖の水とは別に、豊かな地下水を汲み上げた用水路が張り巡らされていたこともあり、洗面所や台所のガラス窓に張り付いたイモリたちが、外から赤いお腹を室内に向けて休憩している姿や、普段は庭のあちこちで見かけるだけのヤモリが、木々を伝ってきたのか2階の窓のカーテンの中に潜んでいたり。時には蛇を見かけることまでありました。

中学校に上がって間も無く祖父母が逝去したことで、私の人生から自然に寄り添う生活体験は失われ、やがて完全にコンクリートジャングルで生きる人間としてスクスク成長していきました。

全てを落ち込ませる梅雨の湿度の向こうに控えている、うだるような夏の暑さと、ありとあらゆる生き物たちの沸き立つ生命力の気配を恐れて、今の時期から防虫剤と殺虫剤を買い込むような大人になってしまった私は、人間と共生することにすら怯え、都市の片隅で引きこもって生きる術しか知らない人間としての悲しい弱さを感じているところです。


必ずやコーヒー代にさせていただきます。よしなによしなに。