植物の名前を知らない

植物の名前を知らない。

もうすぐ30歳になる私はまぁまぁいい大人であるが、道を歩いていて、ご近所の前庭に生えているは「植木」だし、友達とピクニックに整然と立ち並んでいる木々は「木々」であり、花壇の花は「花壇の花」なのだ。

満開の時期に強めに自己主張してくる桜の木だって、咲いていなければそれが桜かどうかも私には判別しかねる。

自分が人より植物の名前に詳しくないらしいというこに気づいた瞬間は、かなり幼い頃に遡る。

小学校低学年のある朝、いつものように幼馴染と並んで二人で通学路をダラダラ歩き、途中で合流した同級生たちとわちゃわちゃしながら歩身を進め、緑のおばさんに挨拶し横断歩道を渡り、校門を抜け辿り着いた降口の下駄箱の手前のガラス戸に、その前の日まではなかった手描きのポスターが張り出されていた。

そこには手描きの花のイラストと共に

「この花のなまえはなんでしょう? ヒント:グ○ジオ○ス」

という文字が並んでおり、一同しばし黙考したかと思うや否や、幼馴染が一言「グラジオラスじゃない?」と誰に同意を求めるでもなく投げかけた。

その後の会話は覚えていないが、私は彼が、めっちゃ長い横文字の花の名前を覚えていたことも、その名前と手描きのイメージでしかないその花の姿形がおそらく彼の頭の中では完全に一致していることに恐れをなした。

幼き子供の頃の目線では、ましてや同じ土地で育ち、同じ学校に通っているからして同じ教育方針に基づいた授業を受け、同じ年数を生きて来た他者との知識や経験の違いを感じる瞬間というのは、足が速いとか、背が高いだとかいう、身体的な特性とはまた違った感動があったように思う。

その後も彼と過ごす日々の中で、放課後や休みの日に遊び回った近所のお寺の裏庭ではススキとオギは違う植物らしいということを学んだし、地域の児童館の周囲に並んで植えられていた、やたらとスタイリッシュでシュッとした目隠しのことはゴールドクレストと呼ぶらしい、ということも学んだ。

彼は子供の反射神経で知っている植物を見ると思わずそれらの名前を口にする癖があったが、本人が熱心な植物好き、というわけではなかったように思う。

そこからしばらくして、一緒に遊ぶ友達の中に「グミの木」とか「スグリ」の赤い実を判別できる子や、白粉花の種を潰すと白い粉が出てきて、ツツジの花の蜜は吸える、ということを教えてくれる子も現れたりしたのだが、私の方から植物に関して披露できる知識が湧いてくることは当然なかった。

思い返すとやはり、植物に興味が全くなかったのは私の両親なのだと思う。

東京郊外で育てられた私の認識では、たまの休みに兄と私を渓流釣りに連れて遠出をする父も、公園や河原に私たち兄弟を散歩に連れて行く母にしても、木々や花々について教授してくれることは殆どなかったような気がする。

前述の幼馴染の家に遊びにお邪魔すると、なるほど、広いベランダに並んだプランターのみならず、室内の中にも観葉植物があるような環境であり、それらは全てまめまめしいキリッとしたお母様の手によるものだった。

読み書きできる漢字にも限りがあり、日本語も大して身に付いていない世界への認知が未熟な子供心にも、身に付く知識は家庭環境によって変わるのだということを、言語化できないまでもぼんやりと理解したのは、まさに植物への名前への家庭教育の薄さへの自覚がきっかけだったように思う。

では、植物の名前に詳しくない私が、自分の趣味趣向を自覚する前に、親の影響で身につけてしまった知識はなにかといえば、それはアメリカ西海岸にやたらと憧れのあ母が聴き続けていた60年代から80年代にかけて大ヒットした洋楽のオムニバスだったり、一切の所持を禁止されている厳格なご家庭に生まれた同級生もいる中で、我が家では全く禁止されていなかった多種多様な漫画(特に好んで読んでいたのは「がきデカ」や「まことちゃん」)だったりした。

そこから更に歳をとると、中高で気が合うクラスメートとか、ちょっと好きな部活の先輩、なんていうのが知識の泉に移り変わって行くのだが、そういった自覚的であれ無自覚的であれ、ちょっと背伸びする意味でも選択的に流行している情報を得るということでもある。

幼馴染の家ではまず見かけることのなかった、すげーカビ臭いまことちゃんとかがきデカの単行本を読むことを当然の習慣としていた自分を少し懐かしく思い返すのと同時に、もういい大人だから、自分一人の意志で、自覚的に植物の名前とかググったりしてみようと思う。


必ずやコーヒー代にさせていただきます。よしなによしなに。